2010年代前半の原因となった2000年代後半

私が大好きな時代を挙げるとするならば2000年代後半だ。個人的に2000年代後半は最高な時代で楽しかったのだが、日本が2010年代に向けておかしくなり始めたのがこの時代でもあった。当記事では2000年代後半の悪かった部分を扱いたい。

 

2000年代後半に起きた社会的な出来事で真っ先に浮かぶのがリーマンショックだ。「派遣切り」が社会問題になって、今のコロナ禍のように路頭に迷う人々が報じられた。それだけではなくバブル崩壊から目立った景気の向上もなく日本は20年目を迎えていた。こうした社会の悪い景気が文化にも影響されていたように感じ、のちの2010年代前半を作っていったのではないだろうか。

2000年代後半のカルチャーを一言で表すなら俗であって、ゲスで安っぽさが目立つものだった。90年代に青春を過ごした90年代世代、郊外のヤンキーが文化を作り、それらは景気悪化と無関係とは思えなかった。

 

郊外のヤンキー系文化

2000年代後半から2010年代前半までを思い出せば、ヤンキー文化の真っただ中だった。ギャル文化の再興や自由な若者文化が生まれたのは良かったが、攻撃的なヤンキーが溢れかえったのはいただけなかった。

地方の片側2車線くらいの幹線道路(バイパス)沿いに次々と安価なチェーン店が増加したのが2000年代後半だった。イオンモールすたみな太郎ラウンドワンドンキホーテなどの安くてゴチャゴチャしていて俗なフランチャイズが次々とできて、そこにヤンキーが集う風景があった。眉毛がなくて真っ金髪だったりスキンヘッドですごい肥満の兄ちゃんたちがニッカポッカを履いて、ケバく盛ったギャルと一緒に上記の店々をはしごするのが定番だった。都市部ではどこも風俗や消費者金融の雑居ビルの間にワタミがあるような街並みが広がり、大通りでは風俗求人のバニラトラックがアホ学生の一気飲みコールみたいな歌をけたたましく流して走り、路地裏ではチンピラがいかり肩で闊歩していた。長々しいポエムを飾ったラーメン屋や居酒屋がヤンキー系若者の青春文化として君臨したのもこの頃だ。 

テレビ番組の低俗化もこの時期だ。芸人らがひな壇に座ってゲスな話をするアメトークやしゃべくりみたいな番組が増えた。下品なオッサン向けの深夜番組のノリが人気になって、それらを作ってそれらを消費するのは専ら90年代が青春だった90年代世代だったわけである。ゴールデンタイムのテレビ番組も、ガラの悪い芸人が"おバカタレント"たちをいじりまくったり、ダサくて恥ずかしいオリジナルソングをリリースしたりして、そういったものが視聴者のB層にウケていたのだ。ワイドショーも北京オリンピックのあたりから毎日のように中国(人)を悪く言う特集を組んでいた。こうした低俗なテレビ番組を好んで見たのはテレビが家族団欒の中心になっている郊外であった。ゲームに関しても2000年代後半はガラケー全盛期の中でモバゲーやグリ―といった俗な携帯ゲームが台頭して、それらにハマっていたのは非オタク系の郊外のヤンキーや後述するキョロ充だった。そういった俗な携帯ゲームはのちに2010年代前半の低俗スマホゲームの元祖となった。

音楽文化も、俗だった。おバカタレントたちが歌わされていた取るに足らない楽曲や、あまりにも稚拙な矢島美容室なんて、90年代世代のオッサン芸人たちの内輪ノリでクラクラした。当時のEXILEは郊外のヤンキーそのものだったし、タオルをブンブン振り回す系の遊助湘南乃風の『睡蓮花』だとかDJ Ozumaは郊外のヤンキーたちにとってレジェンド的な楽曲だった。とても都会的ではない。

 

漫画・映像作品に反映される社会

思い出してほしい。2000年代後半にはやたらにデスゲーム・天変地異・アウトローを扱ったコンテンツが多かった。

まずデスゲームで言えば、山田悠介作品や『カイジ』が大流行した。天変地異を扱ったのだと『二十世紀少年』や『感染列島』があった。そしてアウトローやアングラだと『ウシジマくん』や『サイタマノラッパー』や『任侠ヘルパー』があった。いずれもギャンブルだとか風俗それらをめぐるアウトローの残酷さや社会の汚さを描き、見ていてとても暗い気分になった。ドラマも『ライフ』など大げさすぎなほどにイジメを描いたり、狂人が異常なことをするドラマや映画が増え始めた。社会の景気が悪くなって、社会のバイオレンスが求められているのだと実感したものだ。

この現象はバブル崩壊後の90年代にもあった。伊丹十三作品や『ナニワ金融道』など、アウトローや社会で落ちぶれた人を描いた暗い作品が流行った。90年代にチーマーや援助交際が増えたように、00年代後半からやばいヤンキーだらけになったのも似ている。

 

ネットの悪質化

2000年代も後半になってくると、PCの普及でネット人口も増えた。時はオタク文化絶頂期であり、有名アニメが次々と生まれてニコニコ動画も登場してネットは楽しいオタクカルチャーであふれたが、排他的な側面も生じた。ネットに底流していた古い差別的な思想や特定の層への攻撃的な態度が、当時は2chコピペブログと呼ばれていたまとめサイトなどを通して広がっていくこととなった。

ネット外でも蕨のフィリピン系少女や京都の在日コリアンに対するヘイトスピーチが起こって、それらはネット上の憎悪と関係があった。ネット右翼は「在日特権」なるものを信じていて、ネットには当時の民主党を茶化したネタがたくさんあって、韓国人や女性を見下した画像やコピペが使いまわしで見られた。当時新しかったニコニコ動画は必然的にネット右翼嫌韓系のオタクたちのたまり場となって差別的な動画に差別的なコメントが溢れて、過激な配信者たちは人気を集めた。また、時の首相だった麻生太郎は保守的な態度がネット右翼層にウケただけでなく、『ローゼンメイデン』を愛読した逸話からオタクたちから「ローゼン閣下」として親しまれた。絶望先生ヘタリア嫌韓流、海外の反応といった冷笑的なオタク系ネット右翼を増やすコンテンツが流行ったのもこの頃だ。

あざ笑う様子を表す顔文字「^^」や冷笑を表すスラング「(笑)」「()」も次々と作られた。冷笑スラングのルーツに至っては女性蔑視が元になっており、当時流行っていたスイーツパラダイスや読モ雑誌などで特集された"スイーツ"にはまる女性を「女は単純だからすぐデザートを"スイーツ"と呼ぶ流行に流される」として「スイーツ(笑)」と冷笑したワードだ。ゆとり世代を無教養だと馬鹿にするスラング「ゆとり」も盛んに使われた。

ネットで社会的少数者に対して悪意ある態度を取っていたり保守右派へ固執する者は、景気悪化が少なからず影響していたと言える。当時ネットにいて憎悪的な空間に好んで浸っていた層は社会の日陰者であって、自分こそが社会で最も恵まれない層であって、"ノイジーマイノリティ"より俺を優先しろと考えていたのだろう。「スイーツ(笑)」はモテないことからの女性蔑視、「ゆとり」は自分の世代よりも楽をしているように見えることからの嫉妬、そういうことなのだ。

 

キョロ充文化の台頭

当時はキョロ充なんて言葉はなかったが、今で言えばキョロ充の文化が台頭したのも2000年代後半だった。ヤンキー系でもオタク系でもない層で、趣味が無くて大衆文化をひたすら人気かどうかで消費する層をそう呼ぶのだ。キョロ充が悪質なのは、自分こそが常識人である自負があって、流行に乗らない人や世間体から外れた人を冷ややかな目で見たり、イジメの傍観者になるところだ。

キョロ充もまた郊外文化が生んだ存在で、首都圏郊外といった何の個性もない地域に住んでは「標準語」を話す者たちだ。ヤンキーが野球部で、オタクが文化部で、キョロ充は軟式テニス部といったところだ。キョロ充はラウワン・すたみな太郎イオンモールが大好きで、音楽情報は全てMステから手に入れる。好きなゲームはスマッシュブラザーズモンスターハンターとモバゲー・グリーだ。中流家庭に育ち、全てのステータスが平均的で不自由なく暮らして、ふつうのサラリーマンになる人たちで、それは別に良いとしても本当に「普通」以外を知らないので「普通」以外を見下す傾向がある。

さらにキョロ充は自分を現実を知っている好青年だと勘違いしているフシがあり、カラオケで「ボクが~キミが~」とナヨナヨした声で歌ったり、自分を可愛いと思っているが腹黒いのだ。キョロ充に大きな影響を与えたのがBUMP OF CHICKENとGREEEEENであって、ヒョロヒョロした歌と純粋な好青年的なイメージがキョロ充自身の印象付けにぴったしだった。ネット文化もFlashアニメの『思い出は億千万』とかいったダサいものしか知らずにそれを好んでいたのがキョロであったのだ。

 

ヤンキー・オッサン・ネット右翼・キョロ充はその後2010年代になると、日本を台無しにしていった。