サブカルオッサンと90年代

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この記事では90年代という時代よりも90年代を謳歌した90年代世代に焦点を当てる。 2020年代現在、90年代世代はおおよそ40代から50代前半くらいの中年世代である。彼らはいわゆる「氷河期世代」にあたる時代の被害者だが、良くも悪くも日本に大きな文化的影響を与えた先駆者たちだ。「氷河期世代」であること、かっこいい文化も築いたこと、最近はだいぶ丸くなったこと、バブル世代とは違って90年代世代は文化上よい部分も悪い部分もあるので、一概に批判できない。批判的な内容は少し心が痛むものの、90年代世代が2010年代の日本を低俗にしてしまったことは批判に値するものだ。どこでも深夜番組のノリでアイドルやファミコンの話をするオッサンたち、ヘイトスピーチをするネット右翼ゆとり世代バッシング、タブーを楽しむ悪趣味、これらが日本を先進国から遠いものにしていた。 

 

サブカルチャーと悪趣味

90年代はサブカルチャーの時代だった。それは90年代を謳歌した90年代世代の人たちを見れば瞭然のことである。ネットにいるオタクの人たち、テレビに出ている芸人、アングラ系雑誌のライター、大体が90年代世代だ。困ったことに、そうしたサブカルに携わる人たちに極めてシニカルなニヒリスト、幼稚、悪趣味が目立つのだ。

00年代後半から10年代前半にかけてはオタク文化が最盛期を迎えてIT革命が興った。この頃のネットは楽しかったが、差別的攻撃的な言論が多数見受けられたのも事実だ。韓国・中国・在日を叩き、民主党を冷笑し、女性を「スイーツ()」だとか社会的弱者を甘えだとバッシングしまくり、そして当時中高生だった2000年代世代を「ゆとり」と呼んで馬鹿にしまくる光景が当たり前にあった。「〇〇する奴は負け組wwwww」「年収〇円以下の底辺乙」といった社会的格付けと侮蔑の表現もありふれていて、ネットにいた90年代世代はそんな価値観を持っていた。今でも当時から有名だったITの専門家や成金なんてのはこの価値観を持ち続けていて、炎上ビジネスのようなものが大好きなゲスだ。別にそうでなくても、さんざんゆとり世代や女性・若者・外国文化を幼稚だとかDQN(不良)扱いする傍ら、ネットではエヴァンゲリヲンガンプラやストⅡの思い出話に花を咲かせるオッサンたちなのだ。

ルポ系ムックライターやそれらに影響された人も90年代世代が多い。雑誌の内容が内容なだけに、非常に低俗かサブカルティックなものが多くてそれは別に良いが、それらの中の悪趣味をまんまネットに持ち込んできたのが良くなった。タブーに切り込む的な名目で、誇張表現やこじつけで地域・民族差別的なネタをネットに載せたり、炎上ビジネス上等なネットバイラルメディアを運営してライターしたりする、そんな人たちだ。過激なネット右翼もこの世代が多い。

もちろんすべての人に当てはまるわけではないが、氷河期世代は日本の政府が悪いとはならず、社会的弱者や声を挙げる人たちを悪者にしたがる傾向がある。00年代後半から10年代前半にあった「在日特権」デマ・生活保護(ナマポ)受給者叩き・民主党などリベラル冷笑、そしてゆとり世代蔑視や女性蔑視がそうだ。自分が氷河期世代ワープアなのに、本来は自分に費やされるべき利益などを楽して得ようとする奴らがいて椅子取りゲームでズルをしている、という発想だったのだろう。こうした思想が先鋭化した結果が、ヘイトデモだった。

アジアの新興国に移住した90年代世代も少なくない。彼らは日本でやっていけなくなったのとIT革命からジョブズまでの意識高い風潮に感化され、タイや中国の深圳などに移住してそこで株などをやっている。海外事情を知っているから深刻なネット右翼ではないものの、「リベラルは馬鹿」「俺以外みんな馬鹿」という冷笑系思想は健在であるだけでなく、現地の文化に興味なくて下に見ていることもある。

 

テレビ界を我が物顔にしてきたのも90年代世代だ。ひな壇芸人のオッサンたちが紅一点の女性ゲストをコンパニオン的に呼んだうえ、芸人内輪ノリ、ファミコンドラクエ・90年代のグラビア・ドラゴンボールの思い出話、AVと下ネタ、「イジリ」、これらを汚い言葉でうるさく語り合うような番組が平然と2010年代に許されてきた。「ガチ」「イキる」などの低俗語、ツッコミやイジリを広めたのもこの層だ。そうした芸人はただ下品なだけでなく、例にもよってセクハラ・差別思想も持ち合わせていて、ネットやワイドショーでご意見番になっている人物もいる。芸人だけじゃない、ネットの冷笑系や陰湿ルポライターの感覚をそのまま持ち込んだマツコ・デラックスが2010年代前半には一世を風靡して、埼玉をはじめとした地域蔑視や中国韓国人ヘイトや一般人(非芸能人)イジリが垂れ流された。クドカンゆとり世代を見下したドラマを作った。

エンタメ界に限らず、90年代世代の自分をギョーカイ人だと勘違いしているサブカルオッサンが2010年代の日本をダメにしてきた。地方の役所でゆるキャラ・『恋するフォーチュンクッキー』・ご当地アイドルを導入したり、NHKの番組でネットでしか通用しないネタを取り上げたり、大学の授業でアニメやアイドルの話をしまくる教授がいたり、独りよがりなサブカルオッサンが日本を低俗にしてきたのだ。

 

 

サブカルヲッサンを作り出したもの

低俗で幼稚で冷笑的なサブカル大好き90年代世代のオッサンを作り出してしまった原因とは何か?これの原因はやはり時代にある。バブルが崩壊した90年代世代に芸人やサブカル専門家が多い理由は、他に才能が無くて無知でも出来る好きなことを生きる術としたからだ。氷河期世代で挫折や競争社会に直面したことも、他人を見下すことや蹴落とす思想へと繋がっていて、上記のように弱者や声を挙げる人を悪者にしたがる発想もある。

90年代世代のサブカルヲッサンたちのことを知るには90年代の文化を見る必要がある。彼らが若かりし頃に親しんだ文化は人生に大きな影響を与えており、多感な時期に触れた文化だから心に残り、その時の感覚のまま大人になってしまったパターンだ。90年代はバブルが崩壊して夢が持てなくなって荒んでいた時代だった。その社会の空気は文化にもあらわれた。

 

90年代はお笑いブームがおこって、ダウンタウンとんねるずナインティナインなどの芸人が日本社会においてかなり高い地位を獲得して、若年層の憧れの的になった。青春イコールお笑いの価値観が定着して、芸人文化が発達したのもこの時期だ。だが、そうしたお笑いブームというのはいかにもホモソーシャル的なものと密接で、当時のテレビ番組でもメチャクチャで無礼講で下品なほどなのが面白いと思われていた。当時人気を博した『電波少年』だって、企画が事実かどうかは別として、なすびの企画とか人権上問題がある。他にも電波少年の猿岩石の旅や、『水曜どうでしょう』だって、海外の美しいものを映す番組というより日本の内輪ノリだ。2010年代のバラエティ番組や芸人は90年代の感覚そのままなのだ。だから2010年代になっても低俗な芸人の内輪ノリが許され、笑ってはいけないの黒塗りだとか「保毛尾保毛男」のような幼稚なマネをしてしまう。

90年代世代のネット右翼陰謀論者をよく見る理由も90年代を考えればわかる。90年代は政治・社会がエンタメ消費された時代であって、それはバブル時代からのものだった。「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんかに熱くなっていた時代だ。ワイドショーと朝まで生テレビが政治の面白コンテンツであって、政治無知でも小林よしのりの漫画を読めば政治を分かった気になった者がいたのだ。そして、90年代といえばオカルトブームがあった。UFO・UMA・心霊写真のトンデモネタ番組や冝保愛子がいて、90年代が世紀末であったことも話題になっていた。だが、こうしたオカルトブームの中でカルト教団が生じて、日本史上最悪のテロ事件が起きてしまった。そのカルトは事件の前まで政治やバラエティ番組に参加していたことからも、胡散臭いものへの疑いが当時は希薄だったのだろう。芸人で都市伝説ネタをやっている者がいるがあれだってユダヤヘイトの陰謀論にしか見えないし、ネトウヨやネトサヨの政治観やデマを見る限り、90年代の政治とトンデモを地でやっているのだ。

それから、90年代は若年者の治安が悪かった時代でもある。チーマー・援助交際・いじめなどだ。ネットで冷笑系とかネトウヨやっているオタク系のオッサンや、タブー切り込み系の陰湿なライターやっているオッサンは、間違いなくこの時代の学生生活に良い思い出がない。セーフティーネットととしてのサブカルはあって良いが、間違ってひねくれた方向に転がってしまったのだろう。

 

90年代を謳歌したサブカルオッサンの今後

基本的に90年代世代と80年代世代(バブル世代)はゆとり世代である00年代世代を下に見てきた。00年代後半から2016年頃まで、さんざんネットでもテレビでもゆとり世代を偏見によって馬鹿にしてきたのだ。それは若者批判でもあった。今まで自分たちの時代だったのに、「楽をしていて馬鹿なゆとり」が社会に出てくるのを嫌ったのだ。メディア界は80年代90年代世代のギョーカイ人が中心層だったので、00年代世代の功績はまともに取り上げられずに馬鹿にされ続けた。

こうしたゆとり世代蔑視は2016年にクドカンのドラマを最後に減ったが、それはゆとり世代が働き始めて偏見よりもまともだったことが明らかとなったからだった。ところが、そのあたりから露骨になったのが2010年代世代の過剰な持ち上げ方だった。『マルモのおきて』に出ていた子役を天才と称賛した。今に至るまで2010年代世代に様々な好意的な名称を付けて90年代世代の大人たちが褒めだしたのだ。あまりに露骨だった。それは2000年生まれ、特に2004年以降の生まれが「脱ゆとり世代」だったことと、90年代世代の子世代だったことにある。

2010年代は90年代を謳歌したサブカルオッサンの時代だったと言っても過言ではない。そこには2000年代世代の若者の姿はなかった、というより抑圧されていた。2020年代現在、時代はポリコレ(コンプラ)なのでサブカルオッサン的なものは段々減りつつあって、90年代世代も年齢的におとなしくなりつつある。彼らの子世代である2010年代世代は対照的にポリコレど真ん中なので親の意志がどれほど受け継がれるかはまだ不明な事だ。