「2010年代前半」について

2010年代から今までを振り返ると、「ネットとメディアの時代」であった。それまでは一部の人だけが知っていたネット社会に全世界の人が親しむようになったのが2010年代である。スマートフォンの普及が大きかった。

日本の2010年代前半という時代はそんなネットの普及と、社会の雰囲気の悪さがごちゃ混ぜになっていた。ネットと表社会の垣根が無くなり、日本社会にギスギスした憎悪が渦巻いていて最悪だったのを覚えている。

「2010年代前半」を当記事では概論的にざっと触れていきたい。

 

低迷していた日本

前提として、2010年代前半の時点で日本は停滞した国だった。バブル崩壊後の「失われた20年」、ちょっと前にはリーマンショックがあって、日本衰退論的なものがすでに叫ばれていた。2000年代後半ですら、日本中でシャッター商店街の問題があって、少子高齢化が騒がれていたのだ。今となってはあの頃は全然マシだったと思えるが、そういった危機感がささやかれていた。そんな中で2011年の東日本大震災が起きて、あらゆる面で日本にとって深い傷となった。さらに中国にGDPで抜かされた。2000年代のような明らかな発展もなければ、2000年代後半のままくすぶっている感がった。 

 

ナショナリズムの台頭

日本は停滞する中で、ナショナリズムが高まった。尖閣ビデオ事件と李明博の件が日本人にとって嫌中・嫌韓の火種となり、TVとネットでは感情を煽るコンテンツが増えた。もともと軋轢のあった国々との関係悪化は深刻なものとなった。さらに、国内の事情も背景にあった。2010年代前半の経済的低迷や震災での喪失感を慰めるかのように、保守派の安倍政権の返り咲きと政策、2013年には日本・東京での五輪決定があり、日本への自信というものが最高潮に高まった。TVでは日本(人)のありとあらゆるものを外国人にべた誉めさせる「日本スゴイ番組」が連日放送された。

 

スマホの普及とネットリテラシー

日本で一般層にネットが普及したのが2000年代後半で、その頃すでにネット人口がかなり増えていたものの、まだインターネットはマニアックだった。00年代後半はオタクブーム全盛期だったが、同時に憎悪的なコンテンツが幅を利かせていたのが事実でもあった。そんな憎悪的な部分が露出しだしたのが2010年代前半からである。

敷居の高いパソコンに手を付けてこなかった層は、2010年代前半になってスマートフォンを手にしてネット社会に触れることとなった。初めてのインターネットには刺激的なものがたくさんあり、TVやそこらの媒体では手に入れることのできない情報に魅了されたことだろう。しかし、スマホからネットを始めた人は2000年代には重視されたネットリテラシーネチケットを知らず、ネットの情報を何でも鵜呑みないし迎合してしまう事態が起きた。時はまとめサイト全盛期であり、憎悪的な表現や都合の良い情報に親しんでいくうちに、ネットの悪意に毒される者が増加した。若年層では「若者の右傾化」、中高年層では「ネットで真実」が起こった。

誹謗中傷、ヘイトスピーチ、「wwwww」といった嘲笑・冷笑、は一般層には触れることのない2chあたりのみのものだったのが、スマホで見るまとめサイトなどを通じて一般化していくことになった。ネットはネットで暴言が過激化していき、かつてのような余裕や優しさを失っていった。意図的に誰かを傷付けて話題を集める「炎上ビジネス」も増えた。

 

ネットの憎悪は表の社会へ 

2010年代前半からは外国人街での過激なヘイトスピーチが相次いだのと、韓流コンテンツに抗議するデモが起こって、それらはいずれもネット由来だった。こうしたものは一部の思想的なグループが起こすものだで片付けられる話ではなく、一般人ですらレイシズムを容認するような雰囲気があったと思う。テレビ番組が嫌中・嫌韓的な話題で盛り上がり、人々が何でもない世間話で中国人とかの悪口を言う、そんな風になっていた。メディアやネットの影響だ。書店には「ヘイト本」が並んだ。

 

テレビ番組にナショナリズムを煽るものが増えたが、それだけではない。何か特定の属性やものをけなしたり、争わせる番組が急増した。特定の地域や学歴やゆとり世代を馬鹿にしたり口喧嘩させて楽しみ、非常識な女性などをあげつらってネチネチ叩きまくる番組が増えた。毒舌キャラのご意見番芸能人も次々現れ、本音と建て前の日本人が抱えるネガティブな「本音」を彼らが代弁することで支持を得るようになった。日本テレビの2010年代前半から始まった深夜番組『月曜から夜更かし』は、「本音」の代弁者として支持を得たマツコ・デラックスが司会で、主に埼玉県といった地域を愚弄したり非常識な人をあざ笑うことで人気になった。

日テレの憎悪的な番組の数々、池上彰林修といった「先生」フィルターを通して社会問題を教えてもらうという番組、学歴を自慢する芸能人たち、ひな壇で下品な話題を繰り広げるだけの芸人たち、そんなものばかりになった。これらはまんまネットのまとめサイトのノリそのものであった。

 

日本文化は内向的・閉鎖的に

2010年代前半は日本の文化が最低レベルになった時代だった。テレビ番組は上に述べた通りで、映画に関しても取るに足らないものが増えていった。2010年代以前の日本は文化コンテンツの面において非常に優れていたが、2010年代になるとありとあらゆるものが没落した。ここにも例にもよってネットの影響があった。

 

2000年代後半はオタク全盛期だったのが、2010年代になってスマホから大量の一般人が流れ込んで彼らはネットに影響されると「にわかヲタク」になった。秋葉原電車男たちの文化から、あくまでコミュニケーションのためのヲタク文化が形成されることになる。中身のない「日常系」アニメの増加、萌え文化は衰退した。ゲームはスマホの普及によってパズドラなどのお気軽スマホゲームが主流になり、据え置き・携帯ゲームが衰退した。ガチャを求めるスマホゲーム「ソシャゲ」はヲタク層と一般若年層を繋いだものの、課金が社会問題になった。

腐女子の影響も大きく、「オタサーの姫」から今の鬼滅までヲタク文化の中心になっていった。2010年代前半の日本のカルチャーは総じて「サブカル」であって、にわかヲタク・80年代90年代に青春を過ごしたギョーカイ人・まとめサイトと時代に毒された冷笑的な若者によって成立するものだった。世間の風潮に反した「本音」の代弁、わざと変なことをして注目を集めようとする行為、清楚を装って悪態をつくような、いずれも内向的で陰湿なものだ。ネットでも『地獄のミサワ』などのひねくれたコンテンツが大衆寄りとして消費されることになる。「ネオ和風」ブームも起こり、平安時代や大正時代といった土着的で古典的な時代をクールジャパン的に消費することが起こった。『千本桜』や『艦隊これくしょん』や椎名林檎がそうだ。腐女子歴女ブームや狐の面など「ネオ和風」なものを好みこうしたものが流行った背景には、当時の日本スゴイとオタクの内向化がある。

大衆的に致命的だったのが音楽だった。インディーズでは良いものはあったにしても、世間的に消費される音楽はアイドルばかりだった。それも、アイドルと言っても地下アイドルが大ブームになった。これもヲタク文化の影響があったこと、80年代・90年代に青春を過ごした世代がエンタメの作り手だったこと、社会が貧困化したことがあった。きゃりーぱみゅぱみゅやベビーメタルもこの時代のサブカルである。他にもセカイノオワリやゲスの極み乙女といった変な名前で変なファッションのバンドが増加、ヲタクの内輪ノリであるボカロや歌い手なども世間にしゃしゃり出るようになった。そこにはもはや2010年代以前の邦楽の栄華は無かった。

音楽も含まれる若者文化が大きく変貌したのが2010年代前半でもあった。それまでは欧米に憧れたファッション、都会的な渋谷のギャル文化だとかそれぞれの街のストリート系文化や上京した人たちが作る文化があったのが無くなって、真逆で画一的になった時代である。 女性ファッションでは2013年頃から「ゆるふわ」系がブームになり、短い靴下・ロングスカート・明るい茶髪バングという内向的で同調圧力的になり、それは男性の「きこりファッション」や「チェックシャツの理系」にも見られた。量産型大学生、量産型高校生が爆増。

若者の娯楽は上述の通り非常に限定的で低俗なものばかりしか無くなり、保守的な中高年の声が依然として強かったこともあって若者は尊重されなかった。2010年代の低俗な大衆文化の中心は彼らを「ゆとり」と馬鹿にする80年代・90年代世代が担っていて、「ワンチャン」や「ガチ」といったギョーカイ人用語が若者言葉として広まることになる。様々な悪い要因が重なって、いかにひねくれて冷笑的なことを言えるかというのがこの時代の若者の考え方になっていたと思う。

 

「意識高い系」の台頭

スマホの普及・IT革命・グローバル化の真っただ中で新たな価値観を見出す動きが高まるうちに、自分こそは博識で時代の先端を行く斬新な者だと賢ぶろうとする「意識高い系」が2010年代前半から次々と現れた。2011年に起きた東日本大震災スティーブ・ジョブズの死は彼らに多大なる影響を与えた。既存の価値観を否定していくことで斬新なことを言った気になり、同じような人々を集めて「言論」を交わし合うような自称知識人たちが急増したのだ。だが、彼らはナルシストの頭でっかちであることが常で、発言・知識・理想が現実に伴わっていなかった。意識高い系による炎上ビジネスや小野ほりでい的な冷笑的な言論も盛んになった。攻撃的な意識高い系でなくても、地方に移住してITの力で地方創生、「ていねいなくらし」、あらゆる社会問題に口出し、これらが日本を変な方向へ向かわせていくこととなる。

 

サブカルチャー頼みの日本

日本が低迷していたのは冒頭で述べた通りだが、問題はそこからの巻き返し方法だった。日本スゴイをはじめとしたナショナリズムのせいで現実問題への危機意識がなく、問題を解決しようにも楽観的なことが優先された。地方都市では由緒も何もないゆるキャラB級グルメ・萌え興し・ご当地アイドルが量産された。政治・行政に携わる者たちがそもそも市民や伝統に詳しくなく、ギョーカイ人・サブカル気質の者ばかりであったために日本全体が低俗化してしまった。NHKもお堅い路線からネットのネタを取り上げるなど、幼稚になっていった。

 

2010年代前半を通して

2010年代前半という時代を簡単に書いてみたものの、思い出すだけで陰湿だったと改めて実感する。ここに書ききれていないことは、これから個別に取り上げていくつもりだ。日本はこの時代があったせいで完全に落ちぶれてしまい、そのツケが2010年代後半に回ってくることになってしまった。2010年代後半についてはまた今度。