オタク女子と腐女子の15年

池袋にある「乙女ロード」とアニメイト腐女子の聖地とされる。(豊島区)



腐女子の存在感は年々増しており、2010年代を通して彼女たちは実質覇権を握って2020年代に完全に日本の文化を腐女子一色に染めた。2020年代では異常な鬼滅の刃"ブーム"やすとぷりの常態化、10代の腐女子化も進んでいる。どうしてこうなってしまったのか。従来のオタクたちが2010年代を通して層が入れ替わって今や冷笑的なにわかのキモヲタしかいなくなったように、オタク女子と腐女子がこの10年で交代した。

 

充実したオタク女子の文化と2000年代

オタクは男だけではない。オタクの気質がある女性も当然いるわけで、そういった人たちは密かに存在していた。だが、男のオタクでさえ世間的には公言がはばかられる日陰者であり、女性の場合にはなお隠れて生きないといけなかった。それでもオタクとは自分の好きなことをして生きればそれが一番の充実であり、女性であっても同じことである。最初期の頃のオタク女性は少女漫画家といった人たちであり、自分の感受性と夢想を漫画にすることができた。

そんなオタク女性が初めて表面化して活動の幅を広げられるようになったのは、2000年代のことかと思われる。それも2000年代後半だ。家庭のインターネットやニコニコ動画の普及とオタクブームによって、自分と同じような人たちがいるんだと実感できるようになった時代だ。女性がコミケに一人で行ってオタク向けのコンテンツをコソコソ消費しなくていい、自分の趣味や性癖に後ろめたさを感じなくていい、そんな時代が訪れた。ジャンプの漫画ではリボーンや銀魂といった女性ウケの良い作品が登場してそれらはオタク女性のみならず男性にも受け入れられたし、彼女たちを代表する文化になった。コスプレなどのリアルなオタク文化もこの頃で、日本のカルチャーを明るくした。

2000年代当時、私の周りにもオタクの女の子がいて、すごく面白かった。今ではステレオタイプ的である銀魂やリボーンのファンで、銀魂口調だった。男のオタクたちともウマが合って仲良くしていたし、その頃のオタクが話し上手だったように彼女もまた話術に長けていた。その子は決して美人ではなかったし"男勝り"だったが、下手に自分を繕った性格の悪い女子よりは遥かに良くて、ギャル全盛期である時代に新鮮な存在でまた違った人間の魅力や可愛さがあった。大人のオタク女性でも太っていたり個性的な雰囲気でも話せば人としての魅力があったものだった。聖☆おにいさんの作者もおそらくオタク女性なのだが、男も誰もが読んでも面白いしそういうコンテンツを作ることができた。しょこたんも代表的なオタク女性だし、大きな流れを作った。

 

2010年代初頭に増えた腐女子

2000年代後半から、オタク女性が増加していくと、男のオタクに次いでその存在が認知されるようになった。それに加えてインターネット普及やニコニコ動画の登場によって女性オタクの敷居も低くなっていった。この頃には歴史オタクの女性が「歴女」と呼ばれ始め、歴史的史跡をオタク女性やそこでコスプレ撮影をする人が増えた。だが、男オタクがそうであったように、人口増加や気軽に入れるコンテンツによって"にわかヲタク"化がオタク女子の間でも進んだ。これが"腐女子"である。

腐女子の最大の特徴とはBLをこよなく愛し、それらの絵やカラオケにいそしむことだ。BLとはボーイズラブのことで、年齢限らず男性同士の恋愛を見ることで性的高揚感をおぼえるコンテンツで、腐女子ブームの前から"薔薇"として存在していた。個人的な性的嗜好は表現・思想の自由の範疇であるだけでなく、同性愛者は差別されるべきではないのは当然のことだ。そうした前提はあるが、誰だって自分の興味のないものは見たくないし、ましてや性的なものへ拒絶を感じるのはこれもまた当然のことだ。しかしながら、腐女子は仲間で巨大なクラスターを作ってはBLコンテンツをおおっぴらにして消費していた。それだけなら男ヲタクの趣味と同じだが、腐女子は既存の版権キャラクターの男性たちを"カップリング"と称して次々同性カップルに仕立て上げた。カップリングされた男性キャラの多くは同性愛者ではないわけだし、腐女子の妄想がキャラのイメージを大いに損なうと男性オタクは憤った。

腐女子になるきっかけにはいろいろなことが考えられるが、まず彼女自身の性格の難から友人がおらず偏執的になるケースと弟の存在がある。腐女子の多くは比較的豊かな中流家庭で、両親と弟の4人家族である傾向がある。そうした環境の中で弟の読む少年誌や男児向けアニメを見ることで土壌が作られるそうだ。男性を子ども扱いしてショタ化するのも姉として弟を見る感覚と重ねているのだろうし、腐女子のどうでもいい話によく母や父や弟が登場するのも裕福な中流家庭を物語っている。腐趣味は異様なものであるが、彼女たちの家庭はそうしたものに寛容であるのだ。

2010年代前半といえば、サブカルが流行して自分こそが一番賢いという考え、日本各地に自称進学校が広まった時期だった。こうした自称進学校は勉強しかしていない性格の悪いガリ勉の巣窟だったために、にわかヲタクやまとめサイトなどネットトロールに影響された若年層を次々輩出した。男のヲタクは言うまでもないが、女子のにわかヲタクである腐女子も醸成することになった。

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こうした自称進学校腐女子たちは見た目が悪すぎるだけでなく、やはり性格が大変陰湿だった。ネチネチしていて陰口が好きなだけでなく、同世代の女の子たちとは著しくファッションセンスが乖離していたからロングスカートにずり下げたハイソックスなどひどいものだったし、無駄なところで正義感が強く(後述)、それでも自分は美人だと思っていたりした。最悪だったのだ。彼女たちは必ず美術・芸術部に所属して、そこでBLやニコニコ歌い手風の絵柄で落書きを量産したりおじさんが好きそうな変な趣味を公言するようなサブカルの塊だった。 

こうした自称進学校腐女子が増えてから、日本のハイカルチャーや娯楽にも消極的影響を及ぼした。それまで美術・芸術部といえば答えはないものの西洋美術やその人の個性と思想を高度に表現した文化的で専門的なものだった。しかし、腐女子は中学高校大学の芸術系クラブでアーティズムとは程遠い落書きを描いて芸術の価値を失墜させようとしたり、誰もが見る学校行事のリーフレットやポスターに腐女子思想満載の駄作を恥ずかしげもなく載せたりした。2000年代後半からはニコニコに加え、お絵かき投稿サイトのpixivも登場したが、pixivは落書き腐女子の本拠地となっていった。ピクシブのノリを腐女子はどこでも開陳した。また、2010年代前半では悩める思春期腐女子にとって腐女子趣味が心の拠り所となっていて、「病み」「メンヘラ」ブームもあった。うつろな目の少女が血や刃物をモチーフにしてネガティブな歌詞のボカロにそれを合わせたり、そういった女子が進撃の巨人のリヴァイ好きだったりした。腐女子は怒らせると怖く、笑顔で冷静を保っているとするアピールも大好きで、腐女子が描く落書きには「^^」の目で相手を懲らしる描写が登場するし、"暗黒微笑"と呼ばれる不敵な笑みが必殺技だ。

日本のオタク文化を破壊していったのも間違いなく腐女子であって、コンテンツの自分勝手なBL化や健全な作品に群がる行為("イナゴ"と呼ばれる)がいけなかった。イナゴ行為が商業的に上手くいくという空気ができてからは、最初から腐女子をターゲットにしたコンテンツが次々登場して、それが令和になって文化の水準をどんどん落としている。

そして大きなことに、2010年代前半からは腐女子が純粋なオタク女性のカルチャーをふしだらなナルシズムの場にしたゆゆしき問題がある。従来のオタク女性はお世辞にも美人と言えなかったり個性的な雰囲気であったが、2010年代前半には一見まともでむしろ結構な美人に見えそうな者が爆増した。それが「オタサーの姫」に代表される腐女子だ。腐女子の中では最も性格が悪く、2020年代現在の腐女子の主流層である。

性格の悪い美人風腐女子は自分がそれなりの容姿であることは自覚しているため、表に出てきたり多くの男オタクを消費者にさせることにやりがいを感じている。オタク女性がひっそりとやっていたようなコスプレイヤーメイド喫茶や声優やゴスロリは、美人風性悪腐女子がメインでやるようになって、それらは令和の地雷系レイヤーやコンカフェやvtuberになった。今だと看護系やキャバクラまたは風俗などの夜職、ワカコ酒みたいなノリで男の趣味をやって注目を集めるyoutuber女だらけだ。 

 

腐女子と日本の土着思想、そして自治意識

腐女子の話題を語る上で最大の肝と言うべきは、腐女子の土着性と自治の精神だ。俗に言われる「学級会」はまさにこれにあたる。男のヲタクが2010年代の排他的で保守化した日本社会の流れを汲むように封建化していったのと時を同じくして、腐女子もまた閉鎖的で著しく時代に逆行する思想を固めていった。

① 日本の右傾化

リアル日本社会では2000年代後半から2010年代前半に、外国は劣っていて日本が世界一だとする風潮が高まるなどその保守性というかネット右翼の権力がかなり高まっていた。中国韓国を敵視・日本スゴイ・欧米よりも日本・リベラルはダメ。当時のオタクがこうした鎖国的な思想に最も傾倒していて、中国韓国やリベラルを冷笑、欧米には無関心、自民党をオタクに友好的だと称賛、「台湾の老人」や「エルトゥールル号」や「海外の反応」で日本スゴイと喜んだり、そんな感じだった。

腐女子も例外ではなかった。2000年代後半から腐女子に非常に人気があったのがヘタリアだ。世界の国々を少年青年に擬人化したもので、いかにもニコニコのネトウヨかぶれが抱くステレオティピカルな世界観が反映されている。艦これ同様ヲタクに国際社会や歴史を単純に考えさせるコンテンツとなってしまった。さらに2010年代には刀剣乱舞という日本刀を青年男性に艦これと同じく擬人化したものが腐女子の間で流行り、そこでは「歴史修正主義者」たるネット右翼的なタームが使用される。  

さらに2010年代腐女子の間で人気があったのが、地域サブカルだ。都道府県の地図にペンタブで偏見を落書きしたものが面白いと流行ったのである。その中で埼玉県は馬鹿にされ、グンマーなどが流行り、日テレの月曜から夜ふかしはそんな低俗な地域サブカルに多大に迎合する番組だった。ゲスな女にウケが良いマツコ・デラックスの毒舌、ジャニーズタレント、地域サブカル、ネットネタは当然大受けだった。この番組によって埼玉県(民)を愚弄した翔んで埼玉は広まって社会現象化みたいになったが、あれも腐女子がガクト好きなことや地域サブカルの背景を考えれば辻褄が合う。2010年代前半では学歴・国籍・地域を扱った悪質番組が山程あった時代だった。

 

腐女子と土着日本 「大正ロマン

腐女子は「大正ロマン」が三度の飯よりも大好きで、大正時代のリアルな文化や社会システムが好きなのではなく、男性の制服や袴とか女性の振り袖にショートブーツそして狐の面が好きなのだ。腐女子のコンテンツにはだいたい大正ロマンが登場する。

だが大正時代といえば軍国主義が良しとされていた時代で、第一次世界大戦も大正時代だ。それだから大正時代を娯楽化したときに軍事や旭日旗は避けられないシンボルであって、「大正ロマン」を題材にしたコンテンツは度々主に韓国で問題となる。むろんこうした背景を知らずに純粋に楽しむことはあっても、2010年代前半では日本の右傾化と相まって意図的に消費されていたように思える。2010年代前半に艦これと千本桜がヒットした風になっていたのはまさにそうだ。

軍国主義とか抜きにしても、腐女子の思い描く「大正ロマン」は時代に逆行する明らかにダサいものだった。2000年代の日本がサブカルチャーでさえも欧米や先進性を意識したものだったのに対して、「大正ロマン」は欧米も先進性も若者らしさもない閉鎖的で前時代的なサブカルだったのだ。サブカル女王である椎名林檎が2010年代にNIPPONをリリースしたさまと腐女子のそれは同質のものといえる。また、2010年代前半の日本の音楽界は大きく低迷して、セカオワやゲスキワといったサブカルロキノンが大きな顔をしており、腐女子の多いニコニコからも歌い手や踊り手や歌ってみたがメジャーデビューする惨状だった。その中で和楽器バンドは日本の土着的な楽器を用いて千本桜を演奏するという非常に時代逆光系で腐女子好みのサブカル楽団だったありさまだ。

 

腐女子と土着日本 「成人済み」

2014年頃だった。twitterにおいて腐女子が続々とプロフィールに「成人済み」なる文言を明記し出したことに、私は絶望的な衝撃を受けた。意図としては性的な表現も問題がない年齢であることを示すものだが、"成人"を"済ませる"なんて発想は日本の極めて土着的で未開の思想だ。古代日本のハレ・ケをはじめとする二律背反は、ある基準(儀礼や結界)を超えることでしか内部集団と認めない原始的なもので、それが"成人式"と"ハタチ"信仰に体現されている。もちろん先進国でそんな思想や儀式がまかり通っているのは日本だけで、腐女子の「成人済」はモロに日本の土着思想なのだ。 

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男のヲタクが2010年代になって自治意識や選民思想を強めていくにあたって、年齢や言語による排斥はセットであった。2011年頃に「18禁」が流行語みたいになったり、別に卑猥でもない表現なのに未成年者を排除する文言を盛り込む様子、さらには"Japanese Only(日本語しかできないの意)"はやはり日本の土着思想が根底にあった。腐女子の場合は「成人済み」というあまりにもストレートな言葉を用いて土着思想を隠そうともしなかったのだ。

腐女子が「大正ロマン」好きなのも「成人済み」と通ずるものがある。それが衣装だ。「大正ロマン」のファッションは"成人式"の正装である振り袖と袴と共通し、いずれにせよ現代社会に反するものであるうえ海外でも人気の着物や浴衣とは性質の異なるものである。

 

④「学級会」の根にあるもの

ところで、腐女子の悪い性質でよく知られているものに「学級会」がある。男のヲタクにも見られる自治意識や選民思想が、小学校などでありがちな委員気取りの女子の精神が加わった悪質なものだ。腐女子のようにヲタクになる女子は上述のように美術・芸術部員が多く、他の特徴は学級委員や風紀委員である。細かなルールやマナーを作りたがるとか仕切りたがるのはそうした女子の典型的特徴だ。同時にそうした"マナー警察"的なものは日本の意味不明なルールやマナーを次々を生み出して取り仕切りたがる土着の精神と通底する。これもまた腐女子の土着性をよく表している。

腐女子は性根が良くないのにナイーヴであるという厄介な性格の持ち主で、作品のストーリー展開が悲しかったからと深く落ち込むという奇妙な繊細さを持っている。そういうことで作品に難癖をつけたり"自衛"と称して心を閉ざすのは一般人には理解し難い「学級会」の一例と言えよう。腐女子が大好きな"白ハゲ漫画"のように自分勝手な思想を陰湿な暗黒微笑漫画で主張するとか、あれも学級会だ。

 

表社会に広がった腐女子

腐女子は減るどころか、2010年代に勢力を拡大していった。2020年代には最盛期を迎えて日本社会の大部分に影響を与えるにまで至った。

2010年代半ばに腐女子は完全にその数を増していて、もはや珍しい存在ではなかった。腐女子専用コンテンツも量産され、大きなヒットとなったのがおそ松さんだ。『おそ松くん』は赤塚不二夫の名作だが、それを腐女子向けにしてしまったものだ。テニプリやフリーと全く違って別に全然イケメンじゃないのに腐女子たちの心を鷲掴みにし、その様子は男のヲタクが2010年代に全然美少女ではないキャラに群がるのとそっくりだった。男ヲタクのラブライバーなどと同じく数が多い迷惑集団と化していた腐女子は、おそ松さんをとりまく環境で迷惑とされる行動が注目されるようになった。それに加え、"嘘松"という虚言癖も有名になることとなった。

 

2010年代を通して腐女子の嗜好も大きく変貌して、それまでのオタク女性のBLや薔薇好きのように体格の良い大人の男性やイケメン青年男性から、年少の男児を好むショタコンになっていった。また、ジャニーズといったアイドルの追っかけ層と完全合流したことで勢力を広げることとなる。

2010年代半ばから後半はツイッターの時代であり、ヲタクの巣窟になった。その中でヲタクに特有の構文や語録が多用されることになり選民思想が強く陰湿なアニメアイコンが跳梁跋扈する事態となり現在に至る。腐女子ツイッターで大きな勢力となり、「成人済み」は当然のこと、迷惑きわまりない妄想の産物である下手糞な落書きや私小説を大量に投稿して検索結果を汚した。腐女子にありがちな幼い男児の目の気持ち悪い表現である「ㅎㅎ」や、ちゃんちゃんこを着ていたり猫耳の男や、"ちびキャラ"デフォルメなど、pixivに留めておけばいいのに一般人は見たくもないものが垂れ流された。他にはアニメ実写化ミュージカルやアイドルのチケットだの日程だの開催地をめぐるLineレベルの超個人的なやりとりをツイッターで繰り広げては検索の邪魔をした。

それだけではない。腐女子の鬱陶しい言い回しや他者を不快な気分にさせる自慰的な文章は、見る者にショッキングな印象を与えた。ついには腐女子は日常に性的興奮材料を求めたりツイッター上で注目を集める承認の欲望を満たすために、実和風BL目撃体験をでっち上げるようになった。作り話の多くは明らかに嘘だとわかる荒唐無稽なもので、投稿する本人がもはや作話か妄想か現実の誇張かわからなくなっているのではないと思わせるほど病的だったため、「嘘松」として有名になった。おそ松さんをダシにした嘘だったから「嘘松」と呼ばれた。性的興奮を感じる自身の体験を語る際に「え、ちょっと待って…!」から始める定型文はよく知られている。

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嘘松は失笑をかうものだったが、腐女子の構文には世間的に広がることとなってしまったものがある。「推し」と「尊い」だ。「尊い」は性的興奮を感じる要素を指して使われ、「推し」は自分の今一番好きなキャラクターすなわち一押しの意味だ。もともと「推し」は2010年代にチャートを支配した秋元康のAKBの業界で用いられた用語だが、腐女子ジャーゴンと化してついには一般的にも使われることとなってしまった。他にも2010年代後半から「○○過ぎん?」「○○しか勝たん」といった関西弁のような言い回しも腐女子が盛んに使って広まった。

 

腐向けビジネスの常態化

令和になると、腐女子は最早純粋なBL好きですらなくなっていて、アイドルのおっかけが現在の腐女子の姿だ。もともとインターネットカラオケマンとも他称されるニコニコ発の歌い手や踊り手などのネットアイドルの追っかけという土壌もあったし、V系のおっかけサブカル女性などとも合流していった。2010年代後半にはすとぷりやにじさんじといったvtuberネットアイドルが登場して、現在巨大な勢力になっている。2020年代になるとジャニーズやBTSをはじめとしたK-POPの追っかけ衆も合わさってネットでも表社会でもメインストリーム層となってしまったのだ。

こうなると世の企業や作家も商業主義として腐女子をターゲットにすれば儲かると高をくくり、国家レベルで腐女子を重要な顧客層として扱うことになっていった。腐コンテンツは日陰ではなく表に堂々と躍り出るようになり、大手企業から国会に至るまで腐女子に便乗した。週刊少年ジャンプでは腐女子向けの漫画が増えるようになり、ハイキューあたりはまだ良かったものの、鬼滅の刃で完全に週刊腐女子ジャンプと化した。鬼滅の刃は「大正ロマン」にショタコンに言い回しや思想と、その全てがこれでもかと腐女子好みの集大成であって、あろうことか2020年には事実上の社会現象となった。日本のほとんどの業界が鬼滅に便乗して、鬼滅が往年の名作を踏み台にして一大商圏を形成し、日本人はみな鬼滅好きでないと仲間はずれにされ、コロナ禍で鎖国状態の日本にふさわしい地獄の年であったのは記憶に新しい。さらにはあのディズニーでさえも腐向けの奇怪な絵柄のツイステッドワンダーランドを作り出し、サンリオのマイメロなんかは地雷系のサブカル腐女子のアイコンとなった。

 

腐女子のファッション

腐女子のファッションは若い女性としては垢抜けない印象で語られがちで、実際そのとおりではある。どういうファッションかは説明するまでもないだろう。だが、それはオタク女性のスタイルであって、現実的に腐女子のファッションは変化してきた。そうしたファッションは一見一般的に見えるもののどこか見る側に違和感を与え、また、独特なダサさを醸し出しているのだ。

2010年代から日本女性のファッションはひどいことになってしまい、その原因のひとつは腐女子であると思うのだ。イケイケのギャル的な人や読者モデルのファッションが衰退してその代わりに、アースミュージックアンドエコロジー的なファッション、ロングスカートに短い靴下のようなものが主流になった。女子高生はハイソックスをだんだんずり下げたし、衝撃的なことに小学校の卒業式では男女ともにブレザーで女の子は2010年代前半には"AKB風制服"とまで言われていたものが2010年代後半には振り袖・袴が増えた。腐女子のせいだろう。

腐女子腐女子で、2000年代・2010年代前半では若い女性のイカしているファッションで主流だったパンク系ポップティーン系のファッションを後からするようになって、そのせいでそうしたファッショナブルな服装が"ダサい"ものとして2010年代後半に認識されるようになった。ニーソックスや英字シャツはそれまで読モやギャルといった女性が履くものだったが腐女子がコスプレなどで履いたから、大人にしては"子どもっぽい""しまむらっぽい""ダサい"などと認識され出した。  

おこがましいことに、腐女子がダサいのは紛れもない事実であるにも関わらず、その数を増してからは男オタクや世の中にも物申すようになったのだ。後述するが世の中には"お気持ち"や"学級会"気分で"腐ェミ"と化したり、男オタクの描く女性のファッションや同世代の女性のファッションにいちゃもんを付け始めたのである。

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繰り返すが、ダサいのは腐女子であって、お前が言うことではないとなるのだ。

 

腐女子と社会問題

腐女子は一般的な女性とは別物であって嗜好が多く異なるため、同世代の女性が少ない分野に関わることが多い。そのため、地方の伝統文化などに高齢化する業界やマニアックな世界に新たに参入する若い女性はほぼ腐女子だ。そうしたケースでは成功例と言え、"若い""女性"なのは間違いないので悪い話ではない。余談ではあるが、マニアックではない産業に就く腐女子に多い職業は看護師と学校教師と風俗業だ。

上は明るい世界の腐女子であって、これが暗い方面に向くことも多い。病みが行きすぎて希死念慮や生命への歪んだ好奇心や感情のコントロール不能といったものによって、事件を起こしたり事件に巻き込まれてしまう。若い女性が関わる事件で特異なものは関係者が腐女子であることがあるのだ。さらに悪いことに、2020年代の10代女子の中には夜の街にたむろするのが社会問題になってそうした少女たちのファッションは地雷系だし、以前から"歌い手"といった地下腐男子アイドルの男に金を貢いだり性的な被害に遭う案件がある。

 

2010年代後半からは世界的にポリティカル・コレクトネスが盛んに叫ばれ、女性やLGBTや人種国籍の違い社会的弱者の権利に差別のない平等な社会の実現が社会運動的に力を強めた。日本においてはtwitterを拠点として政治的訴えのコミュニティとなって、フェミニズムなどが日々議論される場となっていた。こうした社会の流れに乗る形で腐女子も様々な主張を始めた。社会的に腐女子は第一に女性であることとK-POPなど韓国コンテンツを好むこと、LGBTに理解があると(勘違い)されることから、有利な立場であった。社会が腐女子を優遇するのも商業的に儲かるだけでなく、女性であることからマーケティングに好都合であった。つまり、腐女子がイナゴで群がっているコンテンツこそが"若い""女性"に人気でK-POPLGBTなどに理解があって先進的で優れているというふうにできるのだ。翔んで埼玉や鬼滅の刃BTSは基本ノイジーマイノリティの腐女子が面白おかしいのに、「世間みんな大好き」みたいに拡大解釈で世間のメインストリーム面をしてきた。逆に言えば、これらにはまらなかったり毛嫌いする者は時代遅れのオッサンみたいに仕立て上げることができ、鬼滅とK-POPなんかはまさにそうした負のキャンペーンに利用された。"ジャニヲタ"が昔から声の大きいノイジーマイノリティで知られていて、名探偵コナンで新一の追っかけをしていた層ともかぶり、今に始まったことではないのではあるが。 

こうしていくうちに、腐女子は自分たちが常識人でかつ社会で手厚くかばわれるべき弱者なんだという思想に陥っていく。2020年代では2010年代に学級会腐女子だった層が結婚や子育てのメイン層となったことでますますフェミニズムに傾倒しており、"腐ェミ"たる政治的主張も増えていっている。だが、腐女子は一般的な女性とは違い女性性しか共通点がなく、同性者からは同じに思われたくもないかもしれない。男のヲタクでロリコンと同じように、ショタコンが多くはっきり言ってペドファイルだ。腐女子が子育てと言っても子に健全な教育を施すかも疑問である。それにBLにしたって同性愛者を部外者が性的に消費している時点で失礼な気がしてならず、2010年代に腐女子が「ホモォ…」などとふざけていたのは差別的じゃないか。

 

腐女子と次世代

2020年代現在、2010年代を通じて完全に日本のノイジーマイノリティにまで上り詰めたが、2010年代2020年代世代である今の10代はこうした歴史を目の当たりにしていない。したがって、物心ついたときから腐女子は当たり前にそばにいて、ひょっとすれば腐女子の母親や叔母に育てられた可能性だってあるのだ。そんなことだから、腐向けコンテンツには抵抗がなくて疑問に思わないことは十分ありえる。その証拠に鬼滅の刃BTSが滅茶苦茶素晴らしいコンテンツだと錯覚していたり、どう見てもまともそうな女の子がすとぷりの追っかけだったり、将来の夢に声優とかアニソン歌手とかイラストレーターと言ってしまう時代だ。2020年代にメジャーデビューした歌い手Adoなんかはリアル2000年代を知らない2010年代世代で、ネット発・顔を出さない・病み系のMVや楽曲・大人を驚かせるような並外れた歌唱力(悪い意味で10代らしくない)は、腐女子の特徴をすべて兼ね備えている。彼女を最初知ったとき、2010年代に見てきた腐女子たちとすべて重なった。2020年代の幕開けが鬼滅やAdoや「地雷系・ぴえん系」や「推ししか勝たん」だとすると、お先は闇黒なのだ。

そして、令和からは従来のオタク女性たちが「古(いにしえ)のオタク」と揶揄されており、この流れは男のヲタクでも見られるハルヒなどの時代を懐古するのはダサいみたいなどうしようもない強がりだ。従来のオタク女性たちは今の腐女子とは別物であって、彼女たちが未来の女性サブカルチャーリーダーとして復古されるべきなのだ。