日中関係について

 

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西川口



日本人にとっての中国

"中国"は日本人にとって古代から最も身近な異文化であり、近代まで見習うべき大陸の先進国であった。それは日本にとっての話だけでなく、世界の歴史の中で進んだ文明を持っていた中国の影響力は洋の東西を問わず大きなものだった。中国側から見ると"中華"も世界の中心を意味して、中華文明は内部の興亡を繰り返しながら常に発展し続けてきた。とにもかくにも昔の日本人にとって中国は遣隋使や遣唐使など文化・学問・技術・社会制度の上で学ぶ部分が多く、団塊世代くらいまでは学術の中心たる感覚があった。

近代になるにつれて欧米が先進国としての地位と技術を高めていくうちに、日本にとっての見習うべき国は中国から欧米へと変わっていった。その中で日本(大日本帝国)は軍国主義が進み、かなり端折ることなるが、様々な戦争や混乱、事件を経て日本と中国の間には長い歴史問題が生じることとなった。南京や731などの事件、残留孤児の問題、これらは戦争が招いた悲劇である。やがて中国は共産主義国家化して日本は戦後に今のような民主国家化、日本と中国の関係は複雑で昔とは全く違うものになっていた。70年代には田中角栄周恩来日中国交正常化が行われたが、中国が体制的に開かれていない国で先進的でなかったのと非人道的な事件によってイメージが悪く、日本との歴史問題も完全に解決したわけではなかった。

そんな中国ではあるが、日本人にとって"中国"は歴史的なダイナミックさとロマンを感じるうえで親しみのある国だった。古代中国に書かれたものは教養であることに変わりなく、中国大陸には歴史的価値のあるものがあって、中国料理は豪華で美味しい、そんな印象だっただろう。団塊世代くらいまでは教養としての印象があった。団塊以降の世代でもステレオタイプ的ではあるがらんまなどパンダやチャイナドレスが好意的に見られ、2000年代にはウーロン茶のCMや女子十二楽坊がヒットした。三国志や麻雀ブームも80年代にあった。

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事態が変化したのが2000年代後半からだった。

それまでも小泉純一郎氏の靖国参拝などで中国国内で日本への反感が高まって過激なデモや日本製品不買を呼びかける"抵制日貨"が起きたが、日本でそこまで大事になった覚えがない。2000年代当時の日本からすれば中国は閉鎖的な発展途上国であって、日本嫌いも「中国だからなあ」といった感じで北朝鮮と同じ扱いだった。

それが、2000年代後半になると、インターネットやワイドショーの活発化によって中国の著作権やマナー問題が叫ばれるようになり、日本人が内に秘めていた中国へのネガティブな意識があらわになった。北京オリンピックの決定と開催は中国と敵対して下に見ていた日本にとって不満材料となり、リーマンショックの時期とも重なって中国脅威論的なものが台頭するようになった。ネット右翼・週刊誌・ワイドショーは批判できそうなネタを探した。

まず行われたのが中国人批判だった。日本にはもとから「日本人は世界一マナーを守って礼儀正しい」という自負があって、それに対して中国人はすこぶるマナーが悪いことを非難すものだ。日本人のマナー意識については同調圧力や国内での価値観に過ぎないもので、中国人に関してもあの人口だから十人十色で素行が悪かったとしたらその人自身か教育の問題であるのに、十把一絡げな中国人叩きが行われたのだ。こうした論調はヘイトスピーチのまかり通るネット上で大いに支持され、フジテレビの『スーパーニュース』なんかが盛んに中国人観光客のマナーの悪さを取り上げた。

またこれもマナー問題と繋がることで、中国では著作権が守られないことが大々的に報じされた。石景山遊園地の偽ミッキーや偽涼宮ハルヒなどのまがい物がネットやワイドショーで取り上げられ、嘲笑・憎悪を招いた。偽物が違法であることに変わりないとして、日本でここまでこれが話題を集めたのには、日本のコンテンツへの誇りと「中国は途上国だから日本のパクリしかできない」という考えがある。ネット右翼とも層がかぶるオタク層は2000年代が絶頂期であって、彼らが誇る日本のコンテンツをかすめ取られることは当然許せたことではなかった。ちなみに中国でパチものがまかり通るのは著作権の概念の乏しさに加えて、様々な制限があることや特許早い者勝ちの考えがあると考えられる。

さらに中国脅威論を強化したのが、中国製冷凍餃子事件とチベットへの圧力だった。食品問題は人々の生活とも密接で身近なことだったので、餃子事件からワイドショーや週刊誌は中国食品の危険性を次々と報じて、"人毛醤油"や"地溝油"や"段ボール肉まん"など都市伝説染みた食品が紹介された。食品だけでなく工業製品などが破裂することを"チャイナボカン"と呼ぶ流れがネット上で起こった。こうしたことがあって、日本人の中で"中国製""中国産"はチャイナフリー、粗悪と危険の象徴となった。中国が「世界の工場」で日常のあらゆるものが生産されているのと、生産者のテキトーな態度と安価な大量生産のイメージが粗悪なイメージを高めていった。また、北京五輪の頃には"フリーチベット"も叫ばれ、中国政府のチベットウイグルへの圧力から、中国脅威論が政治的に強まった。

 

日中関係が最悪になった2010年代前半 

そうして2010年代に突入して起きたのが、あの尖閣ビデオ事件だった。2010年代の幕開け、2010年で思い出すことといえば、尖閣ビデオ事件だ。日本と中国の間で領有権が争われる尖閣諸島周辺海上で中国側の漁船が海上保安庁の船に衝突して、その様子を収めた映像を海上保安官がネット上に公開した事件だった。ただでさえ日本と中国は政治的な認識をめぐって齟齬がある中、この事件はセンセーショナルに報じられてより両国は関係がくすぶることとなった。


連日ワイドショーは映像を流して、サイレンが鳴り響く中激しく衝突する中国漁船の様子がセンセーショナルに伝えられた。日本の領域を侵害して国防にあたる巡視船にぶつかる「中国」は、当然日本人にとって脅威で許せないものとして映った。中国でも日本に対する抗議が起こった。

日本人が怒るべきは漁船の行動や中国政府の姿勢なのだが、どういうわけだか「中国人」に対する憎悪感情が悪化していった。思い出せば本当にひどくて、私の周りの人もみな日常会話で中国人の悪口を言っていて、ちょっとマナー違反なことをすれば「お前中国人かよ」とか本人は冗談のつもりでもヘイトスピーチめいたことを言い合う光景があった。2012年の尖閣国有化で日中関係が最悪になった時には、ここには書けないようなことを言っていた人もいた。

なぜ国家間の政治的な問題が日本で民族差別的な方向へ向かっていったかといえば、そこにはネットとワイドショーの存在があった。「〇〇人はこうだ」と一括りにした言い方はもともと単純で好まれやすいのと、日本で抱かれてきた中国へのネガティブな潜在意識があったのに加えて、2000年代後半から中国嫌悪を煽ってきたネットとワイドショーの努力が実ったのだった。事実として、尖閣事件以降に毎日のように中国(人)に対する憎悪を煽る特集がテレビで流れた。壁に挟まる人、ビルの屋上に家を建てる人、危ない食品、日本でマナー違反行為をする人、などだ。ワイドショーは国民にとって身近でわかりやすくて、難しい政治の話よりも如何に中国人が異常かを強調した方がエンタメ的に楽しかったのだろう。映像を流し続けた結果、日本で中国人のステレオタイプが固定されていきヘイト思想が蔓延することになった。

恐ろしいのがワイドショーなんかが壁に挟まる中国人を面白おかしく取り上げて、最初はこれだから中国人は~と笑っておいて、だんだん中国人の生態だとかおかしなことを言いだして、最終的に政治的な話題に繋げて自称評論家たちが中国人にキレていることだった。私の個人的体験では、田舎の親戚の家に行くと唯一の娯楽としてワイドショーがあって、中国特集が流れると一同で中国人の悪口を言い合う風景があった。私はそんなので家族団欒なんておかしいと思ったし、私の知人で中国人へのヘイト発言を繰り返す人についても間違っていると思っていた。だが、それを指摘することはできなかった。他にも、少しヘタッピな絵があると「中国製」「中国産」だと茶化したり、仲間内のマナーの悪さを「中国人かよ」とツッコむという、そんな光景に幾度となく遭遇してなんと程度の低い笑いだろうと暗澹たる気分になった。「中華」や「チャイニーズ」など本来は普通の単語を悪意的に使う人も増えた。それは石原慎太郎ネット右翼が中国をわざと昔の名前で呼ぶのと同じ感覚だったのだろう。

 

変わる中国 変わる日本

中国が急成長したのは北京オリンピック後の2010年代からだった。経済特区から地方都市まで摩天楼が雨後の筍のように建って、毎月のように高速道路・高速鉄道・地下鉄などインフラが開通して、金持ちの中国人が増えた。それが2010年代前半のことで、日本をGDPで抜いた頃でもあった。2010年代前半はまさに過渡期で、日本にツアー旅行して「爆買い」した人たちはバブル時代の日本人と重なる。マナーが悪いと言われるのも中国の主に中高年であって、それを批判するのが日本の中高年バブル世代というのは何とも皮肉な事だ。中国はその後も現在に至るまで成長を続けて、特にIT分野で飛躍的な進化を遂げた。

日本の2000年代世代にあたる中国の「80後・90後世代」は日本に対して比較的好意的であって政治歴史問題と文化民族をすぐ結び付けない若者たちだ。これが2000年以降に生まれた2010年代世代になるとさらに違って、日中ともに互いの文化を認め合っている。両者を結ぶのがネット社会で、BilibiliやTikTokや荒野行動などのゲームと挙げたらきりがない。オタク文化の理解もある。日本のあらゆる職場や大学で中国人が増えたことも大きい。かつての中国のイメージであった、みんな天安門広場で人民服を着て自転車に乗っていて、反日的で粗悪の象徴というのも変化していて、近未来的な都市だとかIT先進国の認識が10代の感覚だろう。華為のスマホも10年前なら考えられないことだった。

ただし、中華人民共和国があくまであの体制なのは変わりないことだ。経済発展の中で大気汚染(PM2.5)、情報社会での不穏さ、「一帯一路」をはじめとした対外政策やアメリカとの関係、香港に対する態度、人権軽視、など問題があることも事実である。新型コロナウィルスの感染拡大で発生源とされる中国は国際的に責任を問われるだろうし、日本のネットではコロナ禍に際して中国人ヘイト発言も散見された。まだまだの部分も多い。

こうして日中の10年を振り返るとなかなかの激動ぶりで、考えさせられるものがある。今後がどうなるかなんてわからなくて、それでも両国には良い関係を保っていてほしい。文化レベルでのつながりと若い世代の感覚が大切なのだ。