バブル世代について

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バブルの娯楽と日本の栄華

娯楽の存在は悪くない。日本が娯楽面でも栄華を極めたバブル時代が良い時代だったのは間違いない。戦後に最も好景気で平和で楽しみの多かった時代なんだから、非の打ちどころがないものだろう。ただ、そうした時代に有頂天になりすぎた結果、「自分が楽しければそれでいいんだよ」「社会問題なんてどうでもいいんだよ」なる平和ボケも甚だしい考えが、時代を謳歌した人々の間でまかり通ってきたように見える。それがバブル世代の悪い癖だ。

ではバブルの娯楽って何だろうか。成金趣味の遊びやディスコも勿論そうではあるが、スキー・映画・ゴシップが大衆的な娯楽だったのではないかと思う。

80年代の前の70年代、時代は「戦後ではない」の高度経済成長が落ち着いて、人々は戦後からファッショナブルで渋くて欧米的な時代を過ごしてきたと言える。時代はまだ経済成長の陰で戦後の名残とか、世界の情勢の不安定さ、国内の学生運動、貧しい上京者たち、それらの文化が良くも悪くもごちゃごちゃになってシニカルで人情味のある雰囲気があったはずだ。70年代に流行ったフォークソングなんてまさにその象徴で政治性や音楽性が欧米への憧れであって、その一方で原宿や銀座では女性がスタイリッシュでクールなファッションをして、下町の居酒屋ではべらんめえ口調のオヤジさんたちがメチャクチャな生き方をしていた。

だが、バブル世代からしてみれば70年代の文化というのは、辛気臭くてジジ臭いものだった。80年代になると70年代よりも電子音音楽(テクノ)が主流になって、しみったれた四畳半フォークよりも大袈裟なドラム音とシンセサイザーの音楽が好まれるようになってしまった。生の楽器で演奏していたブルース・スプリングスティーンボブ・ディランチャック・ベリーよりも、マイケル・ジャクソンシンディー・ローパー的なポップが増えたように、日本でもバブル世代はメッセージ性よりも楽しいポップ音楽を好むようになった。ファッションに関しても、シックやパンクなファッションよりか、エアロビファッションがブームになってカラフルでヘンテコなのが「アメリカ的」として好まれるようになる。

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日本でもエアロビ的で蛍光色極まりない「アメリカ」が広まったのには、映画の存在がある。これがまた重要だ。80年代のアメリカはそれこそ都市部の治安が最悪だったが、それは要するにドーナツ化現象によるもので、都市住民は郊外に家族で住むのがステータスだった。80年代のハリウッド映画やシットコムはこうした都市郊外の中流家庭をテーマにした作品を量産して、平凡な日常の中で起こるSFを次々と映像化したスティーヴン・スピルバーグ監督の功績が大きい。今でも80年代映画である『E.T』『ホーム・アローン』『グレムリン』は普及の名作だが、どれもみな郊外の中流家庭がテーマだった。

80年代世代のバブル世代にとって日本の好景気とアメリカのポップ音楽とハリウッド映画の時期が重なったのはインパクトが強く、彼らの中に「アメリカ」が定着することになる。芝の前庭を構えたガレージ付きの広い家、幹線道路沿いにあるマクドナルドやトイザらスや平屋建てのショッピングセンターは憧れだった。クレヨンしんちゃんのようにバブル時代に埼玉などの郊外が人気だったのはこれの影響があるだろう。

80年代の文化は楽しくて私も好きなものがたくさんあるが、残念ながら、メッセージ性が少なかった。そして、何より商業的だった。ポップな「洋楽」はもっぱら「洋画」のために作られ、その中に政治性だとか社会的メッセージ性はない。「洋画」に関しても、面白くて感動的なものはあっても単なる消費的な娯楽に終始していて、男女の恋愛や家族愛といったものにとどまった。アメリカ郊外の文化なんて商業主義の権威といえ、マイカーでドライブスルーめぐりをすれば満足な世界であった。それらは幸せなことだし平和でいいかもしれないが、バブル世代はそれに甘んじることとなった。 

話がアメリカに逸れてしまった。日本の話題に戻れば、バブルの真っただ中だった。この時代は「トーキョー文化」が隆盛を極めていた。東京は日本経済・文化の中心であって、それは同時に当時世界の東の中心でもあった。金持ちが銀座や新宿や六本木の高級クラブでブイブイ言わせ、一般的な若者も各地のディスコに映画館にボウリング場をはしごして遊んだ。東京23区の南半分、港区あたりは時代の成功者たちの目指す場となって、「勝ち組」「負け組」の差を付けては「三高(高身長・高学歴・高収入)」はモテる男の評価対象となった。ネオンが踊る東京の街並みや新幹線や首都高速などの交通、任天堂ファミコントヨタの車・日立・東芝・ナショナル(パナソニック)の家電、日本の技術的で文化的なレベルの高さは世界一といっていいほどで、欧米人は映画『ブレードランナー』から東京をサイバーパンクの近未来として憧れたりジャパンバッシングの形で日本が脅威になるほどだった。

東京だけではない。地方にはリゾート施設や娯楽施設が次々と作られて、休日にもなればそこに東京と郊外から人々がマイカーで駆け付けた。中でもバブルを象徴するのがスキー場であり、新潟や長野の田舎が都会向けに開発された。ゲレンデで流れる広瀬香美の『ロマンスの神様』、映画『私をゲレンデに連れてって』の影響は大きい。千葉にはディズニーランドができて、船橋にも例にもよって人工雪スキー場ができた。また、こうしたレジャー・旅行ブームによって海外旅行も盛んになった。特に人気だったのがハワイで、日本から絶妙に近くてリッチな南国気分を味わえ、ハワイで金持ちアピールできた。社員旅行・新婚旅行・家族旅行の定番がハワイだった。

 

 

そしてバブルは崩壊

日本のピークは過ぎて、楽しい時代は終わってしまった。それまで価値のあったものに意味が無くなり、金持ちは失い、人々には余裕がなくなった。この「バブルの崩壊」が起きて、平成初期90年代という時代が始まることとなった。90年代前半は平成といってもバブルと大差なかったものの、気持ち悪さと陰湿さは2010年代並みにひどい時代だった。これについてはまた別の記事で述べる。

バブル世代の人々はものを失った一方で、心はいつまでもバブル気分であった。平成になって、21世紀になって、2010年、2020年になっても彼らの中でバブルは終わっていないので、当時の感覚で物事を見て語ってしまう癖がある。これが現在に至るまで弊害となっているのだ。娯楽中心主義であったので政治無関心で、いろんな偏見があって、態度の良くなさがそうだ。

そもそもの話として、年配者が現代人と異なった古い価値観を持っていて、それが現代では通用しない者である場合がある。バブル世代の場合、彼らは昭和生まれ昭和育ちであるため、バブル以前に昭和や土着日本の考えが前提にあるのだ。それだから、家族・子ども・女性・外国人・同性愛者といった対象に対して古い固定観念がある。昭和の時代では今日差別的とされる表現も日常的に普通だったのでそうした表現を好んで使いたがるし、偏見の対象には激しい嫌悪の態度をあらわにすることだってあるのだ。

バブル時代では政治・社会問題すら娯楽となっていて、『朝まで生テレビ』『ゴー宣』『美味しんぼ』そしてワイドショーが世の中を知る手段になっていた。ゴシップ風で楽しい雰囲気にしないと学べないのだ。基本的にバブル世代にリテラシーはなく、ワイドショーは正しいとかネットには真実があるという考えに至りやすく、それが原因で陰謀論に傾倒したり排外主義者になってしまう。彼らは80年代のアメリカ娯楽が好きな一方で、アメリカ文化を毛嫌いする矛盾した傾向があって、その理由は陰謀論である。幼少期を過ごした70年代に見たノストラダムスから始まり、リテラシーのなさと相まってアメリ陰謀論にハマってしまう。バブル世代にビートルズ好きが多いのも、陰謀論に基づいたアメリカ悪玉論からの反戦というパターンが多い。給食に鯨肉が出た世代であるため、捕鯨の話題になると激しく欧米(人)ヘイトを繰り広げるのも特徴だ。

 

そして、大きいのが、バブル世代は自分たちのバブルの日本こそが世界一で世代一だという感覚がある。日本の最盛期を謳歌したらから、日本(人)はすごくて、バブル世代はすごいんだ!の精神である。

バブル世代の中高年には平成世代・ゆとり世代の若者たちを敵視する者が少なくない。彼らの子世代がその対象にあたり、大人の理解できない異質なものと決めつけてきたのと、若者に対する土着的な偏見と大人・子ども観があった。若者をチャラチャラしていると咎め、「親・大人への感謝が無い」と説教して、若者がすぐキレて危ないと決めつけた。若者文化の否定も激しく、それは欧米・先進文化の否定でもあった。「炭酸飲料は骨を溶かす」「ファストフードはもれなく危険」 などのフードファディズム、「ピコピコ(ゲームのこと)がゲーム脳を作る」「ゆとり世代は円周率が3だから礼儀がない」といったトンデモで感情論的な文句を本気で言っていた。また、2000年代以前には凶悪少年犯罪が相次いだり昭和には暴走族や不良がたくさんいたので、その当時のイメージで「少年犯罪が増加している!」「大人がしつけないと悪さする!」という意識があるのだ。

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いわゆるネット右翼(ネトウヨ)も一番多いのがバブル世代だろう。上記のような陰謀論ネット左翼も多いが、同じ原因でネトウヨ・排外主義者が目立つ。ワイドショーの中国韓国特集を見ながら「これだから中国人は!韓国は!」とキレたり、"ネットで真実"に傾倒してレイシストらしさを発揮してしまう。知恵袋で説教している人や、twitterで長文にわたって差別的な文言を書いている人、彼らがそうだ。中高年ネトウヨを見ていると彼らの世代しかわからないネタを出すことが多々あって、それが痛々しさを倍増させている。猫・柴犬・バイク好きが多いのはそれらに相棒感が、ドナルド・トランプ好きはオヤビン感があるからで、バブル世代のオヤジはそうした昭和の漫画的な主従関係を好む傾向もある。

それだけではない。バブル世代は"格下"の中国や韓国を敵視するだけでなく、途上国や肌の黒い人も下に見がちだ。それは昭和時代に南洋や肌の黒い人種が未開として描かれてきたのが普通だった影響が大きい。バブル世代だと東南アジアに対して邪な見方をする者もいるだろう。国内のことに関しては、「三高」や東京至上主義の優劣付けたがりも強く、良いクルマや腕時計がイケてる男のたしなみという時代にそぐわない感覚もある。業界人感覚も甚だしく、この世代がなおエンタメの権威にあるので、平成世代をバカにする番組やハラスメント染みたコンテンツやオッサンの内輪ノリが作られてしまう。

 

バブル世代の人が何か不適切な発言をしていた時に、それを注意するのは難しいことだ。中高年の考えはその人の中で固定されていったものであるので、そう簡単に変わらない。バブル世代は特に頑固であって、年下の言うことには「そんな難しい話はどうでもいい」と聞く耳を持たないか「大人に向かって指示するな!」と逆ギレするのがオチだ。若者や外国人や知識人がバブルの過ちをうるさいほどに指摘していくしかないのである。