2000年代が最先端の時代だ

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原宿



2010年代がすでに10年選手の域に入っているのが信じられないと同時に、2000年代が20年前なことを受け入れることができない。2000年代に思い入れのある2000年代世代ならば、00年代はつい最近で90年代はちょっと前、2010年代に至っては数年前という感覚があるはずだ。

 

2000年代という時代は急激な変化を体験した時代だった。2020年代から見て10年前20年前を違和感なく見ることができても、30年前(90年代前半)となると別世界のように見える。その別世界感が身近だったのが2000年代だ。日本社会全体で「古臭いもの」を覆そう「新しいものを求めよう」という気概があったのだ。

2000年代世代の若者の中心は80年代・90年代生まれの平成生まれ平成育ちだ。平成世代にとって「昭和」の呪縛はトラウマティックなものとなっていた。当時はまだ保守的な昭和世代の価値観が全ての中心で、若者・子どもであった平成世代にとってそれらは窮屈極まりなかった。保守派だけではない。それに加えて、幼少期を過ごした80年代・90年代はダサくて気持ち悪いの象徴だった。80年代・90年代はバブルとメルヘンブームで不気味な時代だったし、子どもたちは壊れたファミコンみたいな不気味な格好をさせられたり、大人が子どもに子どもらしさを求めすぎていて気持ち悪かった。そんなことだから今の20代・30代は平成初期のことなんて思い出したくないだろうし、その反発としての2000年代があった。

 

「平成」の確立

私は90年代といえば前半の方を思い浮かべるものだが、巷で「90年代」といえば何故か90年代後半を連想する人が多い。私から言わせれば90年代後半は2000年代と同じで、2000年代の基礎を作った過渡期だった。渋谷・原宿のコギャル、ルーズソックスやたまごっちやプリクラやパラパラなどの文化といった「平成っぽさ」の確立したのも90年代後半で、パソコンや秋葉原オタク文化も90年代後半、大衆の音楽シーンやファッションもだいぶ洗練されて80年代・90年代の野暮と「昭和っぽさ」から脱していった。ただ、まだ治安は良くなかった。

 

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2000年代の文化は明らかに90年代や昭和とは違った。90年代後半も00年代に入ると健全化していき、それぞれの文化は「平成っぽい」若者文化として洗練されて定着していくことになった。若者にはみな夢や居場所があって「昭和は古い」という認識があったので、尖ったファッションや考え方を好んで女の子はカワイイものを好んだ。髪型は茶髪金髪に男女ともに爽やかなショートカットが好まれ、眉毛は細めに、女の子はすっぴんに近いナチュラルなメイクに露出の多いファッションをしていた。バブル時代のようなふざけたファッションではなく、どんどん都会的になっていったのだ。携帯電話文化、プリクラ文化、後述する若者言葉は完全に文化として定着していくこととなる。ドラマの様式や漫画の絵柄も2000年代になると今見ても自然に見ることができ、音楽も昭和っぽい歌謡曲やアイドルや胡散臭い曲がぐっと減って洗練されていった。

 

欧米に憧れた音楽シーンと大衆音楽

日本の音楽は昭和の頃から演歌含め歌謡曲や聖子ちゃん的なアイドルの独壇場であって、一部を除けば内向的な「邦楽」だった。90年代後半になると小室哲哉の音楽が主流になったものの、アイドルのディスコソングといった感じでバブルっぽかった。だが、その小室サウンドの中でも違ったのが安室奈美恵である。野暮なバブルや昭和のファッションを覆す彼女のスタイルやスター性というのは一線を画すものであり、欧米的だった。女の子たちは彼女に憧れないわけなく、「アムラー」としてファッションを真似するようになった。

そのちょっと後、さらに日本に衝撃が走ることになる。宇多田ヒカルの登場だ。帰国子女である彼女はニューヨークでリアルな最先端の欧米文化に親しんで育ち、日本に本場のR&Bを持ち込んだ。彼女は自分で曲を作っていたわけだが、日本にはなかった洗練された音楽性や高校生ほどの年齢にして大人よりも大人びた歌詞は日本人には刺激的過ぎた。90年代後半にはPUFFYのヒットもあり、こちらも本場アメリカのロックシーンに影響を受けたガールズバンドで、世の女の子たちは彼女たちに憧れた。

2000年代には若者音楽としてやはり欧米に憧れた音楽が人気を集めた。欧米的な音楽で若者の反骨心の代表であるロックは日本でも一部の若者にポピュラーであって、昭和の頃から形を変えて90年代後半にはHi-STANDARDのパンクが人気になって、2000年代には「青春パンク」として大衆的にも若者音楽として定着することになった。青春を歌った歌詞を爽快感のあるパンク音楽に載せた青春パンクは、若者たちにとって大きな刺激となってライブ・学園祭・スポーツのイメージで定番となった。2000年代世代ならみんなMONGOL800の『小さな恋のうた』を歌うことができる。青春パンクに似たものだとORANGE RANGEが大流行して、彼らは流行最先端の若者たちというイメージがあった・さらに日本では90年代後半にZeebraなどが欧米黒人文化であるラップを始めて、2000年代では邦楽でもHIP HOPが進んだ尖った音楽として定着するすることになった。「ジャパレゲ」も流行して海外の音楽を取り入れようとする動きが高まった。

大衆音楽であるいわゆるJ-POPにも変化が訪れる。2000年代には甘酸っぱい恋愛や切ない感情やまっすぐな青春を描いた歌詞が増え、Kiroro大塚愛、ZONEの曲が2000年代前半に流行った。2000年代後半には木村カエラ、superfly、いきものがかりといった明るく全世代に受ける感じの音楽が増えていった。YUIも2000年代後半だった。バラードの曲や落ち着いた曲も増え、ゴスペラーズ福山雅治の曲がよく流れた。アイドルに関しても、SMAPと嵐がジャニーズファンのみならず老若男女に日本・アジアで人気を集めた。モーニング娘。は社会現象になって、昭和的な清楚なアイドルとは違ってギャル風な路線が平成らしさでありカワイイの象徴となった。

 

盛り上がったオタクの文化

2000年代はオタクの文化が最も洗練されていた時期でもあった。それまでオタクというと「マニア」たちがひっそりと楽しむものであり、2000年代ではそうしたひっそりとした文化が独自の発展を遂げていった。大きいのはパソコンの存在であって、Macintoshやwindow95を持っているのは企業・組織・マニアに限られた。当時時代の最先端を行く技術で、ユビキタス社会が近未来のものとして羨望の的となった。インターネット(パソコン通信)は非常に今から見れば閉鎖的でしょぼい存在であったが、そんなマニアックな空間の中でオタクたちが活躍することになる。

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ネット掲示板は諸悪の根源とされた一方、独自の文化であるスラング・AA・コピペ・Flashアニメを生み出した。当時は今ほどひどい状況ではなく、アングラなオタクたちがユーモアを持って何か面白いことをするのが好まれていた。「マターリ(まったり)」「キボンヌ(頼みます)」といったスラング、文字で絵を描写するアスキーアート、笑える使いまわせる文章は文化的にも完成度が高くオタクの文化として親しまれるようになった。エロゲ、アニメ、アニソン、同人誌、ゲーム、PC部品などはオタクにとってのアイデンティティとなって、もともとモテないとか世間の日陰者である彼らにとってネットや秋葉原は居心地の良いい場所であった。

良くも悪くもオタク文化が大衆に知れ渡ることになったのが『電車男』で、ネット人口の増加とともに2000年代半ばからは一気に発展していくことになる。京都アニメーション作品である『涼宮ハルヒの憂鬱』などが一世を風靡して、ニコニコ動画も誕生、より「オタクらしさ」が強まっていった。

 

若者の時代・都会の時代だった2000年代

2000年代は都会の時代だった。東京を中心としてそれぞれの街に独自の文化があって、大阪や地方都市でもその地域ならではの文化があった。バブルは弾けていたが若者はみな夢や憧れや昭和っぽさへの嫌気があって、それが欧米文化の取入れや若者文化の発展へとつながった。

渋谷・原宿・池袋が若者の街だったのも、そこにしかないものがあったからだ。渋谷はギャル、原宿はファッションリーダーというように、そこにしかない文化は若者にとって文化的なものだった。音楽文化もその地域と密接に結びついていて、商店街やライブハウスというハコがアーティストにとって重要な場所であった。当時は渋谷のレコード店に行かないとCDが買えない、原宿にしか珍しい服が売っていないということもあった。オタク文化についても秋葉原しかないものがあったからアキバ系ができたのであって、それぞれの街にそれぞれの文化ができた。都市の文化はよそから来る人にとっても影響力の強いものであって、2000年代には地方から東京に絶対上京するんだという若者が数多くいた。渋谷や秋葉原は日本独自のものであって、海外の人々が想像する日本のかねてからのサイバーパンクのイメージそのものなので外国人も集めた。

当然若者文化は昭和世代の中高年にとって面白くなかった。若者文化はみな不良という印象で、渋谷が事実90年代にチーマーの温床だったとしても依然として都市と若者への偏見があった。普通の茶髪から「ヤバくね?チョーうけるんですけど」「こちらでよろしかったっすか」といった言葉遣いまでふしだらで文化的嫌悪の対象であって、渋谷の「ヤマンバ」や秋葉原の「オタク」なんかはメディアに面白おかしく取り上げられた。中高年を中心に欧米文化の嫌悪も根強く、まだまだ2000年代では保守的な考え方が普通だったのだ。だが若者から社会全体が築いた平成っぽさは昭和・バブルを過去のものにして、日本は文化的に絶頂期を迎えることとなった。2010年代という時代が終止符を打つまでの話だ。