インターネットトロールという社会問題

インターネット空間において誹謗中傷をはじめとした迷惑な行為はネット登場以来長年の問題であった。2010年代にはネットの悪意が過去最悪レベルに達して、2020年代現在ではかなりマシにはなったが、いつの時代も社会的で普遍的な課題なのだ。

 

「インターネットトロール」の定義

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「インターネットトロール」という用語がある。簡単に説明するならば、ネット上で悪意をもった行動をする者のことだ。特に匿名掲示板の「荒らし」のことを意味する。それは間違いのないことなのだが、この「インターネットトロール」は非常に便利な言葉で、あらゆる存在に当てはめることができると考えている。ネット上で悪意ある行為をする者の総称は日本語には無くて、せいぜい「荒らし」なのだ。では、どのような者がインターネットトロールにあたり、どういった存在なのかをこの記事では説明しよう。

 

まずはよく知られている「荒らし」の定義にあたるネットトロールだ。匿名掲示板や何らかのコミュニティがあったとして、そこをぶち壊すような者は古くから見られた。場違いで無意味なコピペを投稿し続けてたり、コミュニティの意図とは真逆の発言をして利用者の気分を害す者、それが「荒らし」である。無視に越したことはないものの、執拗な迷惑さゆえに無視することがもはやできない状況に陥ってしまった場合は完全に有害な存在となる。

ここからはより拡大した定義でのネットトロールとして、他人を不快にする行為をする者があてはまる。これならかなりが該当し、多かれ少なかれどこのサイトやコミュニティにもいることになる。具体的な行為として、誹謗中傷・差別行為・反社会的行動、それらの正当化や加担がある。

 

匿名性が悪意を増長するとする意見は往々にしてあるものだが、実際のところ素性を明かして活動する者でもネットトロールとしての本領を発揮することは十分ある。もちろん匿名ゆえにネット弁慶が傍若無人に暴れるのは想像通りのことであっても、姿や名前を明かしていても暴れることができるのは令和の時代からはなお明らかなことだ。わかりやすいのが意図的に不快な行為をするYouTuberや配信者であって、次にバイラルメディアやヤバいサイトのルポライターなどである。その前だと街頭に繰り出したり論客気取っていたネット右翼なんかが表社会のネットトロールといえる。

 

「思想犯型」と「愉快犯型」

インターネットトロールは大きく分けてふたつのタイプに分類できる。ひとつは「思想犯型」、もうひとつは「愉快犯型」だ。

「思想犯型」とは、その個人が強く信奉する何らかの信条があって、その信条に反する物事へ激しい憤りや反発を見せて過激な行動に走るタイプだ。些細なマナー違反を絶対に許せない"マナー警察"のたぐいから、ヘイトスピーチを行うネット右翼までその幅は広い。あるコミュニティから見てそこでの信条から逸脱している者へ抱く意識、相反する相手との対立、そしてエコーチェンバー現象、これがより思想犯型を先鋭化させる。 思想犯型には独自の正義か目的があってそれが生き様や人生の指標になっているがゆえ、それを守るためならいかなる過激な行動も自己正当化する傾向がある。これは実社会における政治や宗教の問題と全く同じことであって、そこがインターネットかどうかの違いとも言える。

「愉快犯型」は決まった正義やそれを実現するための目的を持たないタイプで、ストレスの発散・暇つぶし・ビジネスのために他人を不愉快にするとか反社会的な言動をする最も厄介な存在だ。思想犯型の場合はまだ対話や何かしら説得をもって解決できる場合もあるし、こちらから近づかないといった対処もできる。ところが、愉快犯型は思想がないわけだから叱ったりしても何も感じることはないし、反応すればその様子を楽しんでより悪化するのは明白である。無視しても向こうから来るということがあるので、通り魔みたいなものなのである。さらには一つの問題や対立に駆けつけてむやみに事を大きくしたり、わざと事態を悪くすることをしていくことから、野次馬根性的で火に油を注ぐ存在だ。

愉快犯型と思想犯型を兼ねているトロールもいて、どちらにも当てはまる者もいる。またトロールのケースとして、愉快犯型から思想犯型に変化するのは非常によく見られる現象だ。最初はおふざけや"ネタ"としてやっていたのが、だんだんマジになっていくパターンである。イジりがイジメや差別、煽りが叩きになっていくのだ。

 

ネットトロールはいかにして生まれるか

ネットトロールの中でも最も過激なタイプが、表社会で犯罪レベルの行為に走る者だ。それがネット上での気に入らない相手への復讐なのか社会への恨みなのかはそれぞれだが、いずれにしてもテロリストに通じるものがある。海外に多いタイプでハッキングなど技術的な行為をもって他者に損害を与えるのも過激なネットトロールによくあることだ。気に入らない対象に対してリアルな攻撃を加えたり、公共の場でヘイトクライムや無差別通り魔事件やテロに値する事件を起こすような連中だ。

過激なネットトロールと「無敵の人」は同一であり、要は失うものがなくて実生活が悲惨な者だ。ネットで今まで見てきたそういった人たちや私がリアルであった人たちとして、やはり何らかの問題を抱えていた。元気はあるので若年層が大半であるが、彼らはかなりの引きこもりであったり不登校児であり、ネットゲームや匿名掲示板に入り浸っているのだった。そうした若年層がそのまま歳を重ねたこともあり得る。

また、過激なネットトロールは不謹慎ネタが大好きな特徴がある。事件・事故・災害が起きたときに犠牲者を笑い草にして愚弄したり中傷することをするのだ。常人の感覚であれば理解し難いことであるが、自分こそ恵まれていないと思っている無敵の人にとって世の中の災難や他人の不幸は蜜の味ということである。

 

じゃあそういった失うものがない無敵の人のみがネットトロールなのかといえば、そんなはずがない。社会的にどんな立場にいる人間でもトロールになり得るのだ。学生による電車の遅延への悪態や主婦の夫への不満、それらだって十分入り口になる。車の運転をしていてすぐイラつく人なんてアウトだろう。インターネットの悪意を突き詰めれば、そこにあるのは負の感情であってそれはつまり不満である。不満は誰でも抱くし愚痴だってこぼす。だが、ネットはより閉鎖的で秘匿的であるので、実際に面と向かって相手に言えなかったり身近な他人に愚痴り辛いことを気軽に言えるし、より多くの者に自分の考えを知ってもらって仲間を作る機会もできる。それ自体は悪いこととは言えず、日常的で個人的な負の感情が肥大化して先鋭化していくのがネットの悪い部分だ。

日常での不満の内容によるのだ。それが社会的に取り沙汰されて改善されるようなポジティブなものなら意義があろうものの、ほとんどの人に共感されにくい暴言を含んだ愚痴や差別的なものならネガティブ極まりない。ネットではネガティブな方が受け入れられてしまうのは、やはりノイジーマイノリティ的な者や負の感情を抱えた者が集まりやすいのがネットだからだ。そしてそういった者同士が繋がり合って負の感情のコミュニティが生まれてしまうのである。差別・不寛容社会・芸能人への誹謗中傷・ネットいじめ、はそこから生まれるのである。 

そういったノイジーマイノリティが「世間のみんなはこれを正しいと言うけど実は嫌いだった」を発表して「わかる~」と共感を得ることで、まるで自分が正しくてネットの意見こそが全て本音かのような錯覚に陥ってしまう。社会的少数者に対して「やつらは恵まれすぎだ!もっと厳しくしろ!」と叫ぶのは、「俺こそ恵まれてないから社会は俺だけ援助しろ」が根底にある。ノイジーマイノリティであるネットトロールは"正論"という言葉が大好きで、よく世間的な有名人が誰かを傷つけるような発言をして問題になったときに「何が悪いんだ?」「正論だろ」とかばうのも、それが一般的感覚とのズレの表れである。

恐ろしいことにネットで正論とかネットが正義の意識が強すぎる人々はその歪んだ正義感から、自警団精神も発揮する。凶悪とも言えない過ちを犯した人を重罪人として徹底的に追い込んだり、マスコミは真実を伝えないだとか「法律が裁かないのは不公平だからネット民が裁く」などと勝手にプライバシーを暴いて私刑を加えたり、デマだって平気で流しては信じたりする。このように過激化した場合本人たちにとって絶対正義なので何を言っても正当化して、指摘した人を標的の加担者かのように扱ってくるだろう。   以前はこうしたことをするのはどちらかといえば無敵の人たちだったのが、コロナ禍からはより一般化されつつあって恐ろしい。

 

ネットトロールたちのコミュニケーション

ネットが特殊な空間で、トロールたちが集まるコミュニティやトロール自身はより特殊であることからコミュニケーションが一般的な人々とは大きく異なる。

第一にこれは普通のことだが、共通言語の存在がある。それは「スラング」と呼ばれる隠語であったり、そこでの雰囲気や定番があるものだ。ネットトロールの場合、悪い方での共通言語・コミュニケーションが発達しており、初対面の相手に喧嘩腰での対応だとか気に入らない物事に対する侮辱的な単語のボキャブラリーが豊富だ。とにかくトロールは相手を侮辱することに飢えているので、古い差別用語を引っ張り出してきたり次々と罵倒語を造語するし、伏せ字や婉曲するといった配慮すら年々失って直接的な罵倒へ向かっている。トロールは"ネット"をなにか勘違いしているところもあるので、「誹謗中傷やめろとかお前ネット向いてないよ」とか「煽り耐性ない豆腐メンタルはネットするな」みたいなことを平気で言ってしまう。

さらに、最も荒んだトロールのコミュニティではトロール同士の仲間意識は一切なくて自分以外は全員敵と考えている。トロール自体利己主義の塊なのでもとから仲間割れしやすい傾向にあって、屈辱的なレッテルを貼り合ってはどっちが上か下かの格付けをし合う。"擁護"とか"信者"または"アンチ"みたいな極端な発想ばかりなので、意見の相違が起こりやすいのも特徴だ。「俺はお前らとは違う」と。

こうした自らを社会の頂点だとか常識人と考えて他人を見下す他人を見下す考えはネットトロールに広く見られるもので、そういった考えに至るのもリアルな自分が大したことのない人間だったり日常での待遇に不満を感じているからだろう。

外国人や女性を過小評価する奴がイケてないオヤジだったり、学歴で他人をコケにする奴が浪人生や中途半端な学生だったり、理系知識やアニメ知識で一般人をあざ笑う冷笑系アニメアイコンの正体が弱っちくて暗い青年なのだ。それにネットの地味な集まり行って「俺はこんなにモテて金持ちで学歴もあって、お前らと違って俺は社会的な常識もある」と自慢するような奴も、わざわざネットでそんなことをしている時点でおかしいのは明らかなのだ。"底辺"だの"情弱"だの"低学歴"だの、最近だと"陰キャ"だのとネットトロールは頻繁に言うが、全くよく言うよとなる。

 

相手をくさすこと

これもコミュニケーションと関わることだ。ネットトロールに共通したコミュニケーションに「笑い」がある。しかしながらこの「笑い」とは笑顔ではなく、嘲笑・冷笑のことだ。

はじめは違った。電子上ではもっぱら文字でやりとりがされるために感情を表現する手段として純粋な笑いなら"(笑)"、ネットでは"藁"と表現されてきた。のちにパソコンキーボードで打つ際に"w"だけで"wara"を表現するようになり、さらに"www"とwを重ねることで笑いの度合いを表した。2000年代後半には"ワロス""ワロタ""バロス"といった独特なスラング性の高い表現が生まれ、ネットの感情表現は豊かになった。

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しかし、2000年代後半ではネットの悪意も台頭してきて、女性蔑視のために"スイーツ(笑)"と"(笑)""()"を冷笑の意味で使ったり、後述するまとめサイトを中心に「こいつ馬鹿すぎワロタwwwwww」と"w"や"ワロタ"を嘲笑のために使うようになっていった。2010年代では冷笑・嘲笑のシニシズムは深刻レベルになっていて、自分こそ賢くて自分以外みんな馬鹿みたいな考えがどこでもまかり通っていたのだ。やがて"w"を雑草に見立てて"草"と呼ぶのが流行り2020年代現在に至るが、爆笑の感がある"ワロタwwww"などと違って"草"自体がほくそ笑んでいる陰湿な含みがあり、事実「こいつ馬鹿過ぎて草」のように今までにないネガティブなニュアンスがある。 

ネットトロールは基本的にひねくれているので、相手をまともに評価できなかったりまじめなことをくさしがちだ。不謹慎ネタが大好きで、すぐ冷笑・嘲笑に走るのも非道徳的に幼稚で相手をくさすことを良しとする根性があるのだ。

 

愉快犯タイプのトロールについて

一番厄介なタイプのネットトロールそれが愉快犯タイプであった。これを具体的に見ていく。明らかに強者と弱者の関係がある場所で興味がないのに関わって強者の味方をしたり、異なる関係か良好な関係の者同士を不必要に争わせて楽しむ悪人のことだ。無作為に暴言を吐きに行ったり、そういう荒らしも含まれる。目的は暇つぶしやストレス発散、またはビジネスであり、前者の場合はこれもリアルで待遇を悪く感じでいる者、後者は悪意で稼いでいる本当に悪い輩だ。

https://anonymous-nohate.tumblr.com/post/94619620599/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B

anonymous-nohate.tumblr.com

2chのスレッドの書き込みを恣意的に抽出して並べたまとめサイトは2000年代後半から登場して、2010年代にはヘイトの温床になった。ネットトロール的精神がスマホの普及とともに表社会にまで広がった。この手のサイトは運営者への収益が生じるため流行ったが、運営者は憎悪を手元のビジネスにしか思っていないのだ。まとめサイトだけじゃなく、そこと似たようなバイラルメディアや胡散臭いルポライターが書いた週刊誌やネットメディアの煽動記事、youtubeのヘイト動画やビジネス右翼のヘイト本、迷惑youtuberや配信者、ネットの気分を害する広告、日テレの月曜から夜ふかしとか日テレの様々な番組、などのビジネス目的の憎悪拡散である。

具体的には異なるもの同士を不必要に争わせる"対立煽り"、立場的に言い返せない少数派を不快にする行為、炎上していないのに"炎上"とか勝手な勝利宣言に添えた"論破"や冷静な相手を"発狂""ブチギレ"呼ばわり、といった具合だ。まとめサイトなら隅付き括弧を使った「【悲報】【朗報】」などの枕詞や、対象をいかに馬鹿にして注目を浴びるか凝るに凝ったスレッドのタイトル(スレタイ)だ。その人の発言や言ってないことまで勝手に誇張して悪質な会話調にしたり、矢印を使って人を指差すように馬鹿にする。2010年代以降スレタイがそこらじゅうに蔓延して、私がそうだったようにそれだけの人がスレタイに傷つけられてきたかわからない。いずれにせよ煽動以外何物でもないのだ。

 

常に最悪を更新するネットトロールとおわりに

残念ながらネットトロールはインターネットの登場以来どんどん悪くなっている。2010年代後半にはヘイト条例ができてあからさまな差別は減ったし、最近の差別や誹謗中傷をめぐる議論で変化を感じるのも事実ではある。だが、スマホの普及から一般化に伴って陰湿さは増しているように感じるのだ。炎上は常に起きているし、人を馬鹿にする表現は悪化しているし、その他のSNSも妙に心地が悪い。近年ではYouTubeを中心に、わざと注目を浴びるような迷惑行為や野次馬行為や不謹慎な煽動や刺激的なアピールをすることで動画を見せようとするコンテンツは次々登場しているし、動画のコメント欄にしてもtwitterにしてもネットトロールに感化された若年層が非常に目立つ。ネットはすでに我々現代人にとって欠かせないもので、表社会との垣根などほとんどない公共の場みたいなものだ。インターネットトロール行為が社会問題なのは世界の常識であるべきなのだ。