昭和世代について

2020年代になってから、「昭和」が悪しき過去、「老害」のような扱いになっている。これは近年のポリティカル・コレクトネスの感覚からして昭和の時代ではまかり通った考えが令和では通用しないということだが、昭和の時代・昭和の世代をちゃんと振り返らないといけないのではないか。

「昭和」的なものは私に社会問題を考えさせるきっかけになったし、私は平成世代なのでリアルな昭和を知らないが、昭和の悪い部分も良い部分も十分すぎるほどに知っている。この記事では主に高度経済成長を経験した昭和世代に焦点をあてる。団塊世代とその前後の世代だ。私はあの世代に不快な思いをさせられたこともあるが、同じ昭和を過ごした世代でもバブル世代と違って尊敬できる部分や現代人が見習うべきところは山程ある。なので記事の後味が悪くならないように、先に彼らの負の部分について述べることにする。

 

昭和世代の背景

当然ながら、昔の人は今とは違う。今とは違う社会に生き、異なる考えを持ってきた。昭和の頃には今のようにあらゆる機械がある社会でもなければ、スーパーもコンビニさえもなくて人々のリアルなコミュニケーションだけだった。そしてその人間関係というのは血の繋がらない他人であってもまるで家族のように密接であって、それが社会を形作っていた。当時は物事の手段が限られていたり、そのときに最も良いやり方が自然と存在していて常識だった。今みたいに山奥で一人IT生活みたいなことはできっこないのだ。

昭和の日本人にとって明治時代は遠い過去じゃないし、下手すれば江戸時代くらいの感覚もまだ共有されていた。もっと言えば、古代の日本と地続きだ。地域の伝統や方言が現役で存在していて、神仏や祭りをまじめに重んじていた。神棚や仏壇を置くとか、皇族への絶対的な畏れとかそういうのがあった。

戦後のことをいえば、昔の日本は貧しかった。戦時中に何もかもが滅茶苦茶になり、後進国同然の状態だった。戦災瓦礫や荒れた土地にバラック闇市が形成され、孤児や物乞いや傷痍軍人がたくさんいたような状態だ。非常に苦しい時代だったことだろう。アメリカの占領も終了してやがて高度経済成長期を迎えるとこうした極端に貧しい状況は変化していくことになるが、依然として日本の貧しい部分は貧しかっただろうし集団上京した人々はだいぶ苦労したはずである。

高度経済成長時代を迎えると、日本は「戦後ではない」と言われるほどの復興を遂げただけでなくこれまでにないほどに経済発展した。ベビーブームなどで人口は多かったし、会社も学校も商店街も井戸端も相当な活気と勢いがあった。田舎だって農業や漁業が盛んに行われていて重要な産業として成り立っていた。勢いがあれば何でもできるという時代で、そこに貧富の差はなかったといえる。

そんな時代を生きた昭和世代の最大の特徴は、情熱的であることだ。生きていくためには強くないといけない、だから根性が必要だ、美徳に反することへは憤り人情に涙する、檄を飛ばすためには時に心を鬼にしないといけない。 

 

「時代遅れ」な老人としての昭和世代

さて、あなたの周りにも困った年配者がいるだろうし遭遇したことがあるはずだ。私の体験談としては、いちいち差別発言を連発する人、初対面なのに高圧的だったり明らかに舐めたタメ口で話しかけてくる人、そういった人たちがいる。田舎の親戚に会ったときも年配の人の発言には驚かされることが多いし、そういった現象がある。

麻生太郎ビートたけし石原慎太郎たかじん森喜朗など(他にもいくらでも例を挙げても良いが)を思い出してほしいが、彼らはメチャクチャだ。メチャクチャな発言、メチャクチャな行動。そして偉そう。だが、彼らは世間的に高いステイタスがあるし、批判どころか人々から尊敬されてきただろう。私の実体験で振り返っても、どう考えてもヤバいのにそのコミュニティーで高い地位があってなぜか慕われているオヤジがどこでもいた。例えば小中高校では必ず鬼みたいな体罰教師がいたし、授業もまともにしなければ差別的な笑い話や下品なセクハラ話をするようなオヤジがいた。土着的なマジョリティの権力である。

なぜ年配者が差別的な発言や失言をしてしまうのかといえば、それは今と昔では倫理観が違うからという結論に至る。今では問題になるような発想や発言が、当時では何ら問題のないこととして疑問視されることなく受け入れられていた。

昭和の頃の漫画アニメドラマ映画小説では当たり前のように差別的な文言や問題表現が出てくるが、それも今の感覚だと良くないのであってその頃は問題視されていなかった。具体的には、肌の色が濃い人種への表現、体の一部が不自由な人への表現、同性愛者を揶揄する時に使う表現、女性蔑視的な表現、などきりがない。たぶん『気狂いピエロ』や『みなしごハッチ』なんかも駄目なんじゃないか。昭和の時代に大ヒットしたダッコちゃん人形も今日ではアウトだ。『巨人の星』のスパルタ指導も今じゃ美談にはならないだろう。差別的とされるものについては平成の時代にポリティカル・コレクトネスで規制ないし表現が改定されたり注意書きが書かれていたりするようになった。

そうした時代が当たり前だった時代の人はやはり当時の感覚のままで、指摘されても何がいけないのか認識できない。それに今更考えを変えるというのはプライドが許さないだろうし、他人が思う以上に難しいことなのだ。それが政治家の老人が失言をしたり、田舎のおじいちゃんが驚きの発言をしてしまうある種の原因だ。

 

日本の土着性と家父長社会

ここからが重要である。全体的にいえることとして、昭和の時代は弱肉強食の世界なので、強い者は偉いしいちいち弱い者に気を配ることもない。それは生きるために仕方のないことだったかもしれないが、根本には日本の土着的な部分が大いにしてあった。弱者の権利を尊重しようという概念もないので別に差別的なこと言っても大丈夫だった。今だといじめに遭えばすごい問題化されるが、昔だと親が「なんでやり返さねえんだ!そんな弱っちく育てた覚えはない!」と蹴っ飛ばされて外に放り出されただろう。

社会的なマイノリティーは様々だが、最も身近な存在に女性と子どもがいる。昭和の時代は家父長制社会や年功序列社会であって、「親」「大人」「男」「父」が絶対的な権力者として下の存在を掌握して、そして下の存在である者はどんな場合であれ物申すことが許されなかった。どんな体罰教師がいても親はその教師に感謝したし、戦時中に上層部の軍人が偉かったことなどもこのあたりと通底することだ。偉くなくてもあぐらをかける。

女性や子どもは「女子供」で下の存在だった。女性や子どもの活躍や意見なんて大人の男は絶対に認めないし、「生意気なことを言うな!」とか馬鹿にされて一蹴されるものだった。この馬鹿にするというのが大きくて、最初から女性・子どもは対等ではないからと幼児語でからかったりわざと卑猥な発言をして困る様子を面白がるオヤジはいまだに見られるものだ。

家父長制にしろ、日本の土着的な家庭観や人間観が根強いのも昭和世代の特徴だ。上述の通り「大人」「親」は絶対的に偉いので、説教するときにも必ず「大人」や「親」のワードを用いる。子どもは数が多く群れみたいな感じだったので「ガキんちょ」みたいな扱いだった上、大人や親がしつけないとつけあがるといった考えがあった。だからよその子でも思い切り叱らないといけない、「同じ釜の飯を食う」的な発想があったのだ。昭和の時代では他人との距離感が近く、家庭の垣根を超えたやりとりがあった。それはやはり生きる術だったのと、隣組などの影響もあるのかもしれない。そして、家庭内では上座だとか妻が夫に何でもしてあげるとか、そういったものがあった。さらには当時は子沢山が普通で、長男が家業を受け継がないといけないものだった。

 

昭和世代と平成世代

昭和世代と平成はあまりに相性が悪かった。平成時代はポリティカル・コレクトネスで問題表現は大幅に減り、女性の社会進出もバブルで進んだ。大きな変化があったのは子どもである。昭和の時代の子どもといえば「子どもは風の子」で、大勢で外で遊んで男の子ははなたれ小僧だった。だが平成の子どもは、髪が長い少年や家でゲームばかりしていると昭和世代から見て全く別次元の存在だったのだ。特に平成にはギャル文化に携帯やパソコンなどIT化、昭和とはまるで異なった価値観やファッションが急激に台頭した。チャラチャラして社会に反抗的な若者・ひきこもりや不登校といった新たな層や社会問題は昭和世代からすれば奇怪極まりなかったに違いない。もはや『サザエさん』の家庭が平成では核家族化で珍しいものになっていただけでなく、波平のような父親は時代遅れだった。それまでの精神論や根性論も通用しないものだ。

昭和世代の気持ちもわからなくはないが、こうした昭和と平成のズレから2010年代半ばまで昭和の抵抗が起こることになる。 

髪の長い男の子は男らしくないから坊主にしろとか、若者のファッションに「色気づくな」、ピアスや髪を染めることは「親からもらった体を傷つけるな」という年配者が少なからずいた。特に年配者にとってゲームは悪の象徴的なところがあって「ピコピコ」と呼ばれていたし人を駄目にすると思われていた。若者向けのお菓子や炭酸飲料なんかも健康に悪いからとバッシングする人がいたものだ。

だが社会的にはまだまだとんでもない昭和世代があらゆる業界で権威であって、平成の世でさえもそれをありがたがる風潮があった。そうした権力者が体罰教育を行おうと、テレビでブチギレて暴れようと、その者が批判の末に立場を降ろされるようなことはなかった。それどころか「俺に殴られてよかっただろう。最近の若造は殴られてなくて甘やかされているから根性がない」と言われ、「はい!おかげで目覚めました!ありがとうございます!」というような洗脳がまだあったうえに、誰も問題だと言わずに慕う風景があった。ドキュメンタリーやドラマなどでも"人の温かみを知らない今時の若者"を力で教育して過ちを気づかせるといったストーリーが美談のようになっていた。過激なことをせずとも、みなが平和的に盛り上がっている中で昭和世代の権力者が鶴の一声的に「これ、何がおもしれえんだ?」とつぶやくだけでその場が凍りつく光景も色んな場所で見てきた。私はこうしたものが嫌いで仕方なかった。

 

昭和や高齢者を憎むべきではない

2010年代後半からグローバル化に伴うポリティカル・コレクトネスの普及やマイノリティーの地位向上やインターネットでの価値観の共有などで、昭和の時代は許された問題発言などが本格的に批判されるようになり、2020年代の令和の世では完全に許されるものではなくなった。加えて、昭和世代が後期高齢者の域に入るようになって、それまでの地位からリタイアしたり亡くなるようになった。「昭和」はもうほとんど過去だ。

2020年代では時代遅れなこと旧態依然の悪しき価値観のことを「昭和」と呼んだり、昭和の時代を生きた人たちのことを一括りに「老害」と侮るような流れがある。「昭和」は悪いからと昭和時代の文化を全否定したり、それは間違っていると思うのだ。昭和の文化に感じる良さはあるものだし、高齢者差別的なことなんてしてはいけない。

 

人情と昭和の文化

昭和世代の精神を象徴するものは「人情」である。上ではネガティブな面を書いたが、本来人情は優しいものだ。苦しい時代を生きたから、みなで一緒に親しく協力しあってきたから、人情は大切なのだ。

どこの地域でも近所で助け合って生きてきて、祭りには人がたくさん集まった。今はシャッター商店街でも昔はそこに人々の賑わいがあった。黒部ダムや新幹線や高速道路など公共事業のために働いた人たちがいた。戦後昭和は貧しい部分は貧しかったので『あしたのジョー』に出てくるようなスラムも実在したし、そこまで極端でなくとも質素で素朴な社会があった。日本人はほとんどがトタンと瓦の家屋に密集して住んでいて、畳の上家族でちゃぶ台を囲んだ。子どもたちは無邪気に生き生きと体を動かして時には危険なことにも挑戦しながら遊んだ。テレビを持っている家や定食屋に集まったりラジオでプロレスや野球や相撲に熱狂した。働いた後は飲み屋やおでん屋かラーメン屋の暖簾をくぐったことだろう。  

映像作品にしたって、『西部警察』『太陽にほえろ!』『幸福の黄色いハンカチ』などの心揺さぶられる作品や名優たちの渋さ、漫画も『ゴルゴ13』『ルパン三世』といった男の人情や生き様みたいな哲学がある。学生運動の時代にはフォークソングが流行したが、あれだって苦学生の心に沁み入る人情のものだし、『神田川』のような都市の哀愁漂う曲はあの時代だからこそだ。今では父を「親父」母を「おふくろ」息子を「せがれ」妻を「女房」と呼ぶ人は珍しくなっているだけでなく亭主関白も時代的によろしくないが『関白宣言』は妻への愛を感じる歌だし、『おふくろさん』のように母を懐う歌はやはり人の情だ。演歌だって旅情や男女の情など人情だ。

また昭和の時代は本がよく読まれたので、文学に精通していたり漢文の知識があったり一定数インテリの人がいた。江戸時代がそこまで遠くない過去なので江戸の文化に明るかったり、今でも落語や盆栽に親しむご老人がいるのは教養のある人だ。今に通じるカルチャー面でも漫画で言えばトキワ荘で暮らした漫画家たちはみな偉大で歴史的な作品を描いたし、アニメだとジブリ作品は先駆的だった。特撮も昭和の文化だ。

 

昭和の時代、いくら馬鹿にされても何だかんだで子どもも女性も貧困者も心が強かったから、うまくやってこれた。仲間もいる。それにこれは私が羨ましく思う昭和のことだが、割とテキトーでも生きてこれた時代だった。今ならマナーに反していると厳しく糾弾されたり、制度的に経済的にどうにもならない状況があるが、実は昔のほうがそのあたりが遥かに緩かった。流石にどこでも立ちションしたり飲酒自転車運転したり「日本一まずいラーメン屋」の店主みたいな人はどうかと思うが。

ワンカップとギャンブルの予想紙を持ってるちょっとみすぼらしいオヤジ、公園の角で将棋を打つオヤジたちもいずれはいなくなってしまうのはそれはそれで悲しい。そうした人たちだけではない。下町の江戸っ子、田舎のお年寄り、すごくローカルな史跡を巡ってそこの由緒を調べて自分のウェブサイトに探訪録を載せているおじいさんや、ヨーロッパに旅行に行く老夫婦、そうした人たちを大切にしていきたいものだ。