戦後欧米文化と日本

戦後の日本人と欧米文化

日本の若者市民が本格的に欧米に憧れるようになったのは、やはり戦後からだろう。アメリカに戦争で負けてGHQの時代、そこから軍事的な戦力だけでなく圧倒的な文化の違いとそこから感じる、日本とは比べ物にならない豊かさや余裕があった。米軍人に子どもが英語で菓子をねだったり、若者が何らかの形で交流したり基地発のモノや副産物である異文化に親しんだ。当時の大人たちからすればアメリカは侵略者に他ならないし治安的にも米軍人は良くないし文化的にもふしだらに感じたことだろう。もちろん今に至る沖縄ように、良いことばかりではなかったのは事実だ。だが、戦後日本の若者が影響を受けた欧米文化は計り知れないものがある。

米軍人がシボレーといったアメ車の横で気取ったポーズを取ったり、ラジオやジュークボックスでジャズや陽気なロックンロールを聴く文化なんて、若者には刺激的すぎたはずだ。戦時中ですらアメリカはニューヨークだとかは摩天楼がそびえディズニーなどはカラーのアニメーションを作っていたのだから、日本との文化的な差はすさまじかった。電化製品から食文化まで何もかもが違った。当時の日本人だと米軍相手に商売して文化的に影響を受けた人は少なくない。ジェームズ・ディーンエルヴィス・プレスリーはスターだった。

日本が比較的平和で豊かになって高度成長期をむかえ、アメリカの直接的な影響がなくなっても依然として欧米の文化は大きな影響を若者に影響を与えた。イギリスからロックバンドのビートルズが来日して伝説になり、同じくイギリスからだとツィギーのミニスカートブームがあった。五輪と万博で多くの外国人との交流があったり、日本人にとっては大きな時代だったはずだ。社会の空気の中でアメリカのフォークやヒッピー的なものに憧れた人もいただろう。アメリカもイギリスもロックが大いに流行っていた時代だったので、音楽だけじゃなくてアメカジやハーレーダビッドソンといったバイクの文化も日本の男を刺激した。銀座のマクドナルド1号店には大勢の若者が食べに集まった。また、シャネルやディオールのブランド、エールに代表される雑誌、ファッション・香水・シャンソンなどフランスのおしゃれで豪華な文化が日本の女性に与えた影響も計り知れない。ドイツの電子音楽グループクラフトワークスウェーデンの音楽グループABBAは日本でも大ヒットした。昭和のアイドル文化はおそらくフランス・ギャルなどのシャンソンアイドル、ジャクソン5などが発祥である。

バブル時代になるとアメリカへのあこがれはさらに強まることになる。東京ディズニーランドが開園して、スピルバーグなどファミリー向け洋画のブームにマドンナやマイケル・ジャクソンなど洋楽ポップが次々とヒットした。80年代のアメリカは中流層がより郊外に住んだことで、でかい家にだだっ広い庭に家族で住んで、道路沿いにあるトイザらスシネコンやショッピングセンターやマクドナルドに行くのが豊かさの象徴になった。日本人も生活ぶりがゴージャスになって家族で郊外のマイホームにマイカー、洋画や洋楽ポップに親しんで、マックやKFCやトイザらスに行くのが楽しい時代になったのだ。ディズニーランドは夢の国である。

日本の音楽では忌野清志郎甲本ヒロトのバンドや桑田佳祐サザンオールスターズがそうであったように、欧米文化・欧米音楽に強い影響を受けた音楽は国内においても伝説化した。日本人でその人を知らない人はいなくて、間接的にも欧米的な音楽やファッションに親しんで憧れを抱いたのだ。逆に海外に行った例だとオノヨーコや少年ナイフといった人達がいる。

以降、平成の邦楽は昭和からの積み重ねだけなく、やはり欧米の影響を大いに受けているのだ。それは音楽だけでなくファッション全般に言えることだった。