2010年代って何だったん?

最悪な時代だった 2010年代

 

2010年代を振り返れば最悪な時代だった。2000年代を謳歌してきた世代として、2010年代はすべてをぶち壊しにされた地獄そのもので、こんな時代は繰り返してはいけないと思い、このブログを開設した。

私が2010年代という時代に違和感を抱いたのは2013年頃だった。まだ2010年代も始まって3年という年だったが、明らかに2000年代とは違う時代が確立されつつあるという感覚があった。社会全体がギスギスしていて、その中心にはメディアとネットがあって、ネットとリアルの垣根が無くなっているように感じたのだ。日本のカルチャーも2013年頃になるとどんどん低俗化していき、それが日本経済の低迷にも通じているのだと痛感した。

2010年代という時代は前半と後半で大きく二分できる。

これまでの「失われた20年」・2000年代後半のリーマンショック東日本大震災という日本を暗くした要因に加え、ネットの普及とユーザーリテラシーのなさ、近隣諸国との関係悪化とナショナリズム、メディアの低俗化、憎悪と差別、これらが煮えたぎったのが2013年頃も含まれる2010年代前半だ。2010年頃から2016年頃までは本当に日本中がギスギスしていて、誰もが何かを見下さないといけないという雰囲気があって、それがネットでさらに熟成されている感じがあった。

2016年頃になると憎悪社会が問題化して、2010年代前半のような露骨な憎悪というのは減っていった。欧米からポリティカル・コレクトネス運動が盛んになると、それが日本にも持ち込まれるようになったのも大きい。ところが、それも行き過ぎると既存の文化や世代を全否定するという流れも発生して、世の中の全ての価値が逆になってしまった。ネットイジメも活発になって現在に至る。

 

ブログ開設にあたって

問題はブログ開設の時期だった。

2015年頃、世の中があまりに殺伐としていて今しかないと思っていたのだが、もう少し様子を見ようと機が熟すのを待った。違和感を抱いた2010年代前半には、「ひどいのは今だけだろう、もう少し待てばまた2000年代の頃に戻れる」と考えていたのに、むしろ物事は逆に進んでいった。それがあったから、2010年代という時代を"ロムる"ことにした。

それからの数年で社会全体の憎悪はマシになっていったのに対して、2000年代といった過去の文化を懐かしまずに全否定する風潮になっていった。つい最近だと思っていた2000年代も遠くなっていった。その頃には日本どころか欧米までも悪しき「2010年代文化」に染まって行って、完全に2000年代は終わったのだと改めて実感したのだ。「2010年代文化」も確立したということでブログの開設を決めた。

 

…はずだった。2010年さえ10年前になった2020年、新型コロナウィルスが全世界に蔓延して、あらゆる生活と価値観が一変してしまった。これは全く予想のできなかったことで、何年もかけて構想を練って推敲してきたブログの下書きは内容的に変更せざるを得なくなり、これは困ったことになってしまった。再び何か月もかけて社会を"ロムる"ことにした。

とはいえ、社会は変わってしまったものの、全てが変わったわけではない。コロナをめぐる憎悪や差別、芸能人への誹謗中傷、ブームの同調圧力は2010年代から地続きで普遍の問題だ。このブログはそんなコロナ前から悪質だった社会に一石を投じるものでありたい。

 

このブログでは、2010年代という時代が抱えていた問題を様々な方面からアプローチして指摘していき、2000年代の文化も紹介していきたい。現在進行中の時事問題も積極的に取り上げ、時にはブログの趣旨とはすこし離れた話題もするだろう。

オタク女子と腐女子の15年

池袋にある「乙女ロード」とアニメイト腐女子の聖地とされる。(豊島区)



腐女子の存在感は年々増しており、2010年代を通して彼女たちは実質覇権を握って2020年代に完全に日本の文化を腐女子一色に染めた。2020年代では異常な鬼滅の刃"ブーム"やすとぷりの常態化、10代の腐女子化も進んでいる。どうしてこうなってしまったのか。従来のオタクたちが2010年代を通して層が入れ替わって今や冷笑的なにわかのキモヲタしかいなくなったように、オタク女子と腐女子がこの10年で交代した。

 

充実したオタク女子の文化と2000年代

オタクは男だけではない。オタクの気質がある女性も当然いるわけで、そういった人たちは密かに存在していた。だが、男のオタクでさえ世間的には公言がはばかられる日陰者であり、女性の場合にはなお隠れて生きないといけなかった。それでもオタクとは自分の好きなことをして生きればそれが一番の充実であり、女性であっても同じことである。最初期の頃のオタク女性は少女漫画家といった人たちであり、自分の感受性と夢想を漫画にすることができた。

そんなオタク女性が初めて表面化して活動の幅を広げられるようになったのは、2000年代のことかと思われる。それも2000年代後半だ。家庭のインターネットやニコニコ動画の普及とオタクブームによって、自分と同じような人たちがいるんだと実感できるようになった時代だ。女性がコミケに一人で行ってオタク向けのコンテンツをコソコソ消費しなくていい、自分の趣味や性癖に後ろめたさを感じなくていい、そんな時代が訪れた。ジャンプの漫画ではリボーンや銀魂といった女性ウケの良い作品が登場してそれらはオタク女性のみならず男性にも受け入れられたし、彼女たちを代表する文化になった。コスプレなどのリアルなオタク文化もこの頃で、日本のカルチャーを明るくした。

2000年代当時、私の周りにもオタクの女の子がいて、すごく面白かった。今ではステレオタイプ的である銀魂やリボーンのファンで、銀魂口調だった。男のオタクたちともウマが合って仲良くしていたし、その頃のオタクが話し上手だったように彼女もまた話術に長けていた。その子は決して美人ではなかったし"男勝り"だったが、下手に自分を繕った性格の悪い女子よりは遥かに良くて、ギャル全盛期である時代に新鮮な存在でまた違った人間の魅力や可愛さがあった。大人のオタク女性でも太っていたり個性的な雰囲気でも話せば人としての魅力があったものだった。聖☆おにいさんの作者もおそらくオタク女性なのだが、男も誰もが読んでも面白いしそういうコンテンツを作ることができた。しょこたんも代表的なオタク女性だし、大きな流れを作った。

 

2010年代初頭に増えた腐女子

2000年代後半から、オタク女性が増加していくと、男のオタクに次いでその存在が認知されるようになった。それに加えてインターネット普及やニコニコ動画の登場によって女性オタクの敷居も低くなっていった。この頃には歴史オタクの女性が「歴女」と呼ばれ始め、歴史的史跡をオタク女性やそこでコスプレ撮影をする人が増えた。だが、男オタクがそうであったように、人口増加や気軽に入れるコンテンツによって"にわかヲタク"化がオタク女子の間でも進んだ。これが"腐女子"である。

腐女子の最大の特徴とはBLをこよなく愛し、それらの絵やカラオケにいそしむことだ。BLとはボーイズラブのことで、年齢限らず男性同士の恋愛を見ることで性的高揚感をおぼえるコンテンツで、腐女子ブームの前から"薔薇"として存在していた。個人的な性的嗜好は表現・思想の自由の範疇であるだけでなく、同性愛者は差別されるべきではないのは当然のことだ。そうした前提はあるが、誰だって自分の興味のないものは見たくないし、ましてや性的なものへ拒絶を感じるのはこれもまた当然のことだ。しかしながら、腐女子は仲間で巨大なクラスターを作ってはBLコンテンツをおおっぴらにして消費していた。それだけなら男ヲタクの趣味と同じだが、腐女子は既存の版権キャラクターの男性たちを"カップリング"と称して次々同性カップルに仕立て上げた。カップリングされた男性キャラの多くは同性愛者ではないわけだし、腐女子の妄想がキャラのイメージを大いに損なうと男性オタクは憤った。

腐女子になるきっかけにはいろいろなことが考えられるが、まず彼女自身の性格の難から友人がおらず偏執的になるケースと弟の存在がある。腐女子の多くは比較的豊かな中流家庭で、両親と弟の4人家族である傾向がある。そうした環境の中で弟の読む少年誌や男児向けアニメを見ることで土壌が作られるそうだ。男性を子ども扱いしてショタ化するのも姉として弟を見る感覚と重ねているのだろうし、腐女子のどうでもいい話によく母や父や弟が登場するのも裕福な中流家庭を物語っている。腐趣味は異様なものであるが、彼女たちの家庭はそうしたものに寛容であるのだ。

2010年代前半といえば、サブカルが流行して自分こそが一番賢いという考え、日本各地に自称進学校が広まった時期だった。こうした自称進学校は勉強しかしていない性格の悪いガリ勉の巣窟だったために、にわかヲタクやまとめサイトなどネットトロールに影響された若年層を次々輩出した。男のヲタクは言うまでもないが、女子のにわかヲタクである腐女子も醸成することになった。

wt2010.hatenablog.com

こうした自称進学校腐女子たちは見た目が悪すぎるだけでなく、やはり性格が大変陰湿だった。ネチネチしていて陰口が好きなだけでなく、同世代の女の子たちとは著しくファッションセンスが乖離していたからロングスカートにずり下げたハイソックスなどひどいものだったし、無駄なところで正義感が強く(後述)、それでも自分は美人だと思っていたりした。最悪だったのだ。彼女たちは必ず美術・芸術部に所属して、そこでBLやニコニコ歌い手風の絵柄で落書きを量産したりおじさんが好きそうな変な趣味を公言するようなサブカルの塊だった。 

こうした自称進学校腐女子が増えてから、日本のハイカルチャーや娯楽にも消極的影響を及ぼした。それまで美術・芸術部といえば答えはないものの西洋美術やその人の個性と思想を高度に表現した文化的で専門的なものだった。しかし、腐女子は中学高校大学の芸術系クラブでアーティズムとは程遠い落書きを描いて芸術の価値を失墜させようとしたり、誰もが見る学校行事のリーフレットやポスターに腐女子思想満載の駄作を恥ずかしげもなく載せたりした。2000年代後半からはニコニコに加え、お絵かき投稿サイトのpixivも登場したが、pixivは落書き腐女子の本拠地となっていった。ピクシブのノリを腐女子はどこでも開陳した。また、2010年代前半では悩める思春期腐女子にとって腐女子趣味が心の拠り所となっていて、「病み」「メンヘラ」ブームもあった。うつろな目の少女が血や刃物をモチーフにしてネガティブな歌詞のボカロにそれを合わせたり、そういった女子が進撃の巨人のリヴァイ好きだったりした。腐女子は怒らせると怖く、笑顔で冷静を保っているとするアピールも大好きで、腐女子が描く落書きには「^^」の目で相手を懲らしる描写が登場するし、"暗黒微笑"と呼ばれる不敵な笑みが必殺技だ。

日本のオタク文化を破壊していったのも間違いなく腐女子であって、コンテンツの自分勝手なBL化や健全な作品に群がる行為("イナゴ"と呼ばれる)がいけなかった。イナゴ行為が商業的に上手くいくという空気ができてからは、最初から腐女子をターゲットにしたコンテンツが次々登場して、それが令和になって文化の水準をどんどん落としている。

そして大きなことに、2010年代前半からは腐女子が純粋なオタク女性のカルチャーをふしだらなナルシズムの場にしたゆゆしき問題がある。従来のオタク女性はお世辞にも美人と言えなかったり個性的な雰囲気であったが、2010年代前半には一見まともでむしろ結構な美人に見えそうな者が爆増した。それが「オタサーの姫」に代表される腐女子だ。腐女子の中では最も性格が悪く、2020年代現在の腐女子の主流層である。

性格の悪い美人風腐女子は自分がそれなりの容姿であることは自覚しているため、表に出てきたり多くの男オタクを消費者にさせることにやりがいを感じている。オタク女性がひっそりとやっていたようなコスプレイヤーメイド喫茶や声優やゴスロリは、美人風性悪腐女子がメインでやるようになって、それらは令和の地雷系レイヤーやコンカフェやvtuberになった。今だと看護系やキャバクラまたは風俗などの夜職、ワカコ酒みたいなノリで男の趣味をやって注目を集めるyoutuber女だらけだ。 

 

腐女子と日本の土着思想、そして自治意識

腐女子の話題を語る上で最大の肝と言うべきは、腐女子の土着性と自治の精神だ。俗に言われる「学級会」はまさにこれにあたる。男のヲタクが2010年代の排他的で保守化した日本社会の流れを汲むように封建化していったのと時を同じくして、腐女子もまた閉鎖的で著しく時代に逆行する思想を固めていった。

① 日本の右傾化

リアル日本社会では2000年代後半から2010年代前半に、外国は劣っていて日本が世界一だとする風潮が高まるなどその保守性というかネット右翼の権力がかなり高まっていた。中国韓国を敵視・日本スゴイ・欧米よりも日本・リベラルはダメ。当時のオタクがこうした鎖国的な思想に最も傾倒していて、中国韓国やリベラルを冷笑、欧米には無関心、自民党をオタクに友好的だと称賛、「台湾の老人」や「エルトゥールル号」や「海外の反応」で日本スゴイと喜んだり、そんな感じだった。

腐女子も例外ではなかった。2000年代後半から腐女子に非常に人気があったのがヘタリアだ。世界の国々を少年青年に擬人化したもので、いかにもニコニコのネトウヨかぶれが抱くステレオティピカルな世界観が反映されている。艦これ同様ヲタクに国際社会や歴史を単純に考えさせるコンテンツとなってしまった。さらに2010年代には刀剣乱舞という日本刀を青年男性に艦これと同じく擬人化したものが腐女子の間で流行り、そこでは「歴史修正主義者」たるネット右翼的なタームが使用される。  

さらに2010年代腐女子の間で人気があったのが、地域サブカルだ。都道府県の地図にペンタブで偏見を落書きしたものが面白いと流行ったのである。その中で埼玉県は馬鹿にされ、グンマーなどが流行り、日テレの月曜から夜ふかしはそんな低俗な地域サブカルに多大に迎合する番組だった。ゲスな女にウケが良いマツコ・デラックスの毒舌、ジャニーズタレント、地域サブカル、ネットネタは当然大受けだった。この番組によって埼玉県(民)を愚弄した翔んで埼玉は広まって社会現象化みたいになったが、あれも腐女子がガクト好きなことや地域サブカルの背景を考えれば辻褄が合う。2010年代前半では学歴・国籍・地域を扱った悪質番組が山程あった時代だった。

 

腐女子と土着日本 「大正ロマン

腐女子は「大正ロマン」が三度の飯よりも大好きで、大正時代のリアルな文化や社会システムが好きなのではなく、男性の制服や袴とか女性の振り袖にショートブーツそして狐の面が好きなのだ。腐女子のコンテンツにはだいたい大正ロマンが登場する。

だが大正時代といえば軍国主義が良しとされていた時代で、第一次世界大戦も大正時代だ。それだから大正時代を娯楽化したときに軍事や旭日旗は避けられないシンボルであって、「大正ロマン」を題材にしたコンテンツは度々主に韓国で問題となる。むろんこうした背景を知らずに純粋に楽しむことはあっても、2010年代前半では日本の右傾化と相まって意図的に消費されていたように思える。2010年代前半に艦これと千本桜がヒットした風になっていたのはまさにそうだ。

軍国主義とか抜きにしても、腐女子の思い描く「大正ロマン」は時代に逆行する明らかにダサいものだった。2000年代の日本がサブカルチャーでさえも欧米や先進性を意識したものだったのに対して、「大正ロマン」は欧米も先進性も若者らしさもない閉鎖的で前時代的なサブカルだったのだ。サブカル女王である椎名林檎が2010年代にNIPPONをリリースしたさまと腐女子のそれは同質のものといえる。また、2010年代前半の日本の音楽界は大きく低迷して、セカオワやゲスキワといったサブカルロキノンが大きな顔をしており、腐女子の多いニコニコからも歌い手や踊り手や歌ってみたがメジャーデビューする惨状だった。その中で和楽器バンドは日本の土着的な楽器を用いて千本桜を演奏するという非常に時代逆光系で腐女子好みのサブカル楽団だったありさまだ。

 

腐女子と土着日本 「成人済み」

2014年頃だった。twitterにおいて腐女子が続々とプロフィールに「成人済み」なる文言を明記し出したことに、私は絶望的な衝撃を受けた。意図としては性的な表現も問題がない年齢であることを示すものだが、"成人"を"済ませる"なんて発想は日本の極めて土着的で未開の思想だ。古代日本のハレ・ケをはじめとする二律背反は、ある基準(儀礼や結界)を超えることでしか内部集団と認めない原始的なもので、それが"成人式"と"ハタチ"信仰に体現されている。もちろん先進国でそんな思想や儀式がまかり通っているのは日本だけで、腐女子の「成人済」はモロに日本の土着思想なのだ。 

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男のヲタクが2010年代になって自治意識や選民思想を強めていくにあたって、年齢や言語による排斥はセットであった。2011年頃に「18禁」が流行語みたいになったり、別に卑猥でもない表現なのに未成年者を排除する文言を盛り込む様子、さらには"Japanese Only(日本語しかできないの意)"はやはり日本の土着思想が根底にあった。腐女子の場合は「成人済み」というあまりにもストレートな言葉を用いて土着思想を隠そうともしなかったのだ。

腐女子が「大正ロマン」好きなのも「成人済み」と通ずるものがある。それが衣装だ。「大正ロマン」のファッションは"成人式"の正装である振り袖と袴と共通し、いずれにせよ現代社会に反するものであるうえ海外でも人気の着物や浴衣とは性質の異なるものである。

 

④「学級会」の根にあるもの

ところで、腐女子の悪い性質でよく知られているものに「学級会」がある。男のヲタクにも見られる自治意識や選民思想が、小学校などでありがちな委員気取りの女子の精神が加わった悪質なものだ。腐女子のようにヲタクになる女子は上述のように美術・芸術部員が多く、他の特徴は学級委員や風紀委員である。細かなルールやマナーを作りたがるとか仕切りたがるのはそうした女子の典型的特徴だ。同時にそうした"マナー警察"的なものは日本の意味不明なルールやマナーを次々を生み出して取り仕切りたがる土着の精神と通底する。これもまた腐女子の土着性をよく表している。

腐女子は性根が良くないのにナイーヴであるという厄介な性格の持ち主で、作品のストーリー展開が悲しかったからと深く落ち込むという奇妙な繊細さを持っている。そういうことで作品に難癖をつけたり"自衛"と称して心を閉ざすのは一般人には理解し難い「学級会」の一例と言えよう。腐女子が大好きな"白ハゲ漫画"のように自分勝手な思想を陰湿な暗黒微笑漫画で主張するとか、あれも学級会だ。

 

表社会に広がった腐女子

腐女子は減るどころか、2010年代に勢力を拡大していった。2020年代には最盛期を迎えて日本社会の大部分に影響を与えるにまで至った。

2010年代半ばに腐女子は完全にその数を増していて、もはや珍しい存在ではなかった。腐女子専用コンテンツも量産され、大きなヒットとなったのがおそ松さんだ。『おそ松くん』は赤塚不二夫の名作だが、それを腐女子向けにしてしまったものだ。テニプリやフリーと全く違って別に全然イケメンじゃないのに腐女子たちの心を鷲掴みにし、その様子は男のヲタクが2010年代に全然美少女ではないキャラに群がるのとそっくりだった。男ヲタクのラブライバーなどと同じく数が多い迷惑集団と化していた腐女子は、おそ松さんをとりまく環境で迷惑とされる行動が注目されるようになった。それに加え、"嘘松"という虚言癖も有名になることとなった。

 

2010年代を通して腐女子の嗜好も大きく変貌して、それまでのオタク女性のBLや薔薇好きのように体格の良い大人の男性やイケメン青年男性から、年少の男児を好むショタコンになっていった。また、ジャニーズといったアイドルの追っかけ層と完全合流したことで勢力を広げることとなる。

2010年代半ばから後半はツイッターの時代であり、ヲタクの巣窟になった。その中でヲタクに特有の構文や語録が多用されることになり選民思想が強く陰湿なアニメアイコンが跳梁跋扈する事態となり現在に至る。腐女子ツイッターで大きな勢力となり、「成人済み」は当然のこと、迷惑きわまりない妄想の産物である下手糞な落書きや私小説を大量に投稿して検索結果を汚した。腐女子にありがちな幼い男児の目の気持ち悪い表現である「ㅎㅎ」や、ちゃんちゃんこを着ていたり猫耳の男や、"ちびキャラ"デフォルメなど、pixivに留めておけばいいのに一般人は見たくもないものが垂れ流された。他にはアニメ実写化ミュージカルやアイドルのチケットだの日程だの開催地をめぐるLineレベルの超個人的なやりとりをツイッターで繰り広げては検索の邪魔をした。

それだけではない。腐女子の鬱陶しい言い回しや他者を不快な気分にさせる自慰的な文章は、見る者にショッキングな印象を与えた。ついには腐女子は日常に性的興奮材料を求めたりツイッター上で注目を集める承認の欲望を満たすために、実和風BL目撃体験をでっち上げるようになった。作り話の多くは明らかに嘘だとわかる荒唐無稽なもので、投稿する本人がもはや作話か妄想か現実の誇張かわからなくなっているのではないと思わせるほど病的だったため、「嘘松」として有名になった。おそ松さんをダシにした嘘だったから「嘘松」と呼ばれた。性的興奮を感じる自身の体験を語る際に「え、ちょっと待って…!」から始める定型文はよく知られている。

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嘘松は失笑をかうものだったが、腐女子の構文には世間的に広がることとなってしまったものがある。「推し」と「尊い」だ。「尊い」は性的興奮を感じる要素を指して使われ、「推し」は自分の今一番好きなキャラクターすなわち一押しの意味だ。もともと「推し」は2010年代にチャートを支配した秋元康のAKBの業界で用いられた用語だが、腐女子ジャーゴンと化してついには一般的にも使われることとなってしまった。他にも2010年代後半から「○○過ぎん?」「○○しか勝たん」といった関西弁のような言い回しも腐女子が盛んに使って広まった。

 

腐向けビジネスの常態化

令和になると、腐女子は最早純粋なBL好きですらなくなっていて、アイドルのおっかけが現在の腐女子の姿だ。もともとインターネットカラオケマンとも他称されるニコニコ発の歌い手や踊り手などのネットアイドルの追っかけという土壌もあったし、V系のおっかけサブカル女性などとも合流していった。2010年代後半にはすとぷりやにじさんじといったvtuberネットアイドルが登場して、現在巨大な勢力になっている。2020年代になるとジャニーズやBTSをはじめとしたK-POPの追っかけ衆も合わさってネットでも表社会でもメインストリーム層となってしまったのだ。

こうなると世の企業や作家も商業主義として腐女子をターゲットにすれば儲かると高をくくり、国家レベルで腐女子を重要な顧客層として扱うことになっていった。腐コンテンツは日陰ではなく表に堂々と躍り出るようになり、大手企業から国会に至るまで腐女子に便乗した。週刊少年ジャンプでは腐女子向けの漫画が増えるようになり、ハイキューあたりはまだ良かったものの、鬼滅の刃で完全に週刊腐女子ジャンプと化した。鬼滅の刃は「大正ロマン」にショタコンに言い回しや思想と、その全てがこれでもかと腐女子好みの集大成であって、あろうことか2020年には事実上の社会現象となった。日本のほとんどの業界が鬼滅に便乗して、鬼滅が往年の名作を踏み台にして一大商圏を形成し、日本人はみな鬼滅好きでないと仲間はずれにされ、コロナ禍で鎖国状態の日本にふさわしい地獄の年であったのは記憶に新しい。さらにはあのディズニーでさえも腐向けの奇怪な絵柄のツイステッドワンダーランドを作り出し、サンリオのマイメロなんかは地雷系のサブカル腐女子のアイコンとなった。

 

腐女子のファッション

腐女子のファッションは若い女性としては垢抜けない印象で語られがちで、実際そのとおりではある。どういうファッションかは説明するまでもないだろう。だが、それはオタク女性のスタイルであって、現実的に腐女子のファッションは変化してきた。そうしたファッションは一見一般的に見えるもののどこか見る側に違和感を与え、また、独特なダサさを醸し出しているのだ。

2010年代から日本女性のファッションはひどいことになってしまい、その原因のひとつは腐女子であると思うのだ。イケイケのギャル的な人や読者モデルのファッションが衰退してその代わりに、アースミュージックアンドエコロジー的なファッション、ロングスカートに短い靴下のようなものが主流になった。女子高生はハイソックスをだんだんずり下げたし、衝撃的なことに小学校の卒業式では男女ともにブレザーで女の子は2010年代前半には"AKB風制服"とまで言われていたものが2010年代後半には振り袖・袴が増えた。腐女子のせいだろう。

腐女子腐女子で、2000年代・2010年代前半では若い女性のイカしているファッションで主流だったパンク系ポップティーン系のファッションを後からするようになって、そのせいでそうしたファッショナブルな服装が"ダサい"ものとして2010年代後半に認識されるようになった。ニーソックスや英字シャツはそれまで読モやギャルといった女性が履くものだったが腐女子がコスプレなどで履いたから、大人にしては"子どもっぽい""しまむらっぽい""ダサい"などと認識され出した。  

おこがましいことに、腐女子がダサいのは紛れもない事実であるにも関わらず、その数を増してからは男オタクや世の中にも物申すようになったのだ。後述するが世の中には"お気持ち"や"学級会"気分で"腐ェミ"と化したり、男オタクの描く女性のファッションや同世代の女性のファッションにいちゃもんを付け始めたのである。

togetter.com

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繰り返すが、ダサいのは腐女子であって、お前が言うことではないとなるのだ。

 

腐女子と社会問題

腐女子は一般的な女性とは別物であって嗜好が多く異なるため、同世代の女性が少ない分野に関わることが多い。そのため、地方の伝統文化などに高齢化する業界やマニアックな世界に新たに参入する若い女性はほぼ腐女子だ。そうしたケースでは成功例と言え、"若い""女性"なのは間違いないので悪い話ではない。余談ではあるが、マニアックではない産業に就く腐女子に多い職業は看護師と学校教師と風俗業だ。

上は明るい世界の腐女子であって、これが暗い方面に向くことも多い。病みが行きすぎて希死念慮や生命への歪んだ好奇心や感情のコントロール不能といったものによって、事件を起こしたり事件に巻き込まれてしまう。若い女性が関わる事件で特異なものは関係者が腐女子であることがあるのだ。さらに悪いことに、2020年代の10代女子の中には夜の街にたむろするのが社会問題になってそうした少女たちのファッションは地雷系だし、以前から"歌い手"といった地下腐男子アイドルの男に金を貢いだり性的な被害に遭う案件がある。

 

2010年代後半からは世界的にポリティカル・コレクトネスが盛んに叫ばれ、女性やLGBTや人種国籍の違い社会的弱者の権利に差別のない平等な社会の実現が社会運動的に力を強めた。日本においてはtwitterを拠点として政治的訴えのコミュニティとなって、フェミニズムなどが日々議論される場となっていた。こうした社会の流れに乗る形で腐女子も様々な主張を始めた。社会的に腐女子は第一に女性であることとK-POPなど韓国コンテンツを好むこと、LGBTに理解があると(勘違い)されることから、有利な立場であった。社会が腐女子を優遇するのも商業的に儲かるだけでなく、女性であることからマーケティングに好都合であった。つまり、腐女子がイナゴで群がっているコンテンツこそが"若い""女性"に人気でK-POPLGBTなどに理解があって先進的で優れているというふうにできるのだ。翔んで埼玉や鬼滅の刃BTSは基本ノイジーマイノリティの腐女子が面白おかしいのに、「世間みんな大好き」みたいに拡大解釈で世間のメインストリーム面をしてきた。逆に言えば、これらにはまらなかったり毛嫌いする者は時代遅れのオッサンみたいに仕立て上げることができ、鬼滅とK-POPなんかはまさにそうした負のキャンペーンに利用された。"ジャニヲタ"が昔から声の大きいノイジーマイノリティで知られていて、名探偵コナンで新一の追っかけをしていた層ともかぶり、今に始まったことではないのではあるが。 

こうしていくうちに、腐女子は自分たちが常識人でかつ社会で手厚くかばわれるべき弱者なんだという思想に陥っていく。2020年代では2010年代に学級会腐女子だった層が結婚や子育てのメイン層となったことでますますフェミニズムに傾倒しており、"腐ェミ"たる政治的主張も増えていっている。だが、腐女子は一般的な女性とは違い女性性しか共通点がなく、同性者からは同じに思われたくもないかもしれない。男のヲタクでロリコンと同じように、ショタコンが多くはっきり言ってペドファイルだ。腐女子が子育てと言っても子に健全な教育を施すかも疑問である。それにBLにしたって同性愛者を部外者が性的に消費している時点で失礼な気がしてならず、2010年代に腐女子が「ホモォ…」などとふざけていたのは差別的じゃないか。

 

腐女子と次世代

2020年代現在、2010年代を通じて完全に日本のノイジーマイノリティにまで上り詰めたが、2010年代2020年代世代である今の10代はこうした歴史を目の当たりにしていない。したがって、物心ついたときから腐女子は当たり前にそばにいて、ひょっとすれば腐女子の母親や叔母に育てられた可能性だってあるのだ。そんなことだから、腐向けコンテンツには抵抗がなくて疑問に思わないことは十分ありえる。その証拠に鬼滅の刃BTSが滅茶苦茶素晴らしいコンテンツだと錯覚していたり、どう見てもまともそうな女の子がすとぷりの追っかけだったり、将来の夢に声優とかアニソン歌手とかイラストレーターと言ってしまう時代だ。2020年代にメジャーデビューした歌い手Adoなんかはリアル2000年代を知らない2010年代世代で、ネット発・顔を出さない・病み系のMVや楽曲・大人を驚かせるような並外れた歌唱力(悪い意味で10代らしくない)は、腐女子の特徴をすべて兼ね備えている。彼女を最初知ったとき、2010年代に見てきた腐女子たちとすべて重なった。2020年代の幕開けが鬼滅やAdoや「地雷系・ぴえん系」や「推ししか勝たん」だとすると、お先は闇黒なのだ。

そして、令和からは従来のオタク女性たちが「古(いにしえ)のオタク」と揶揄されており、この流れは男のヲタクでも見られるハルヒなどの時代を懐古するのはダサいみたいなどうしようもない強がりだ。従来のオタク女性たちは今の腐女子とは別物であって、彼女たちが未来の女性サブカルチャーリーダーとして復古されるべきなのだ。 

 

 

 

 

昭和世代について

2020年代になってから、「昭和」が悪しき過去、「老害」のような扱いになっている。これは近年のポリティカル・コレクトネスの感覚からして昭和の時代ではまかり通った考えが令和では通用しないということだが、昭和の時代・昭和の世代をちゃんと振り返らないといけないのではないか。

「昭和」的なものは私に社会問題を考えさせるきっかけになったし、私は平成世代なのでリアルな昭和を知らないが、昭和の悪い部分も良い部分も十分すぎるほどに知っている。この記事では主に高度経済成長を経験した昭和世代に焦点をあてる。団塊世代とその前後の世代だ。私はあの世代に不快な思いをさせられたこともあるが、同じ昭和を過ごした世代でもバブル世代と違って尊敬できる部分や現代人が見習うべきところは山程ある。なので記事の後味が悪くならないように、先に彼らの負の部分について述べることにする。

 

昭和世代の背景

当然ながら、昔の人は今とは違う。今とは違う社会に生き、異なる考えを持ってきた。昭和の頃には今のようにあらゆる機械がある社会でもなければ、スーパーもコンビニさえもなくて人々のリアルなコミュニケーションだけだった。そしてその人間関係というのは血の繋がらない他人であってもまるで家族のように密接であって、それが社会を形作っていた。当時は物事の手段が限られていたり、そのときに最も良いやり方が自然と存在していて常識だった。今みたいに山奥で一人IT生活みたいなことはできっこないのだ。

昭和の日本人にとって明治時代は遠い過去じゃないし、下手すれば江戸時代くらいの感覚もまだ共有されていた。もっと言えば、古代の日本と地続きだ。地域の伝統や方言が現役で存在していて、神仏や祭りをまじめに重んじていた。神棚や仏壇を置くとか、皇族への絶対的な畏れとかそういうのがあった。

戦後のことをいえば、昔の日本は貧しかった。戦時中に何もかもが滅茶苦茶になり、後進国同然の状態だった。戦災瓦礫や荒れた土地にバラック闇市が形成され、孤児や物乞いや傷痍軍人がたくさんいたような状態だ。非常に苦しい時代だったことだろう。アメリカの占領も終了してやがて高度経済成長期を迎えるとこうした極端に貧しい状況は変化していくことになるが、依然として日本の貧しい部分は貧しかっただろうし集団上京した人々はだいぶ苦労したはずである。

高度経済成長時代を迎えると、日本は「戦後ではない」と言われるほどの復興を遂げただけでなくこれまでにないほどに経済発展した。ベビーブームなどで人口は多かったし、会社も学校も商店街も井戸端も相当な活気と勢いがあった。田舎だって農業や漁業が盛んに行われていて重要な産業として成り立っていた。勢いがあれば何でもできるという時代で、そこに貧富の差はなかったといえる。

そんな時代を生きた昭和世代の最大の特徴は、情熱的であることだ。生きていくためには強くないといけない、だから根性が必要だ、美徳に反することへは憤り人情に涙する、檄を飛ばすためには時に心を鬼にしないといけない。 

 

「時代遅れ」な老人としての昭和世代

さて、あなたの周りにも困った年配者がいるだろうし遭遇したことがあるはずだ。私の体験談としては、いちいち差別発言を連発する人、初対面なのに高圧的だったり明らかに舐めたタメ口で話しかけてくる人、そういった人たちがいる。田舎の親戚に会ったときも年配の人の発言には驚かされることが多いし、そういった現象がある。

麻生太郎ビートたけし石原慎太郎たかじん森喜朗など(他にもいくらでも例を挙げても良いが)を思い出してほしいが、彼らはメチャクチャだ。メチャクチャな発言、メチャクチャな行動。そして偉そう。だが、彼らは世間的に高いステイタスがあるし、批判どころか人々から尊敬されてきただろう。私の実体験で振り返っても、どう考えてもヤバいのにそのコミュニティーで高い地位があってなぜか慕われているオヤジがどこでもいた。例えば小中高校では必ず鬼みたいな体罰教師がいたし、授業もまともにしなければ差別的な笑い話や下品なセクハラ話をするようなオヤジがいた。土着的なマジョリティの権力である。

なぜ年配者が差別的な発言や失言をしてしまうのかといえば、それは今と昔では倫理観が違うからという結論に至る。今では問題になるような発想や発言が、当時では何ら問題のないこととして疑問視されることなく受け入れられていた。

昭和の頃の漫画アニメドラマ映画小説では当たり前のように差別的な文言や問題表現が出てくるが、それも今の感覚だと良くないのであってその頃は問題視されていなかった。具体的には、肌の色が濃い人種への表現、体の一部が不自由な人への表現、同性愛者を揶揄する時に使う表現、女性蔑視的な表現、などきりがない。たぶん『気狂いピエロ』や『みなしごハッチ』なんかも駄目なんじゃないか。昭和の時代に大ヒットしたダッコちゃん人形も今日ではアウトだ。『巨人の星』のスパルタ指導も今じゃ美談にはならないだろう。差別的とされるものについては平成の時代にポリティカル・コレクトネスで規制ないし表現が改定されたり注意書きが書かれていたりするようになった。

そうした時代が当たり前だった時代の人はやはり当時の感覚のままで、指摘されても何がいけないのか認識できない。それに今更考えを変えるというのはプライドが許さないだろうし、他人が思う以上に難しいことなのだ。それが政治家の老人が失言をしたり、田舎のおじいちゃんが驚きの発言をしてしまうある種の原因だ。

 

日本の土着性と家父長社会

ここからが重要である。全体的にいえることとして、昭和の時代は弱肉強食の世界なので、強い者は偉いしいちいち弱い者に気を配ることもない。それは生きるために仕方のないことだったかもしれないが、根本には日本の土着的な部分が大いにしてあった。弱者の権利を尊重しようという概念もないので別に差別的なこと言っても大丈夫だった。今だといじめに遭えばすごい問題化されるが、昔だと親が「なんでやり返さねえんだ!そんな弱っちく育てた覚えはない!」と蹴っ飛ばされて外に放り出されただろう。

社会的なマイノリティーは様々だが、最も身近な存在に女性と子どもがいる。昭和の時代は家父長制社会や年功序列社会であって、「親」「大人」「男」「父」が絶対的な権力者として下の存在を掌握して、そして下の存在である者はどんな場合であれ物申すことが許されなかった。どんな体罰教師がいても親はその教師に感謝したし、戦時中に上層部の軍人が偉かったことなどもこのあたりと通底することだ。偉くなくてもあぐらをかける。

女性や子どもは「女子供」で下の存在だった。女性や子どもの活躍や意見なんて大人の男は絶対に認めないし、「生意気なことを言うな!」とか馬鹿にされて一蹴されるものだった。この馬鹿にするというのが大きくて、最初から女性・子どもは対等ではないからと幼児語でからかったりわざと卑猥な発言をして困る様子を面白がるオヤジはいまだに見られるものだ。

家父長制にしろ、日本の土着的な家庭観や人間観が根強いのも昭和世代の特徴だ。上述の通り「大人」「親」は絶対的に偉いので、説教するときにも必ず「大人」や「親」のワードを用いる。子どもは数が多く群れみたいな感じだったので「ガキんちょ」みたいな扱いだった上、大人や親がしつけないとつけあがるといった考えがあった。だからよその子でも思い切り叱らないといけない、「同じ釜の飯を食う」的な発想があったのだ。昭和の時代では他人との距離感が近く、家庭の垣根を超えたやりとりがあった。それはやはり生きる術だったのと、隣組などの影響もあるのかもしれない。そして、家庭内では上座だとか妻が夫に何でもしてあげるとか、そういったものがあった。さらには当時は子沢山が普通で、長男が家業を受け継がないといけないものだった。

 

昭和世代と平成世代

昭和世代と平成はあまりに相性が悪かった。平成時代はポリティカル・コレクトネスで問題表現は大幅に減り、女性の社会進出もバブルで進んだ。大きな変化があったのは子どもである。昭和の時代の子どもといえば「子どもは風の子」で、大勢で外で遊んで男の子ははなたれ小僧だった。だが平成の子どもは、髪が長い少年や家でゲームばかりしていると昭和世代から見て全く別次元の存在だったのだ。特に平成にはギャル文化に携帯やパソコンなどIT化、昭和とはまるで異なった価値観やファッションが急激に台頭した。チャラチャラして社会に反抗的な若者・ひきこもりや不登校といった新たな層や社会問題は昭和世代からすれば奇怪極まりなかったに違いない。もはや『サザエさん』の家庭が平成では核家族化で珍しいものになっていただけでなく、波平のような父親は時代遅れだった。それまでの精神論や根性論も通用しないものだ。

昭和世代の気持ちもわからなくはないが、こうした昭和と平成のズレから2010年代半ばまで昭和の抵抗が起こることになる。 

髪の長い男の子は男らしくないから坊主にしろとか、若者のファッションに「色気づくな」、ピアスや髪を染めることは「親からもらった体を傷つけるな」という年配者が少なからずいた。特に年配者にとってゲームは悪の象徴的なところがあって「ピコピコ」と呼ばれていたし人を駄目にすると思われていた。若者向けのお菓子や炭酸飲料なんかも健康に悪いからとバッシングする人がいたものだ。

だが社会的にはまだまだとんでもない昭和世代があらゆる業界で権威であって、平成の世でさえもそれをありがたがる風潮があった。そうした権力者が体罰教育を行おうと、テレビでブチギレて暴れようと、その者が批判の末に立場を降ろされるようなことはなかった。それどころか「俺に殴られてよかっただろう。最近の若造は殴られてなくて甘やかされているから根性がない」と言われ、「はい!おかげで目覚めました!ありがとうございます!」というような洗脳がまだあったうえに、誰も問題だと言わずに慕う風景があった。ドキュメンタリーやドラマなどでも"人の温かみを知らない今時の若者"を力で教育して過ちを気づかせるといったストーリーが美談のようになっていた。過激なことをせずとも、みなが平和的に盛り上がっている中で昭和世代の権力者が鶴の一声的に「これ、何がおもしれえんだ?」とつぶやくだけでその場が凍りつく光景も色んな場所で見てきた。私はこうしたものが嫌いで仕方なかった。

 

昭和や高齢者を憎むべきではない

2010年代後半からグローバル化に伴うポリティカル・コレクトネスの普及やマイノリティーの地位向上やインターネットでの価値観の共有などで、昭和の時代は許された問題発言などが本格的に批判されるようになり、2020年代の令和の世では完全に許されるものではなくなった。加えて、昭和世代が後期高齢者の域に入るようになって、それまでの地位からリタイアしたり亡くなるようになった。「昭和」はもうほとんど過去だ。

2020年代では時代遅れなこと旧態依然の悪しき価値観のことを「昭和」と呼んだり、昭和の時代を生きた人たちのことを一括りに「老害」と侮るような流れがある。「昭和」は悪いからと昭和時代の文化を全否定したり、それは間違っていると思うのだ。昭和の文化に感じる良さはあるものだし、高齢者差別的なことなんてしてはいけない。

 

人情と昭和の文化

昭和世代の精神を象徴するものは「人情」である。上ではネガティブな面を書いたが、本来人情は優しいものだ。苦しい時代を生きたから、みなで一緒に親しく協力しあってきたから、人情は大切なのだ。

どこの地域でも近所で助け合って生きてきて、祭りには人がたくさん集まった。今はシャッター商店街でも昔はそこに人々の賑わいがあった。黒部ダムや新幹線や高速道路など公共事業のために働いた人たちがいた。戦後昭和は貧しい部分は貧しかったので『あしたのジョー』に出てくるようなスラムも実在したし、そこまで極端でなくとも質素で素朴な社会があった。日本人はほとんどがトタンと瓦の家屋に密集して住んでいて、畳の上家族でちゃぶ台を囲んだ。子どもたちは無邪気に生き生きと体を動かして時には危険なことにも挑戦しながら遊んだ。テレビを持っている家や定食屋に集まったりラジオでプロレスや野球や相撲に熱狂した。働いた後は飲み屋やおでん屋かラーメン屋の暖簾をくぐったことだろう。  

映像作品にしたって、『西部警察』『太陽にほえろ!』『幸福の黄色いハンカチ』などの心揺さぶられる作品や名優たちの渋さ、漫画も『ゴルゴ13』『ルパン三世』といった男の人情や生き様みたいな哲学がある。学生運動の時代にはフォークソングが流行したが、あれだって苦学生の心に沁み入る人情のものだし、『神田川』のような都市の哀愁漂う曲はあの時代だからこそだ。今では父を「親父」母を「おふくろ」息子を「せがれ」妻を「女房」と呼ぶ人は珍しくなっているだけでなく亭主関白も時代的によろしくないが『関白宣言』は妻への愛を感じる歌だし、『おふくろさん』のように母を懐う歌はやはり人の情だ。演歌だって旅情や男女の情など人情だ。

また昭和の時代は本がよく読まれたので、文学に精通していたり漢文の知識があったり一定数インテリの人がいた。江戸時代がそこまで遠くない過去なので江戸の文化に明るかったり、今でも落語や盆栽に親しむご老人がいるのは教養のある人だ。今に通じるカルチャー面でも漫画で言えばトキワ荘で暮らした漫画家たちはみな偉大で歴史的な作品を描いたし、アニメだとジブリ作品は先駆的だった。特撮も昭和の文化だ。

 

昭和の時代、いくら馬鹿にされても何だかんだで子どもも女性も貧困者も心が強かったから、うまくやってこれた。仲間もいる。それにこれは私が羨ましく思う昭和のことだが、割とテキトーでも生きてこれた時代だった。今ならマナーに反していると厳しく糾弾されたり、制度的に経済的にどうにもならない状況があるが、実は昔のほうがそのあたりが遥かに緩かった。流石にどこでも立ちションしたり飲酒自転車運転したり「日本一まずいラーメン屋」の店主みたいな人はどうかと思うが。

ワンカップとギャンブルの予想紙を持ってるちょっとみすぼらしいオヤジ、公園の角で将棋を打つオヤジたちもいずれはいなくなってしまうのはそれはそれで悲しい。そうした人たちだけではない。下町の江戸っ子、田舎のお年寄り、すごくローカルな史跡を巡ってそこの由緒を調べて自分のウェブサイトに探訪録を載せているおじいさんや、ヨーロッパに旅行に行く老夫婦、そうした人たちを大切にしていきたいものだ。

 

欧米文化と2000年代の若者

 

バブル崩壊後と伝説化する洋楽文化、教養としての欧米文化

日本ではバブルが崩壊して平成になったし、欧米では80年代のようなにぎやかな文化は減っていった。その代わり、落ち着いてよりシニカルなグランジの音楽とファッション、パンクロックやポップ・ロック、R&Bが日本でも流行した。これまでの有名な洋楽・洋画の中に「ロックの殿堂」のように伝説化した人々やコンテンツが数多くあって、世代を超えてもリスペクトの対象となっていた。

2000年代周辺では兼ねてからの日本の洋楽的音楽シーンや、洋楽についての最低限の常識があった。そして90年代後半からはライブハウスや大規模フェスといった文化がカルチャーとして大きな存在感があった。R&Bポップロックが流行した。2000年代の若者にとっても、欧米や洋楽的なカルチャーというのは非常にでかい存在だった。

90年代の欧米ではブラックカルチャーであるR&Bが流行していて、落ち着いた雰囲気で大人っぽい音楽は若者を魅了した。90年代後半からR&Bのスタイルを日本に積極的に取り入れた人といえば、安室奈美恵宇多田ヒカルがいる。安室ちゃんのファッションは若い女性をとりこにして、NYからやってきた宇多田ヒカルの本場の音楽性は日本人に衝撃を与えた。また、グリーン・デイなどから始まるアメリカンなポップロック・パンクも大きな存在感があって、PUFFYやハイスタや「青春パンク」は若者にとって青春の音楽となった。LOVE PSYCHEDELICOのように洋楽っぽい音楽、英語を盛んに取り入れた音楽もある。t.A.T.uスパイス・ガールズジャパレゲのブームもあったしヴィジュアル系ブームもあった。

 

2000年代の若者とポップカルチャー

2000年代世代(おおむね80年代90年代・平成初期に生まれた世代)ならば、洋楽っぽい文化や欧米のカルチャーにかなり親しみがあるはずだ。音楽だけじゃない。幼少期にはカートゥーンネットワークのアニメーションに親しんだ記憶があると思う。ジョニーブラボーとかフォスターズホームとかパワーパフガールズとかカーレッジくん(Courage the Cowardly Dog)とか。ビデオゲームでは『バンジョーとカズーイ』といった任天堂64のレア社のシュールなCGのゲームをやったことがあるはずだ。『ハリーポッター』や『マトリックス』に親しんできた。幼い頃からディズニーのアニメも観てきただろうし、きっとディズニーランドに連れて行ったもらったことがあるはずで、ディズニーシーもできたときには行ったことがあっただろう。

小さい頃から欧米のポップなカルチャーに触れてきた2000年代世代の子は中高生になると本格的に洋楽や洋画や洋ゲーに親しむようになった。男子ならリンキン・パークマイ・ケミカル・ロマンスがきっと大好きだっただろうし、『8 Miles』からエミネムをかっけえと思った。女子ならテイラー・スウィフトレディー・ガガに憧れ、『トワイライト』などを観たことがあるはずだ。

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2000年代の若者、中高生ならロックが最高の音楽だという感覚がある。アヴリル・ラヴィーンは日本でも相当インパクトがあって、彼女のポップなキュートさに音楽センスに魅了されたのはみな同じである。日本でのバンドブームは昔からあったものの、パンク的なファッションで爽快感のポップパンクが好まれたのは2000年代特有だ。それだから、パンクバンドを結成して学園祭のステージで披露するというのは中高生なら誰もが憧れることであった。

日本国内に関して、2000年代の邦楽シーンを振り返ってみても洋楽を感じる音楽も多かった。モンパチなど青春パンクは言うまでもなく、青山テルマSCANDALは非常に洋楽的だった。世界でも大ヒットした漫画・アニメの『NARUTO』だって主題歌が青春パンクを使っていた。今でもオシャレな店でアメリカのティーン受けしそうな洋楽が流れるのも、学園祭でバンドが演奏するのも、スポーツ特集番組で爽快感のある洋楽が流れるのも、洋楽的な音楽の雰囲気が良いという感覚があるからだ。

また、2000年代ではネット社会がかなり普及して、オタクな人でもwindowsマッキントッシュの技術に感動した。さらにはYouTubeGoogleが登場したことで世界は大きく広がり、そこで海外の知識を得ることも容易になった。

 

2010年代になって欧米カルチャーはより身近に

2010年代になってスマートフォンSNSが普及すると、欧米はより身近になった。第一にiPhoneApple社の最先端製品であり、SNStwitterからFacebookInstagramとやはりアメリカに由来するものだった。そういったSNSは日常の感動などをシェアするという欧米的な用途があって、すぐさま日本の先進的な若者たちに好まれるようになった。スターバックスコストコの日本展開も進んだ。だからイケイケな感じの女の子が海外旅行・留学に行った時の様子をインフルエンサー的ファッションで発信して、それを世界のユーザーたちを楽しむ風景があった。最新の洋楽もYouTubeで高画質で見ることができるようになった。

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欧米的なもので育った2000年代世代なら、洋楽的なものや欧米のツールは親しみのある文化として存在していた。2010年代なかばには英語圏の音楽はエド・シーランの曲など名曲が次々生まれてそれをみんな聴いたし、アウル・シティとカーリー・レイ・ジェプセンの『グッド・タイム』が流れたらノリノリで歌い出すものだ。

 

日本的なしがらみからの脱却

若者・若い女性が海外に魅力を感じて特に欧米に憧れるのは、日本的なしがらみからの解放にあった。

2000年代、少なくとも2010年代半ばまでは日本はまだまだ古典的な価値観や旧態依然の体制が主流だった。道路の開通式に何が偉いのかよくわからないスーツや着物の爺さんさんたちがひな壇に集まって升酒を飲み交わす光景とか、シャッター商店街の中で流れる演歌と相撲中継みたいな閉塞感は普通だった。それだけならまだ害はないものだが、中高年たちによる今で言うところのパワハラやセクハラはごく当たり前に存在していて、「女子供は大人・親に殴られることに感謝しないといけない」という風な考えが平然とまかり通っていた。外国人や肌の色が違う人は差別用語で呼ばれて蔑まれる風潮がまだあった。

日本の古い感覚、閉塞的な文化、そういったものにいよいよ2000年代世代の若者は嫌気が差していた。そうなると海外の文化はより魅力的に見えるものであり、事実として欧米の文化・技術・思想は日本の何十歩も先を行っていたので憧れるのは自然なことだったのだ。これは戦前からのことだが、日本人の中に欧米が先進地域である意識というのは根強かった。ポップなカルチャーだけはなく西洋クラシック音楽、科学技術、倫理法律の概念、社会の制度、スポーツ、欧米のあらゆる物事が日本には存在しなかった先進的で見習うべき発明だった。それだから主に北米に語学留学に行ったり、オセアニアにワーキングホリデーに行ったりするのがステイタスだったわけだし、逆に帰国子女は羨望のまなざしで見られた。欧米の有名人が来日すれば、あの有名な人が来たと話題になった。そうした感覚が他の世代より強いのが2000年代世代である。

欧米でも差別などがまかり通る時代はあったわけだが、昔からずっと反対の声が挙がっては改善され続けてきた。そして欧米には日本の土着的な価値観がもとから存在しない。異なる人種・女性・同性愛者・非年功序列・個を重んじる文化、が尊重される文化圏があって、日本の若者や女性にとっては日本的なしがらみから最も遠いものだったのだ。2000年代世代にとってはオバマ大統領の就任も大きな影響を与えた。

そして風刺・批判的なパンクやラップはもちろんなのだが、疾走感があって心揺さぶるサウンドのポップパンクや『Party In the USA』的な音楽やブロードウェイミュージカルやディズニー映画に魅了されるのはそこに夢と開放感があるからだ。EDMのフェスやクラブのように友達と楽しむとかパーティー文化はやはり閉塞感とは対照的であった。そうしたものは日本的しがらみを忘れることができるもので、欧米文化に親しんできた2000年代の若者はかなり進んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦後欧米文化と日本

戦後の日本人と欧米文化

日本の若者市民が本格的に欧米に憧れるようになったのは、やはり戦後からだろう。アメリカに戦争で負けてGHQの時代、そこから軍事的な戦力だけでなく圧倒的な文化の違いとそこから感じる、日本とは比べ物にならない豊かさや余裕があった。米軍人に子どもが英語で菓子をねだったり、若者が何らかの形で交流したり基地発のモノや副産物である異文化に親しんだ。当時の大人たちからすればアメリカは侵略者に他ならないし治安的にも米軍人は良くないし文化的にもふしだらに感じたことだろう。もちろん今に至る沖縄ように、良いことばかりではなかったのは事実だ。だが、戦後日本の若者が影響を受けた欧米文化は計り知れないものがある。

米軍人がシボレーといったアメ車の横で気取ったポーズを取ったり、ラジオやジュークボックスでジャズや陽気なロックンロールを聴く文化なんて、若者には刺激的すぎたはずだ。戦時中ですらアメリカはニューヨークだとかは摩天楼がそびえディズニーなどはカラーのアニメーションを作っていたのだから、日本との文化的な差はすさまじかった。電化製品から食文化まで何もかもが違った。当時の日本人だと米軍相手に商売して文化的に影響を受けた人は少なくない。ジェームズ・ディーンエルヴィス・プレスリーはスターだった。

日本が比較的平和で豊かになって高度成長期をむかえ、アメリカの直接的な影響がなくなっても依然として欧米の文化は大きな影響を若者に影響を与えた。イギリスからロックバンドのビートルズが来日して伝説になり、同じくイギリスからだとツィギーのミニスカートブームがあった。五輪と万博で多くの外国人との交流があったり、日本人にとっては大きな時代だったはずだ。社会の空気の中でアメリカのフォークやヒッピー的なものに憧れた人もいただろう。アメリカもイギリスもロックが大いに流行っていた時代だったので、音楽だけじゃなくてアメカジやハーレーダビッドソンといったバイクの文化も日本の男を刺激した。銀座のマクドナルド1号店には大勢の若者が食べに集まった。また、シャネルやディオールのブランド、エールに代表される雑誌、ファッション・香水・シャンソンなどフランスのおしゃれで豪華な文化が日本の女性に与えた影響も計り知れない。ドイツの電子音楽グループクラフトワークスウェーデンの音楽グループABBAは日本でも大ヒットした。昭和のアイドル文化はおそらくフランス・ギャルなどのシャンソンアイドル、ジャクソン5などが発祥である。

バブル時代になるとアメリカへのあこがれはさらに強まることになる。東京ディズニーランドが開園して、スピルバーグなどファミリー向け洋画のブームにマドンナやマイケル・ジャクソンなど洋楽ポップが次々とヒットした。80年代のアメリカは中流層がより郊外に住んだことで、でかい家にだだっ広い庭に家族で住んで、道路沿いにあるトイザらスシネコンやショッピングセンターやマクドナルドに行くのが豊かさの象徴になった。日本人も生活ぶりがゴージャスになって家族で郊外のマイホームにマイカー、洋画や洋楽ポップに親しんで、マックやKFCやトイザらスに行くのが楽しい時代になったのだ。ディズニーランドは夢の国である。

日本の音楽では忌野清志郎甲本ヒロトのバンドや桑田佳祐サザンオールスターズがそうであったように、欧米文化・欧米音楽に強い影響を受けた音楽は国内においても伝説化した。日本人でその人を知らない人はいなくて、間接的にも欧米的な音楽やファッションに親しんで憧れを抱いたのだ。逆に海外に行った例だとオノヨーコや少年ナイフといった人達がいる。

以降、平成の邦楽は昭和からの積み重ねだけなく、やはり欧米の影響を大いに受けているのだ。それは音楽だけでなくファッション全般に言えることだった。

 

インターネットトロールという社会問題

インターネット空間において誹謗中傷をはじめとした迷惑な行為はネット登場以来長年の問題であった。2010年代にはネットの悪意が過去最悪レベルに達して、2020年代現在ではかなりマシにはなったが、いつの時代も社会的で普遍的な課題なのだ。

 

「インターネットトロール」の定義

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「インターネットトロール」という用語がある。簡単に説明するならば、ネット上で悪意をもった行動をする者のことだ。特に匿名掲示板の「荒らし」のことを意味する。それは間違いのないことなのだが、この「インターネットトロール」は非常に便利な言葉で、あらゆる存在に当てはめることができると考えている。ネット上で悪意ある行為をする者の総称は日本語には無くて、せいぜい「荒らし」なのだ。では、どのような者がインターネットトロールにあたり、どういった存在なのかをこの記事では説明しよう。

 

まずはよく知られている「荒らし」の定義にあたるネットトロールだ。匿名掲示板や何らかのコミュニティがあったとして、そこをぶち壊すような者は古くから見られた。場違いで無意味なコピペを投稿し続けてたり、コミュニティの意図とは真逆の発言をして利用者の気分を害す者、それが「荒らし」である。無視に越したことはないものの、執拗な迷惑さゆえに無視することがもはやできない状況に陥ってしまった場合は完全に有害な存在となる。

ここからはより拡大した定義でのネットトロールとして、他人を不快にする行為をする者があてはまる。これならかなりが該当し、多かれ少なかれどこのサイトやコミュニティにもいることになる。具体的な行為として、誹謗中傷・差別行為・反社会的行動、それらの正当化や加担がある。

 

匿名性が悪意を増長するとする意見は往々にしてあるものだが、実際のところ素性を明かして活動する者でもネットトロールとしての本領を発揮することは十分ある。もちろん匿名ゆえにネット弁慶が傍若無人に暴れるのは想像通りのことであっても、姿や名前を明かしていても暴れることができるのは令和の時代からはなお明らかなことだ。わかりやすいのが意図的に不快な行為をするYouTuberや配信者であって、次にバイラルメディアやヤバいサイトのルポライターなどである。その前だと街頭に繰り出したり論客気取っていたネット右翼なんかが表社会のネットトロールといえる。

 

「思想犯型」と「愉快犯型」

インターネットトロールは大きく分けてふたつのタイプに分類できる。ひとつは「思想犯型」、もうひとつは「愉快犯型」だ。

「思想犯型」とは、その個人が強く信奉する何らかの信条があって、その信条に反する物事へ激しい憤りや反発を見せて過激な行動に走るタイプだ。些細なマナー違反を絶対に許せない"マナー警察"のたぐいから、ヘイトスピーチを行うネット右翼までその幅は広い。あるコミュニティから見てそこでの信条から逸脱している者へ抱く意識、相反する相手との対立、そしてエコーチェンバー現象、これがより思想犯型を先鋭化させる。 思想犯型には独自の正義か目的があってそれが生き様や人生の指標になっているがゆえ、それを守るためならいかなる過激な行動も自己正当化する傾向がある。これは実社会における政治や宗教の問題と全く同じことであって、そこがインターネットかどうかの違いとも言える。

「愉快犯型」は決まった正義やそれを実現するための目的を持たないタイプで、ストレスの発散・暇つぶし・ビジネスのために他人を不愉快にするとか反社会的な言動をする最も厄介な存在だ。思想犯型の場合はまだ対話や何かしら説得をもって解決できる場合もあるし、こちらから近づかないといった対処もできる。ところが、愉快犯型は思想がないわけだから叱ったりしても何も感じることはないし、反応すればその様子を楽しんでより悪化するのは明白である。無視しても向こうから来るということがあるので、通り魔みたいなものなのである。さらには一つの問題や対立に駆けつけてむやみに事を大きくしたり、わざと事態を悪くすることをしていくことから、野次馬根性的で火に油を注ぐ存在だ。

愉快犯型と思想犯型を兼ねているトロールもいて、どちらにも当てはまる者もいる。またトロールのケースとして、愉快犯型から思想犯型に変化するのは非常によく見られる現象だ。最初はおふざけや"ネタ"としてやっていたのが、だんだんマジになっていくパターンである。イジりがイジメや差別、煽りが叩きになっていくのだ。

 

ネットトロールはいかにして生まれるか

ネットトロールの中でも最も過激なタイプが、表社会で犯罪レベルの行為に走る者だ。それがネット上での気に入らない相手への復讐なのか社会への恨みなのかはそれぞれだが、いずれにしてもテロリストに通じるものがある。海外に多いタイプでハッキングなど技術的な行為をもって他者に損害を与えるのも過激なネットトロールによくあることだ。気に入らない対象に対してリアルな攻撃を加えたり、公共の場でヘイトクライムや無差別通り魔事件やテロに値する事件を起こすような連中だ。

過激なネットトロールと「無敵の人」は同一であり、要は失うものがなくて実生活が悲惨な者だ。ネットで今まで見てきたそういった人たちや私がリアルであった人たちとして、やはり何らかの問題を抱えていた。元気はあるので若年層が大半であるが、彼らはかなりの引きこもりであったり不登校児であり、ネットゲームや匿名掲示板に入り浸っているのだった。そうした若年層がそのまま歳を重ねたこともあり得る。

また、過激なネットトロールは不謹慎ネタが大好きな特徴がある。事件・事故・災害が起きたときに犠牲者を笑い草にして愚弄したり中傷することをするのだ。常人の感覚であれば理解し難いことであるが、自分こそ恵まれていないと思っている無敵の人にとって世の中の災難や他人の不幸は蜜の味ということである。

 

じゃあそういった失うものがない無敵の人のみがネットトロールなのかといえば、そんなはずがない。社会的にどんな立場にいる人間でもトロールになり得るのだ。学生による電車の遅延への悪態や主婦の夫への不満、それらだって十分入り口になる。車の運転をしていてすぐイラつく人なんてアウトだろう。インターネットの悪意を突き詰めれば、そこにあるのは負の感情であってそれはつまり不満である。不満は誰でも抱くし愚痴だってこぼす。だが、ネットはより閉鎖的で秘匿的であるので、実際に面と向かって相手に言えなかったり身近な他人に愚痴り辛いことを気軽に言えるし、より多くの者に自分の考えを知ってもらって仲間を作る機会もできる。それ自体は悪いこととは言えず、日常的で個人的な負の感情が肥大化して先鋭化していくのがネットの悪い部分だ。

日常での不満の内容によるのだ。それが社会的に取り沙汰されて改善されるようなポジティブなものなら意義があろうものの、ほとんどの人に共感されにくい暴言を含んだ愚痴や差別的なものならネガティブ極まりない。ネットではネガティブな方が受け入れられてしまうのは、やはりノイジーマイノリティ的な者や負の感情を抱えた者が集まりやすいのがネットだからだ。そしてそういった者同士が繋がり合って負の感情のコミュニティが生まれてしまうのである。差別・不寛容社会・芸能人への誹謗中傷・ネットいじめ、はそこから生まれるのである。 

そういったノイジーマイノリティが「世間のみんなはこれを正しいと言うけど実は嫌いだった」を発表して「わかる~」と共感を得ることで、まるで自分が正しくてネットの意見こそが全て本音かのような錯覚に陥ってしまう。社会的少数者に対して「やつらは恵まれすぎだ!もっと厳しくしろ!」と叫ぶのは、「俺こそ恵まれてないから社会は俺だけ援助しろ」が根底にある。ノイジーマイノリティであるネットトロールは"正論"という言葉が大好きで、よく世間的な有名人が誰かを傷つけるような発言をして問題になったときに「何が悪いんだ?」「正論だろ」とかばうのも、それが一般的感覚とのズレの表れである。

恐ろしいことにネットで正論とかネットが正義の意識が強すぎる人々はその歪んだ正義感から、自警団精神も発揮する。凶悪とも言えない過ちを犯した人を重罪人として徹底的に追い込んだり、マスコミは真実を伝えないだとか「法律が裁かないのは不公平だからネット民が裁く」などと勝手にプライバシーを暴いて私刑を加えたり、デマだって平気で流しては信じたりする。このように過激化した場合本人たちにとって絶対正義なので何を言っても正当化して、指摘した人を標的の加担者かのように扱ってくるだろう。   以前はこうしたことをするのはどちらかといえば無敵の人たちだったのが、コロナ禍からはより一般化されつつあって恐ろしい。

 

ネットトロールたちのコミュニケーション

ネットが特殊な空間で、トロールたちが集まるコミュニティやトロール自身はより特殊であることからコミュニケーションが一般的な人々とは大きく異なる。

第一にこれは普通のことだが、共通言語の存在がある。それは「スラング」と呼ばれる隠語であったり、そこでの雰囲気や定番があるものだ。ネットトロールの場合、悪い方での共通言語・コミュニケーションが発達しており、初対面の相手に喧嘩腰での対応だとか気に入らない物事に対する侮辱的な単語のボキャブラリーが豊富だ。とにかくトロールは相手を侮辱することに飢えているので、古い差別用語を引っ張り出してきたり次々と罵倒語を造語するし、伏せ字や婉曲するといった配慮すら年々失って直接的な罵倒へ向かっている。トロールは"ネット"をなにか勘違いしているところもあるので、「誹謗中傷やめろとかお前ネット向いてないよ」とか「煽り耐性ない豆腐メンタルはネットするな」みたいなことを平気で言ってしまう。

さらに、最も荒んだトロールのコミュニティではトロール同士の仲間意識は一切なくて自分以外は全員敵と考えている。トロール自体利己主義の塊なのでもとから仲間割れしやすい傾向にあって、屈辱的なレッテルを貼り合ってはどっちが上か下かの格付けをし合う。"擁護"とか"信者"または"アンチ"みたいな極端な発想ばかりなので、意見の相違が起こりやすいのも特徴だ。「俺はお前らとは違う」と。

こうした自らを社会の頂点だとか常識人と考えて他人を見下す他人を見下す考えはネットトロールに広く見られるもので、そういった考えに至るのもリアルな自分が大したことのない人間だったり日常での待遇に不満を感じているからだろう。

外国人や女性を過小評価する奴がイケてないオヤジだったり、学歴で他人をコケにする奴が浪人生や中途半端な学生だったり、理系知識やアニメ知識で一般人をあざ笑う冷笑系アニメアイコンの正体が弱っちくて暗い青年なのだ。それにネットの地味な集まり行って「俺はこんなにモテて金持ちで学歴もあって、お前らと違って俺は社会的な常識もある」と自慢するような奴も、わざわざネットでそんなことをしている時点でおかしいのは明らかなのだ。"底辺"だの"情弱"だの"低学歴"だの、最近だと"陰キャ"だのとネットトロールは頻繁に言うが、全くよく言うよとなる。

 

相手をくさすこと

これもコミュニケーションと関わることだ。ネットトロールに共通したコミュニケーションに「笑い」がある。しかしながらこの「笑い」とは笑顔ではなく、嘲笑・冷笑のことだ。

はじめは違った。電子上ではもっぱら文字でやりとりがされるために感情を表現する手段として純粋な笑いなら"(笑)"、ネットでは"藁"と表現されてきた。のちにパソコンキーボードで打つ際に"w"だけで"wara"を表現するようになり、さらに"www"とwを重ねることで笑いの度合いを表した。2000年代後半には"ワロス""ワロタ""バロス"といった独特なスラング性の高い表現が生まれ、ネットの感情表現は豊かになった。

f-navigation.jp

しかし、2000年代後半ではネットの悪意も台頭してきて、女性蔑視のために"スイーツ(笑)"と"(笑)""()"を冷笑の意味で使ったり、後述するまとめサイトを中心に「こいつ馬鹿すぎワロタwwwwww」と"w"や"ワロタ"を嘲笑のために使うようになっていった。2010年代では冷笑・嘲笑のシニシズムは深刻レベルになっていて、自分こそ賢くて自分以外みんな馬鹿みたいな考えがどこでもまかり通っていたのだ。やがて"w"を雑草に見立てて"草"と呼ぶのが流行り2020年代現在に至るが、爆笑の感がある"ワロタwwww"などと違って"草"自体がほくそ笑んでいる陰湿な含みがあり、事実「こいつ馬鹿過ぎて草」のように今までにないネガティブなニュアンスがある。 

ネットトロールは基本的にひねくれているので、相手をまともに評価できなかったりまじめなことをくさしがちだ。不謹慎ネタが大好きで、すぐ冷笑・嘲笑に走るのも非道徳的に幼稚で相手をくさすことを良しとする根性があるのだ。

 

愉快犯タイプのトロールについて

一番厄介なタイプのネットトロールそれが愉快犯タイプであった。これを具体的に見ていく。明らかに強者と弱者の関係がある場所で興味がないのに関わって強者の味方をしたり、異なる関係か良好な関係の者同士を不必要に争わせて楽しむ悪人のことだ。無作為に暴言を吐きに行ったり、そういう荒らしも含まれる。目的は暇つぶしやストレス発散、またはビジネスであり、前者の場合はこれもリアルで待遇を悪く感じでいる者、後者は悪意で稼いでいる本当に悪い輩だ。

https://anonymous-nohate.tumblr.com/post/94619620599/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B

anonymous-nohate.tumblr.com

2chのスレッドの書き込みを恣意的に抽出して並べたまとめサイトは2000年代後半から登場して、2010年代にはヘイトの温床になった。ネットトロール的精神がスマホの普及とともに表社会にまで広がった。この手のサイトは運営者への収益が生じるため流行ったが、運営者は憎悪を手元のビジネスにしか思っていないのだ。まとめサイトだけじゃなく、そこと似たようなバイラルメディアや胡散臭いルポライターが書いた週刊誌やネットメディアの煽動記事、youtubeのヘイト動画やビジネス右翼のヘイト本、迷惑youtuberや配信者、ネットの気分を害する広告、日テレの月曜から夜ふかしとか日テレの様々な番組、などのビジネス目的の憎悪拡散である。

具体的には異なるもの同士を不必要に争わせる"対立煽り"、立場的に言い返せない少数派を不快にする行為、炎上していないのに"炎上"とか勝手な勝利宣言に添えた"論破"や冷静な相手を"発狂""ブチギレ"呼ばわり、といった具合だ。まとめサイトなら隅付き括弧を使った「【悲報】【朗報】」などの枕詞や、対象をいかに馬鹿にして注目を浴びるか凝るに凝ったスレッドのタイトル(スレタイ)だ。その人の発言や言ってないことまで勝手に誇張して悪質な会話調にしたり、矢印を使って人を指差すように馬鹿にする。2010年代以降スレタイがそこらじゅうに蔓延して、私がそうだったようにそれだけの人がスレタイに傷つけられてきたかわからない。いずれにせよ煽動以外何物でもないのだ。

 

常に最悪を更新するネットトロールとおわりに

残念ながらネットトロールはインターネットの登場以来どんどん悪くなっている。2010年代後半にはヘイト条例ができてあからさまな差別は減ったし、最近の差別や誹謗中傷をめぐる議論で変化を感じるのも事実ではある。だが、スマホの普及から一般化に伴って陰湿さは増しているように感じるのだ。炎上は常に起きているし、人を馬鹿にする表現は悪化しているし、その他のSNSも妙に心地が悪い。近年ではYouTubeを中心に、わざと注目を浴びるような迷惑行為や野次馬行為や不謹慎な煽動や刺激的なアピールをすることで動画を見せようとするコンテンツは次々登場しているし、動画のコメント欄にしてもtwitterにしてもネットトロールに感化された若年層が非常に目立つ。ネットはすでに我々現代人にとって欠かせないもので、表社会との垣根などほとんどない公共の場みたいなものだ。インターネットトロール行為が社会問題なのは世界の常識であるべきなのだ。

 

ダサいVHS時代を克服した2000年代

気持ち悪くダサかった80年代・90年代

80年代90年代というと、なぜか多くの人が豪華なバブル時代や90年代後半の若者文化を連想するのだが、筆者がまっさきに思い浮かべるのは80年代から90年代前半の気持ち悪すぎる時代だ。この時代には呼び名がないが、この記事では「VHS時代」と呼ぶことにしよう。VHS時代は気持ち悪かった。

当時の映像やVHSやコンパクトカメラの写真には吐き気がするし、ゲームもファミコンゲームボーイの音源が不気味すぎて嫌いだ。第一、一般人のファッションが気持ち悪すぎで、特に子どもは悲惨な格好をさせられていた。こんな時代を自分が過ごしてしまったことを汚点に感じる。この感覚は今の10代以外の平成世代の人ならみな持っている感覚だろう。

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「子どもの頃怖かったもの」「怖いCM」で挙げられるものがどれも80年代90年代のものなのもそれを物語っている。どれも無機質なだけでなくこの世のものではない物体・キャラクター・音が子どもたちを怖がらせた。日本に限らず世界中この時代のものは不気味だった。筆者が特に気持ち悪いと思うものは、SMAPのベストフレンドのPV、大塚美容形成外科の昔のCM、NHKお話のくにの人形である。地方のテレビ局で昔あったクロージング放送も嫌いだ。最も嫌いで見るだけで吐き気がするのは救急箱のCMだ。退色した映像と古いこもったスピーカーみたいな音声もさることながら、赤ん坊と雛鳥が戯れて「ヒヨコッコみんなお母さんから生まれてきた~」と歌が流れる様子が古い古い時代のメルヘン思想全開で自分の幼少期を思い出してゲボな気分になる。

 

VHS時代にあった「メルヘン志向」

日本のメルヘン志向の萌芽は1970年代であるが、それらは地方の高原地帯にあるロッジやカフェーに行くといった若い女性たちのファンシー趣味だった。そういったメルヘン志向が大きな広がりを見せたのがVHS時代であり、その中ではサンリオが大成功をおさめた。だがVHS時代のメルヘン志向は全体的に胡散臭く宗教じみていて、悪い夢の中の世界のようなサイケ性があった。子どもたちはみな原色系の色の服でオーバーオールに謎のキャラクターの大きなワッペンが縫い付けられていて、花の萼みたいなものが付いた靴下だったりプロペラ付きの帽子だったり少年は坊ちゃんヘアーだった。

大衆的な文化にしても、メルヘン志向が際立っていた。『翼をください』、KANの『愛は勝つ』、『それが一番大事』といったあからさまなカノン進行に乗せて奇妙なほどポジティブで平和的なメッセージを唱える歌が流行った。またこの時期の日本にはおとぎの王国への憧れというのがあって、いたるところに気球や風船やおとぎの国の城、そしてそこにおとぎの国の兵隊や動物たちがいる、といった絵がたくさんあって不気味だった。この頃日本は遊園地がどこにでもあって、そういった場所ではこうしたメルヘン地獄が最も展開されていた。アンパンマンやサンリオもやはりそういった世界だ。

 

オールド左翼とメルヘン志向

VHS時代にメルヘン志向が蔓延した原因にはまずバブル的な価値観があったといえる。公共の場の意味不明なオブジェや地方の遊園地のメルヘンチックなアトラクションや置物は、当時はそれが無くなることなんて考えていないのだ。これがバブル崩壊後になると現実逃避的な意味合いもあったのかもしれない。ただ、バブル的な価値観は要因の一つに過ぎない。もう一つはオールド左翼の存在があったのではないだろうか。

戦後昭和には左翼主義者たちの運動が盛んになり、それらは60年代には学生運動や暴力的な事件が起き、70年代には欧米に感化されてヒッピーカルチャーが興った。別に左翼活動家や根っからのヒッピーでなくても、当時を経験した芸能人や文化人たちは少なからず左翼的な部分があったと言える。ただそれ以外だと、日本の戦後左翼主義者たちはだんだん宗教じみていった。「反戦」「平和」を訴えるのは結構なのだが、子どもたちと平和の歌を歌って白い鳩の折り紙を折れば世界平和が訪れる、みたいな感情論的な方向へ向かっていった。そうした中で、特に教育・福祉界では左翼主義が根強くなっていっただろう。教育は思想を教えるための手段になるのと、子どもや福祉を受ける対象が戦争といったものから最も遠い愛おしい弱者だからだ。こうした教育・福祉系の左翼主義者に主に高齢の老婆が多いのも、自らが弱いと考えているのと母性的なものを重視しがちだからで感情論的な理想主義(宗教など)に走りやすい。

平成世代ならこうしたオールド左翼の理想主義に散々振り回された悪い記憶がある。使っていた教科書の写真はダサすぎるファッションの人や、プリントには謎の天使や小人といったこの世のものではないキャラクターが描かれていておぞましかった。私の地域では無かったが、合唱で平和の歌や反戦シュプレヒコールを歌わされたり、音楽の教科書に載っている君が代をプリントで隠す学校もあったかもしれない。

そして、特に害が大きかったのが福祉の理想主義とそれの押し付けだった。VHS時代には何故か"特性のあるアレ"が多く、それに関連した施設が増加した時期でもあった。そうした施設はほとんどがとてつもない僻地にあり、そうした場所は無機質な作りな一方で手作り感あふれる奇妙な工芸品や絵や装飾(折り紙の鎖など)が飾ってあって、そこで"特性のあるアレ"と施設関係者が蠢いているのだった。それは普通の感覚からすれば地獄絵図だった。施設関係者やそういったものを称賛する者は理想主義的なオールド左翼が多くて、普通の子どもたちに"特性のあるアレ"の世話をさせたり、そこで作られたおぞましいパンやクッキーを食わせるなどした。理想主義者はそれが「平和」だと考えていた。 

VHS時代の『翼をください』やアンパンマンなんかはオールド左翼的な理想主義をすごく感じる。事実このふたつはよくオールド左翼の理想主義者が福祉で多用するコンテンツだ。VHS時代には世間的にクレヨンしんちゃんが有名になったが、あれだって初期の頃は90年代にありがちなブラックユーモアであったのでしんのすけは微妙だがボーちゃんは間違いなく"特性のあるアレ"だと分かる。

 

2000年代には完全にホラーだったVHS時代の遺物

2000年代では80年代・90年代前半は完全にホラーコンテンツだった。薄暗いVHSの映像やコンパクトカメラで撮られたコントラストの強く奥が暗い写真、そしてそこに映る人々のメルヘンチックなファッションや部屋の小物などが恐ろしく見えた。まだ1970年代や戦後のモノクロ時代の方がよほど2000年代の若者にとっては親しみやすく、VHS時代は悪夢のようだった。特に自分が親の趣味でハローキティサザエさんのタラちゃんみたいな格好で映る写真は無かった過去として葬りたいものであろう。子どもだけでなくて大人ももっさりした髪型やすだれみたいな前髪の女性、そして巨大な眼鏡など見るに耐えないファッションだった。ファミコンゲームボーイの映像や音源はこの世のものではなかった。

それだけでなく、2000年代にはまだVHS時代の遺物がそこかしこにあった。メルヘンチックな作りだが外壁も瓦も薄汚れていて窓も黄ばんだ家、その家の中にはボロボロのオーバーオールのクマやウサギや天使の人形、プラスチックか何らかの樹脂でできた家具や子ども用のおもちゃは汚く変色していた。そういったものを親戚の家など他人の家で見るたびに吐き気がした。2000年代には昭和の時代に建てられた遊園地やゲームセンターは廃墟になるか風化していた。そこにはこの世のものではないキャラクターたちがボロくたになって不気味に鎮座していたり、丸くピンク色で書かれた文字やおとぎの国で戯れる子どもたちや動物たちの看板も経年劣化で退色するかボロボロになっていて怖すぎた。救急箱のCMもそうだが、VHS時代の恐ろしさはそのままそこの"おとぎの国の仲間たち"が時代が経ってボロボロになっても永遠にゾンビのように"幸せな"時間軸の中を無限ループしているみたいなところにある。

さらに恐ろしいことに、90年代はメルヘンとは対称的なグロい事件が頻発していた時期だった。そうした時代背景を知るとなおさらVHS時代の気持ち悪さが際立つものだった。

そして2000年代に生徒学生だった人はわかると思うが、教科書に載っている人の写真が明らかに古くてダサいVHS時代のもので、小学生低学年くらいなら配られるプリントが不気味なメルヘン仕様だったはずだ。そして、教育者の方針で平和の歌を歌わされたり「××ちゃん係」をやらされたことがあるはずだ。そういった経験は普通の子どもに深い傷を刻み、トラウマティックなものになる。

 

VHS時代を上書きした2000年代

2000年代は世の中が大変貌して洗練された時代だった。当然VHS時代はダサくて気持ち悪い悪夢そのものなのだから、やめようとなったのだ。これは2000年代の子どもや若者だけでなく若い大人もみな努めたことだ。完全にVHS時代のものを無くすというふうにはならなかったが、代わりに新しい時代で上書きすることにした。

大衆文化ではまずファッションを変えた。もさい髪型・すだれみたいな前髪・でかい眼鏡・原色系の服をやめて、男性なら逆だった茶髪の髪・女性なら健康的で清楚なショートカット・その他服装は欧米のパンク系ファッションや落ち着いたものになった。また子どものファッションも大きく変わって、それまでの大人のきせかえ人形として『パーマン』みたいなファッションをさせられていたのが大きく改善され今どき風になった。音楽や映像表現、ゲームもチープだった時代からかなり進化して2020年代現在でも全く遜色ないものだ。

2000年代はダサいVHSを克服した時代だった。まさに21世紀の幕開けにふさわしいことだった。

 

VHS時代回帰は防がないといけない

しかしながら、あろうことか2010年代後半・令和になってからはVHS時代に回帰する流れが生じているように思える。バブリーダンスが流行ったり、シースルーバングやツーブロックマッシュヘアー(坊っちゃんヘアー)のトレンド化、「エモい」としてわざとVHS風の写真や映像をSNSに投稿したり若者を中心に危険な傾向だ。海外だとベイパーウェーブが流行った。彼らの多くはVHS時代の遺物を怖がった2000年代の子ども・若者ではなく、2000年代に生まれてVHS時代をむしろ斬新に感じる世代だ。VHS時代回帰は絶対に良くないことなのだ。

 

オタクの20年とヲタク

 

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2000年代後半はオタク文化が最高潮に達した時代だった。世界における日本の「オタク」カルチャーの概念化と起点もこの時代にあると言え、日本が誇る文化だ。私はいわゆるオタクではないものの、時代を通してオタク文化を見て純粋にすごさを感じた。だからこそ2010年代からのオタク文化の違和感が目に付き、どうしてこうなってしまったかなと思ってきたわけだ。

オタク文化の起源と定義を求めようとすれば、それはキリのない話になる。何か専門的になものに深く没頭する人々はみなオタクであり、アニメや漫画といったフィクションやメカニックなものを好むのがオタクとされたのは90年代くらいだろう。だがここで20世紀の話をするつもりはなく、2000年代に焦点を当てたい。 

 

日陰者だったオタク

オタクたちはマニアックな趣味にのめり込んでいるから、その趣味が一般人に理解されなかったり、オタク自身が世間のトレンドについていけないとか他者との関りが減りがちになる。それゆえオタクが独特な雰囲気を醸し出すようになり、それが世間的に気味悪がられてしまいがちだった。そしてオタクの大半は男性であり、イケてない男性だった。だが彼らは何も悪いことをしておらず、ただ自分の好きな事を追求する情熱人であったのだ。研究家にしても芸術家にしても自分の世界に没入しているひとは他人の目など気にもくれないものだ。 

そんなオタクたちの文化が一変したのが2000年代だった。インターネットだ。それまでもパソコン通信だとかメカニック面でのPCがあり続けたが、インターネットの普及は大きな変化だった。マニアックな人たちがBBS(掲示板)や個人テキストサイトに集まるようになって、趣味や知識を共有し合うコミュニティーが次々と生まれそこに文化が生じた。面白いスラングアスキーアートFlashアニメが生まれて、オタク文化が盛り上がった。

オタク文化が確立されていく中で、文化への誇りと一体感、オタクの自覚が強まっていった。そうした中で「リア充」という概念は生まれた。スラングリア充」は「リアルな生活が充実している者」を意味して、すなわち彼女がいる人や今時のファッションでイケてる友達が多いような者を指した。自分たちのようなイケてないオタクに対してリア充は羨ましい、そんな憧れがあった。

 

リア充」だったオタク

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だが、2000年代ではオタクは自覚無しにリア充そのものだったと言える。世間のカップルやリア充をうらやましいと言いつつも、彼らには上述のような文化圏が存在していて、そこには没頭できる趣味と仲間がいた。

さらに2000年代後半になると京都アニメーションのアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』などが大ヒット、ニコニコ動画も始まり、合成音声で美少女に歌わせる初音ミクも登場した。ラノベのブームも二次元絵をあしらった「痛車」も「物売るってレベルじゃねえぞ」で有名なPS3もこの時代だった。世間的にも『電車男』のヒットがあってメイド喫茶もブームになり、オタク文化アキバ系に脚光が当てられた。

オタクたちがニコニコ動画でおバカなことを本気でやろうとする姿やそれを見て「ちょwおまwマジでパねぇwww」と盛り上がったり、掲示板でオフ会を開いたり、焼肉屋に行った仮定で会話したり、文化祭でハルヒダンスや星間飛行を歌い踊る様子はリア充以外の何者でもなかった。私の周りでもオタク系の人たちはいたが、彼らはノリがよかった。こうしたら面白いああしたら面白いのアイデアを出し合っては協力して実行することもあったし、何より専門知識を自信ありげに披露するさまは素直に頼もしい感じがした。そして、らしんばんコミックマーケットに行くオタクたちは生き生きとしていた。

 

2010年代からは「にわか」と憎悪の時代へ

日本のオタクたちについて、あれ?おかしいな?となったのは、2009年頃から2010年代前半だった。 

オタクの一体感とリア充や女性への憧れが、「スイーツ(笑)」と冷笑したり、「リア充爆発しろ」という微笑ましい冗談ではなく「リア充DQNDQNは氏ね」みたいな風になっていった。2000年代後半はヤンキーと恋愛が至上主義だったので気持ちは分かるがよくない傾向だった。また、日本の右傾化や周辺諸国との関係悪化などで、韓国・中国を叩いたり笑うのがネット全体で定番化していき、当時の民主党などリベラル系政党を馬鹿にするのがオタクの間でもトレンドになった。当時は総理大臣も務めた保守系麻生太郎ローゼンメイデンに理解があるとかで「ローゼン閣下」と持ち上げたり、ニコニコではヘイトコンテンツだらけだった。

2010年代に突入すると、状況はより悪くなった。オタクの右傾化は深まり、そのうえこの頃の状況として、オタクが一般化して「オタクは偉い」「オタクを生み出した日本はすごい」といった考えが蔓延していた。『gate』『ヘタリア』『絶望先生』「海外の反応シリーズ」のヒット、中国に対する「日本鬼子」「涼宮ハルピン」なんか典型的だった。

加えてオタクたちに芽生えたのが自治意識だ。日本のオタク文化圏を護るべき聖域として、閉鎖的になる様子があらわになった。リア充・女性・外国に対する態度もさることながら、過剰なまでに著作権について強い正義感を振りかざしたり、年少者を排斥するような流れがあった。著作物は世間で評価されないオタクにとって子のようなもの、自らがコンテンツを生み出しているんだという意識があったが、その一方でJASRACやディズニーを「著作権ヤクザ」と呼ぶ矛盾もあった。また、18歳未満の未成年者を必要以上に排除しては2011年頃には無意味に「18禁」を叫んで面白がる空気、当時未成年者だったゆとり世代の若者を「ゆとり」と呼んで馬鹿にする流れもあった。こうしたオタクの自治意識は時の石原慎太郎都政による悪政「青少年育成条例」によって拍車がかかることになってしまう。

 

オタクの自治意識はオタクの一般化とも比例するものだった。オタクブーム以降、世間でオタクが広く知れ渡るようになったのと各家庭にパソコンが普及したことで、一般人もサブカルチャーに盛んに参加するようになった。ところが、これによってオタクを冷やかすかのごとく「にわか」が増えていった。それまで一切アニメもゲームも興味ないリア充寄りの人々がふざけてオタクを自称したり、そういった現象が見られた。

その頃の秋葉原はどんどんきれいな街へと変化していて、その様子はにわかオタの増加ともかぶるものだった。とっくに鉄道博物館は閉館していたし、つくばエクスプレスの開業とどでかいヨドバシの開店、バスケットコートのあったあたりは奇麗な千代田区らしいUDXビルになっていた。そこをカップルが闊歩し、2000年代後半すら秋葉原の変化を嘆く声があったのを覚えている。2010年代にはデ・ジ・キャラットでじこ看板が外された。

重大な事にリーマンショックはやはり暗い影を落とし、それが氷河期世代であるオタクの右傾化や自治意識を招いたといえる。そして、秋葉原は"あの事件"の舞台になってしまった。この暗くギスギスした感じは2010年代へとつながっていった。

 

陳腐化した日本文化

日本のネット社会も表社会文化も落ちたのが2010年代だった。その頃の日本はというと、第二次安倍政権下で右傾化・内向化が起きていて、外国を蔑視しては日本こそが絶対正義的な感じだった。その中で内向的な国産サブカルチャーと芸能事務所によるコンテンツがゴリ押しされ、日本の文化は陳腐化を極めていた。その陳腐な文化の一つに当時のオタク文化やネットの憎悪社会があり、この頃には悪質なまとめサイトが猛威をふるっていたこととスマホの普及もあって、一般社会にもネットの低俗なノリが浸透していくことになった。

表社会のマスメディアがとにかく狂っていた。そしてそれはネットの影響が大いにしてあった。外国人に日本をすごいと言わせ海外が劣っているとする「海外の反応」日本スゴイコンテンツ、ネトウヨ思想で韓国・中国がいかに悪いかを語るTV番組に週刊誌にヘイト本、埼玉といった特定の地域を馬鹿にする月曜から夜ふかしマツコ・デラックス、学歴格付けバラエティ、ゆとり世代をコケにするコンテンツ、非常識な女性を女性タレントたちが悪口言う番組。歌番組を見ればサブカルバンドや歌い手や地下アイドルしかおらず、それらはネット由来だった。

ネットにしても表メディアにしても、それらを作っていたのは80年代90年代こそが我が青春のギョーカイ人やオタクのオッサンたちであった。エヴァガンプラの世代だ。それが問題だった。彼らは90年代のアングラサブカルのノリで特定の民族や地域を差別的に消費するし、アイドル女のコやグラビアAVが大好きで、ゆとり世代を馬鹿にする世代で、そしてネット社会の第一世代だったのだ。マツコ・デラックスなんて90年代のアングラサブカルの擬人化みたいなものだし、秋元康クドカンなんて典型的なバブル世代だった。

 

そんな悪いサブカルの中でオタク文化はもっぱら日本のメインストリームとしてもてはやされ、排他的な人々と親和性があるものだった。

オタクになる人とは上で述べたように引っ込み思案だったり自分の世界に没頭する人々だった。それがオタクがある程度知名度を上げると自治意識を持って攻撃性を持つようになったのも上に書いたとおりだ。これが更に悪化したのが2010年代であり、低俗メディアとスマホ普及によるオタクの一般化と社会の低俗化でますます自治意識が高まったうえに「にわかオタク(以下「ヲタク」と表記)」が激増した。自治意識を持つヲタクたちと深い関わりがあるのがガリ勉である。

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2010年代前半には学歴格付けブームがあって自称進学校の存在も顕になった時代だった。自称進学校では受験のことだけを教え、自分の勉強の世界に没頭させて他者を敵だとか馬鹿だと錯覚させ、青春や道徳や交友関係が一切ないので、極めて閉鎖的な人間を育成する環境だ。そうした人間がハマるのもまたオタク文化であり、2010年代前半だと出たばかりのスマホから俗悪なネットにのめりこむようになった。その結果、学歴厨やネトウヨになり、怪しいサブカルや過激なニコニコや2chのネタに染まり、話題作りのためにアニメやゲームをするようになった。彼らがネット上で一般的な若者や外国の文化を毛嫌いしたり、特定の大学を「Fラン」と呼んだり、「フェミニスト」を敵視したり、twitter上でアニメアイコンに設定して暴言を吐く者どもの正体だ。特にいわゆる理系の場合はよりマニアックで男性に偏って研究室など閉鎖的な環境に置かれるためにヲタクになりやすく、彼らはいわゆる文系を徹底的に馬鹿にしては自分たち理系でオタクこそが常識だと考えがちだ。ヲタクにはプログラマーが多い。また、嫉妬から一般人・リア充を批判するのに、twitter(バカッターと呼ばれた)や渋谷ハロウィンやBBQなど彼らの社会的なマナーの違反をあげつらったりするのもいかにもといったところだった。

 

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自称進学校の学生だけではない。大人でもやはりガリ勉気質で閉鎖的な人々がヲタクになる傾向があった。2010年代前半にはサブカルオッサンとスマホのせいでネットの悪ノリが日本のメインストリーム担った時代だったが、本来公共性を保たないといけない社会も積極的にヲタクに迎合する動きがあった。

地方自治体では二次元少女キャラを使って「萌えおこし」、大手企業が公式ツイッターでヲタクのネタに乗っかる「中の人」を演じ、NHK小林幸子の「ラスボス」などネットのネタを扱う。こうした行為は公共性を欠いており個人の勝手な趣味を万人が知っている前提で垂れ流すという、公務員や大企業なら問題のあるふるまいだ。これがまだ「テレ東伝説」・「台風コロッケ」・「クソワロタwww」くらいなら内輪ノリで誰も傷つくことはないが、「グンマー」だとか埼玉県民を愚弄した『翔んで埼玉』といった悪意あるコンテンツに行政などさえ乗るのは異常なことだった。

なぜ公務員や大手企業までもがヲタクになるのかといえば、これも自称進学校や理系のガリ勉がヲタクになるのと同じことだ。狭い環境に置かれた陰気でガリ勉気質の人々が、自分(たち)の世界こそが世間の常識でありすべてだと錯覚してしまうのである。そしてそれは自民のニコニコブースのように保守的な政治ともつながることだ。

 

オタクの崩壊とヲタクの世界

2010年代ではすでに「オタク」は形骸化していた。無趣味なヲタクたちはアニメアイコンにしてネットのノリだけがアイデンティティであり、従来のオタクでは全くなかった。

重要なこととして、この時代では量産型深夜アニメと量産型スマホゲームが流行っていたことがある。まず量産型アニメとは、年齢不詳(ペドファイル?)の二次元少女たちが中身のない日常を過ごたりオッサンの趣味をするもので、「美少女動物園」と揶揄されるものだ。ゲームに関しても据え置きから、スマホの課金などによるガチャゲームが主流になっていて、モノを二次元少女に擬人化したのをコンプリートするゲームしかなくなっていた。そして、そこに出てくる二次元少女たちは萌え絵とも異なるものだった。ヲタクたちはこうした中身のないコンテンツをしていればオタクだと自認していた。いわゆる腐女子も増え、「オタサーの姫」など様々な影響を与えた。

こうした量産型コンテンツと関わりが深かったのが「同人ゴロ」である。ヲタクのアイデンティティとは量産アニメ・ゲームをすることでヲタクの社会から孤立しないことで、pixivやニコニコを中心として常に流行に乗らなければダメという考えがあった。そのため、流行っているキャラがいればヲタクたちが一斉にそれの絵を描いてpixivに投稿した。描くキャラは可愛くなくて一様、絵柄も金太郎飴、エロの表現に関してもマイナーなフェティッシュ的なものではなく爆乳やおねショタやNTRといったどうしようもない流行にひたすら便乗するだけだった。こうした「同人ゴロ」にはもはや自分の好きなものを極める従来のオタクの姿は無かった。私が最初に同人ゴロの存在を知ったのは艦これからだ。

 

2010年代後半にはさらにヲタクの文化は量産的になって現在に至る。

量産型アニメや量産型スマホゲームは今もヲタクのメインストリームだし、声優のことを過剰なまで気にする昔のオタクにはなかった文化も健在だ。モノや動物を擬人化したアニメ・ゲームは人気だ。冴えないヲタクがRPGのヨーロッパ世界に行って無双する「小説家になろう」も同じ設定同じ内容のものが量産された。さらに、3D型二次元アニメにアテレコするVtuberオタサーの姫やキャバクラのような存在でヲタクたちの間で大ブームとなった。ポプテピピックは2010年代ヲタク文化をよく表している。

自分こそがオタクだと標榜するヲタクたちの自治意識・選民意識、過激化も進んだ。テレビを中心としたマスコミはオタクの偏見を煽った歴史があるとして表社会のメディアを憎んだり、一般人の知識の無知を咎めて冷笑した。表向きは安全性を案ずる装いで知識で冷笑する「現場猫」や、理系知識の開陳も甚だしい。自分(たち)こそ差別されてきて偏見を持たれたと卑屈になったヲタクたちが、オタク文化規制派と親和性のあるとされる世間の活動家やマスメディアなどを思想的に罵るなど先鋭化も著しくなった。ヲタクは同人ゴロや差別や冷笑といった反社会的な価値観をよしとする者が多い一方で著作権自治意識や「転売ヤー」に対する正義感も強まった。またスラングジャーゴンとしては「これ面白いと思ってるあたりほんとすきすぎて草」といった陰湿な言い回しや回りくどい言い回しが好まれ、炎上した人を面白がるコンテンツも流行るようになった。迷惑ラブライバーの存在もあった。

 

 

オタクのこれから

良くも悪くもオタク文化は世界的なものになった。文化的に近いアジア圏はもとより、それまでドラゴンボールセーラームーンくらいしか知られていなかった欧米圏でもマイナーな日本のオタクカルチャーは人気が出る時代になった。コスプレもVtuberもhentaiも人気だ。どこの国でも基本的にそれがメインストリームになることはないし、日本においてもサブカルチャーであるのがふさわしいと思える。中国と韓国がオタク文化に十分すぎる理解があるといはいえ、ライバルとして注視していく必要がある。また、腐女子といったオタクと似て非なる集団や世間との兼ね合いも今後の課題だ。