オタクの20年とヲタク

 

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2000年代後半はオタク文化が最高潮に達した時代だった。世界における日本の「オタク」カルチャーの概念化と起点もこの時代にあると言え、日本が誇る文化だ。私はいわゆるオタクではないものの、時代を通してオタク文化を見て純粋にすごさを感じた。だからこそ2010年代からのオタク文化の違和感が目に付き、どうしてこうなってしまったかなと思ってきたわけだ。

オタク文化の起源と定義を求めようとすれば、それはキリのない話になる。何か専門的になものに深く没頭する人々はみなオタクであり、アニメや漫画といったフィクションやメカニックなものを好むのがオタクとされたのは90年代くらいだろう。だがここで20世紀の話をするつもりはなく、2000年代に焦点を当てたい。 

 

日陰者だったオタク

オタクたちはマニアックな趣味にのめり込んでいるから、その趣味が一般人に理解されなかったり、オタク自身が世間のトレンドについていけないとか他者との関りが減りがちになる。それゆえオタクが独特な雰囲気を醸し出すようになり、それが世間的に気味悪がられてしまいがちだった。そしてオタクの大半は男性であり、イケてない男性だった。だが彼らは何も悪いことをしておらず、ただ自分の好きな事を追求する情熱人であったのだ。研究家にしても芸術家にしても自分の世界に没入しているひとは他人の目など気にもくれないものだ。 

そんなオタクたちの文化が一変したのが2000年代だった。インターネットだ。それまでもパソコン通信だとかメカニック面でのPCがあり続けたが、インターネットの普及は大きな変化だった。マニアックな人たちがBBS(掲示板)や個人テキストサイトに集まるようになって、趣味や知識を共有し合うコミュニティーが次々と生まれそこに文化が生じた。面白いスラングアスキーアートFlashアニメが生まれて、オタク文化が盛り上がった。

オタク文化が確立されていく中で、文化への誇りと一体感、オタクの自覚が強まっていった。そうした中で「リア充」という概念は生まれた。スラングリア充」は「リアルな生活が充実している者」を意味して、すなわち彼女がいる人や今時のファッションでイケてる友達が多いような者を指した。自分たちのようなイケてないオタクに対してリア充は羨ましい、そんな憧れがあった。

 

リア充」だったオタク

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だが、2000年代ではオタクは自覚無しにリア充そのものだったと言える。世間のカップルやリア充をうらやましいと言いつつも、彼らには上述のような文化圏が存在していて、そこには没頭できる趣味と仲間がいた。

さらに2000年代後半になると京都アニメーションのアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』などが大ヒット、ニコニコ動画も始まり、合成音声で美少女に歌わせる初音ミクも登場した。ラノベのブームも二次元絵をあしらった「痛車」も「物売るってレベルじゃねえぞ」で有名なPS3もこの時代だった。世間的にも『電車男』のヒットがあってメイド喫茶もブームになり、オタク文化アキバ系に脚光が当てられた。

オタクたちがニコニコ動画でおバカなことを本気でやろうとする姿やそれを見て「ちょwおまwマジでパねぇwww」と盛り上がったり、掲示板でオフ会を開いたり、焼肉屋に行った仮定で会話したり、文化祭でハルヒダンスや星間飛行を歌い踊る様子はリア充以外の何者でもなかった。私の周りでもオタク系の人たちはいたが、彼らはノリがよかった。こうしたら面白いああしたら面白いのアイデアを出し合っては協力して実行することもあったし、何より専門知識を自信ありげに披露するさまは素直に頼もしい感じがした。そして、らしんばんコミックマーケットに行くオタクたちは生き生きとしていた。

 

2010年代からは「にわか」と憎悪の時代へ

日本のオタクたちについて、あれ?おかしいな?となったのは、2009年頃から2010年代前半だった。 

オタクの一体感とリア充や女性への憧れが、「スイーツ(笑)」と冷笑したり、「リア充爆発しろ」という微笑ましい冗談ではなく「リア充DQNDQNは氏ね」みたいな風になっていった。2000年代後半はヤンキーと恋愛が至上主義だったので気持ちは分かるがよくない傾向だった。また、日本の右傾化や周辺諸国との関係悪化などで、韓国・中国を叩いたり笑うのがネット全体で定番化していき、当時の民主党などリベラル系政党を馬鹿にするのがオタクの間でもトレンドになった。当時は総理大臣も務めた保守系麻生太郎ローゼンメイデンに理解があるとかで「ローゼン閣下」と持ち上げたり、ニコニコではヘイトコンテンツだらけだった。

2010年代に突入すると、状況はより悪くなった。オタクの右傾化は深まり、そのうえこの頃の状況として、オタクが一般化して「オタクは偉い」「オタクを生み出した日本はすごい」といった考えが蔓延していた。『gate』『ヘタリア』『絶望先生』「海外の反応シリーズ」のヒット、中国に対する「日本鬼子」「涼宮ハルピン」なんか典型的だった。

加えてオタクたちに芽生えたのが自治意識だ。日本のオタク文化圏を護るべき聖域として、閉鎖的になる様子があらわになった。リア充・女性・外国に対する態度もさることながら、過剰なまでに著作権について強い正義感を振りかざしたり、年少者を排斥するような流れがあった。著作物は世間で評価されないオタクにとって子のようなもの、自らがコンテンツを生み出しているんだという意識があったが、その一方でJASRACやディズニーを「著作権ヤクザ」と呼ぶ矛盾もあった。また、18歳未満の未成年者を必要以上に排除しては2011年頃には無意味に「18禁」を叫んで面白がる空気、当時未成年者だったゆとり世代の若者を「ゆとり」と呼んで馬鹿にする流れもあった。こうしたオタクの自治意識は時の石原慎太郎都政による悪政「青少年育成条例」によって拍車がかかることになってしまう。

 

オタクの自治意識はオタクの一般化とも比例するものだった。オタクブーム以降、世間でオタクが広く知れ渡るようになったのと各家庭にパソコンが普及したことで、一般人もサブカルチャーに盛んに参加するようになった。ところが、これによってオタクを冷やかすかのごとく「にわか」が増えていった。それまで一切アニメもゲームも興味ないリア充寄りの人々がふざけてオタクを自称したり、そういった現象が見られた。

その頃の秋葉原はどんどんきれいな街へと変化していて、その様子はにわかオタの増加ともかぶるものだった。とっくに鉄道博物館は閉館していたし、つくばエクスプレスの開業とどでかいヨドバシの開店、バスケットコートのあったあたりは奇麗な千代田区らしいUDXビルになっていた。そこをカップルが闊歩し、2000年代後半すら秋葉原の変化を嘆く声があったのを覚えている。2010年代にはデ・ジ・キャラットでじこ看板が外された。

重大な事にリーマンショックはやはり暗い影を落とし、それが氷河期世代であるオタクの右傾化や自治意識を招いたといえる。そして、秋葉原は"あの事件"の舞台になってしまった。この暗くギスギスした感じは2010年代へとつながっていった。

 

陳腐化した日本文化

日本のネット社会も表社会文化も落ちたのが2010年代だった。その頃の日本はというと、第二次安倍政権下で右傾化・内向化が起きていて、外国を蔑視しては日本こそが絶対正義的な感じだった。その中で内向的な国産サブカルチャーと芸能事務所によるコンテンツがゴリ押しされ、日本の文化は陳腐化を極めていた。その陳腐な文化の一つに当時のオタク文化やネットの憎悪社会があり、この頃には悪質なまとめサイトが猛威をふるっていたこととスマホの普及もあって、一般社会にもネットの低俗なノリが浸透していくことになった。

表社会のマスメディアがとにかく狂っていた。そしてそれはネットの影響が大いにしてあった。外国人に日本をすごいと言わせ海外が劣っているとする「海外の反応」日本スゴイコンテンツ、ネトウヨ思想で韓国・中国がいかに悪いかを語るTV番組に週刊誌にヘイト本、埼玉といった特定の地域を馬鹿にする月曜から夜ふかしマツコ・デラックス、学歴格付けバラエティ、ゆとり世代をコケにするコンテンツ、非常識な女性を女性タレントたちが悪口言う番組。歌番組を見ればサブカルバンドや歌い手や地下アイドルしかおらず、それらはネット由来だった。

ネットにしても表メディアにしても、それらを作っていたのは80年代90年代こそが我が青春のギョーカイ人やオタクのオッサンたちであった。エヴァガンプラの世代だ。それが問題だった。彼らは90年代のアングラサブカルのノリで特定の民族や地域を差別的に消費するし、アイドル女のコやグラビアAVが大好きで、ゆとり世代を馬鹿にする世代で、そしてネット社会の第一世代だったのだ。マツコ・デラックスなんて90年代のアングラサブカルの擬人化みたいなものだし、秋元康クドカンなんて典型的なバブル世代だった。

 

そんな悪いサブカルの中でオタク文化はもっぱら日本のメインストリームとしてもてはやされ、排他的な人々と親和性があるものだった。

オタクになる人とは上で述べたように引っ込み思案だったり自分の世界に没頭する人々だった。それがオタクがある程度知名度を上げると自治意識を持って攻撃性を持つようになったのも上に書いたとおりだ。これが更に悪化したのが2010年代であり、低俗メディアとスマホ普及によるオタクの一般化と社会の低俗化でますます自治意識が高まったうえに「にわかオタク(以下「ヲタク」と表記)」が激増した。自治意識を持つヲタクたちと深い関わりがあるのがガリ勉である。

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2010年代前半には学歴格付けブームがあって自称進学校の存在も顕になった時代だった。自称進学校では受験のことだけを教え、自分の勉強の世界に没頭させて他者を敵だとか馬鹿だと錯覚させ、青春や道徳や交友関係が一切ないので、極めて閉鎖的な人間を育成する環境だ。そうした人間がハマるのもまたオタク文化であり、2010年代前半だと出たばかりのスマホから俗悪なネットにのめりこむようになった。その結果、学歴厨やネトウヨになり、怪しいサブカルや過激なニコニコや2chのネタに染まり、話題作りのためにアニメやゲームをするようになった。彼らがネット上で一般的な若者や外国の文化を毛嫌いしたり、特定の大学を「Fラン」と呼んだり、「フェミニスト」を敵視したり、twitter上でアニメアイコンに設定して暴言を吐く者どもの正体だ。特にいわゆる理系の場合はよりマニアックで男性に偏って研究室など閉鎖的な環境に置かれるためにヲタクになりやすく、彼らはいわゆる文系を徹底的に馬鹿にしては自分たち理系でオタクこそが常識だと考えがちだ。ヲタクにはプログラマーが多い。また、嫉妬から一般人・リア充を批判するのに、twitter(バカッターと呼ばれた)や渋谷ハロウィンやBBQなど彼らの社会的なマナーの違反をあげつらったりするのもいかにもといったところだった。

 

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自称進学校の学生だけではない。大人でもやはりガリ勉気質で閉鎖的な人々がヲタクになる傾向があった。2010年代前半にはサブカルオッサンとスマホのせいでネットの悪ノリが日本のメインストリーム担った時代だったが、本来公共性を保たないといけない社会も積極的にヲタクに迎合する動きがあった。

地方自治体では二次元少女キャラを使って「萌えおこし」、大手企業が公式ツイッターでヲタクのネタに乗っかる「中の人」を演じ、NHK小林幸子の「ラスボス」などネットのネタを扱う。こうした行為は公共性を欠いており個人の勝手な趣味を万人が知っている前提で垂れ流すという、公務員や大企業なら問題のあるふるまいだ。これがまだ「テレ東伝説」・「台風コロッケ」・「クソワロタwww」くらいなら内輪ノリで誰も傷つくことはないが、「グンマー」だとか埼玉県民を愚弄した『翔んで埼玉』といった悪意あるコンテンツに行政などさえ乗るのは異常なことだった。

なぜ公務員や大手企業までもがヲタクになるのかといえば、これも自称進学校や理系のガリ勉がヲタクになるのと同じことだ。狭い環境に置かれた陰気でガリ勉気質の人々が、自分(たち)の世界こそが世間の常識でありすべてだと錯覚してしまうのである。そしてそれは自民のニコニコブースのように保守的な政治ともつながることだ。

 

オタクの崩壊とヲタクの世界

2010年代ではすでに「オタク」は形骸化していた。無趣味なヲタクたちはアニメアイコンにしてネットのノリだけがアイデンティティであり、従来のオタクでは全くなかった。

重要なこととして、この時代では量産型深夜アニメと量産型スマホゲームが流行っていたことがある。まず量産型アニメとは、年齢不詳(ペドファイル?)の二次元少女たちが中身のない日常を過ごたりオッサンの趣味をするもので、「美少女動物園」と揶揄されるものだ。ゲームに関しても据え置きから、スマホの課金などによるガチャゲームが主流になっていて、モノを二次元少女に擬人化したのをコンプリートするゲームしかなくなっていた。そして、そこに出てくる二次元少女たちは萌え絵とも異なるものだった。ヲタクたちはこうした中身のないコンテンツをしていればオタクだと自認していた。いわゆる腐女子も増え、「オタサーの姫」など様々な影響を与えた。

こうした量産型コンテンツと関わりが深かったのが「同人ゴロ」である。ヲタクのアイデンティティとは量産アニメ・ゲームをすることでヲタクの社会から孤立しないことで、pixivやニコニコを中心として常に流行に乗らなければダメという考えがあった。そのため、流行っているキャラがいればヲタクたちが一斉にそれの絵を描いてpixivに投稿した。描くキャラは可愛くなくて一様、絵柄も金太郎飴、エロの表現に関してもマイナーなフェティッシュ的なものではなく爆乳やおねショタやNTRといったどうしようもない流行にひたすら便乗するだけだった。こうした「同人ゴロ」にはもはや自分の好きなものを極める従来のオタクの姿は無かった。私が最初に同人ゴロの存在を知ったのは艦これからだ。

 

2010年代後半にはさらにヲタクの文化は量産的になって現在に至る。

量産型アニメや量産型スマホゲームは今もヲタクのメインストリームだし、声優のことを過剰なまで気にする昔のオタクにはなかった文化も健在だ。モノや動物を擬人化したアニメ・ゲームは人気だ。冴えないヲタクがRPGのヨーロッパ世界に行って無双する「小説家になろう」も同じ設定同じ内容のものが量産された。さらに、3D型二次元アニメにアテレコするVtuberオタサーの姫やキャバクラのような存在でヲタクたちの間で大ブームとなった。ポプテピピックは2010年代ヲタク文化をよく表している。

自分こそがオタクだと標榜するヲタクたちの自治意識・選民意識、過激化も進んだ。テレビを中心としたマスコミはオタクの偏見を煽った歴史があるとして表社会のメディアを憎んだり、一般人の知識の無知を咎めて冷笑した。表向きは安全性を案ずる装いで知識で冷笑する「現場猫」や、理系知識の開陳も甚だしい。自分(たち)こそ差別されてきて偏見を持たれたと卑屈になったヲタクたちが、オタク文化規制派と親和性のあるとされる世間の活動家やマスメディアなどを思想的に罵るなど先鋭化も著しくなった。ヲタクは同人ゴロや差別や冷笑といった反社会的な価値観をよしとする者が多い一方で著作権自治意識や「転売ヤー」に対する正義感も強まった。またスラングジャーゴンとしては「これ面白いと思ってるあたりほんとすきすぎて草」といった陰湿な言い回しや回りくどい言い回しが好まれ、炎上した人を面白がるコンテンツも流行るようになった。迷惑ラブライバーの存在もあった。

 

 

オタクのこれから

良くも悪くもオタク文化は世界的なものになった。文化的に近いアジア圏はもとより、それまでドラゴンボールセーラームーンくらいしか知られていなかった欧米圏でもマイナーな日本のオタクカルチャーは人気が出る時代になった。コスプレもVtuberもhentaiも人気だ。どこの国でも基本的にそれがメインストリームになることはないし、日本においてもサブカルチャーであるのがふさわしいと思える。中国と韓国がオタク文化に十分すぎる理解があるといはいえ、ライバルとして注視していく必要がある。また、腐女子といったオタクと似て非なる集団や世間との兼ね合いも今後の課題だ。