ミーム至上主義の2014年度を繰り返すな

2010年代で日本のギスギス感が最高潮に達したのが2014年度だ。ネットは何を検索しても悪質な2chまとめサイトが引っ掛かり、過激なネトウヨがそこら中にいてヘイトスピーチ三昧、テレビをつければ日本スゴイ番組とか月曜から夜更かしとか学歴バトルとか非常識な女性を責めまくるといった番組しかなかった。そして、若者たちはそうしたノリに感化されて右傾化したり「マジキチでクッソワロタwwww」などと口にするような残念な風になっていた。

そんな2014年度は文化的にも非常に低俗であって、それが「ミーム」である。ミーム(meme)とは主にネット上で使われる概念であり、あるコミュニティの中で共有されている決まり切った画像や文章のことであり、わかりやすくいえばお約束の定番ネタがそれにあたる。国外のネットカルチャーにおいてミームはかなり重要であり、コミュニケーションに欠かせないものになっている。日本では、ミームの概念が薄いものの、ネット民ならだれもが知っている面白画像を貼って返信したり、コピペや決まった言い回しが存在する。それがミームだ。

ミームの最大の問題点が、その閉鎖性・内向性にある。狭いコミュニティのいわば内輪ノリであり、よそものを受け付けない隠語的性質があるのだ。だからミームはもっぱら内向的なヲタクたちの間で好まれ、いくら海外といってもミームを使っている人間が閉鎖的なナードなのは間違いない。加えて、ミームには物事を茶化したり中傷の手段となる場合が多々あり、ミーム自体が元ネタにされた物事を貶めるコンテンツだったり、ミームを悪意を持って使うことで他人を不快にすることができる。

 

ネットにはびこるミームと「キセキの世代」

dic.nicovideo.jp

覚えている人もいるだろう、2014年といえば世間を騒がせた面々がいた。その研究を疑われつつも「STAP細胞は存在する」と主張した理化学研究所の研究員、耳が聞こえないふりをして作曲活動することで注目を集めたものの実はゴーストライターがいた自称作曲家、政務活動費を私的に使用したことを追及されると会見で号泣して絶叫した兵庫県議員。彼らは確かに滑稽で、その話題性では面白がってしまうこともあるかもしれないが、別に彼らは人を面白がらせるつもりは一切なかった。

ネットでは当然彼らのことをネタにして楽しむ光景があり、画像を合成したりモノマネしたりであふれかえった。そのほかに2014年に話題になるか炎上した者を総称して「キセキの世代」と呼んではしゃぐ様子、これにはくらくらした。ネットではもともと炎上した人やネタにできそうな人を玩具にして愚弄する悪ノリがあり、さらにはヲタク的なものとも相まってより偏執的で俗な風に扱われる。そうなるとそれはもうミームであり、痛々しく閉鎖的な内輪ノリの完成なのだ。「キセキの世代」もそんなミームの集合体であった。

 

表社会をむしばんだミーム至上主義

ネットだけのミームならそこにとどめておけばいいかもしれない。ところが、この時代はネット以外の世間までもがミーム至上主義に陥っていた。そしてそれらはネット由来だった。

代表格としてマツコ・デラックスの存在があり、90年代の陰湿なサブカルノリと2chの悪意あるノリをそのままメディアに持ち込み、日テレの月曜から夜更かしはマツコを司会に構えて地域対立煽りやあらゆるものを馬鹿にする図式ができあがった。この番組は当然ネット民に大うけで、さらにスマホからネットに毒された若者がマツコを神格化するザマだった。世間的にマツコの言うことは絶対だという風潮になってしまったのだ。「グンマ―」「大都会岡山」「修羅の国福岡」「ダ埼玉」みたいなネットのつまらない地域対立ミームを地でやる月曜から夜更かしは完全にミーム番組であるし、マツコ自体がミームになっていたのである。

2010年代前半は日本のメジャー音楽界も地獄のようで、秋元康のアイドルか地下アイドル、ネット発の歌い手や千本桜などボカロばかりがでかい面をしていた。これらもサブカルのいわばミームであり、キモヲタの内輪ノリを見せられているようで、世界のトレンドとどんどん離れていくのを感じた。地方行政ではゆるキャラが次々採用されて萌えキャラがゴリ押しされて役人たちが恋するフォーチュンクッキーを踊って、その様は到底まともには見えず、90年代サブカルヲッサンとネットミームに支配された感がすさまじかった。ふなっしーみたいな悪ノリのゆるキャラがウケたりもそうだ。2014年といえば艦これと妖怪ウォッチでネットも世の中も埋め尽くされた時であったが、それらも日本でしか通用しない内向的な内輪ノリとミーム的な要素が強かった。

 

悪意あるミームと過激化

ミームには他者をおとしめる要素があること、それは上記で述べたとおりだ。ミーム自体が閉鎖的なコミュニティの内輪ノリなので、サブカルやオタク的なものでとどまっていればよくてもイジメや差別とも十分親和性が高い。「キセキの世代」自体も、いくらその人が不正なことをして滑稽でも執拗に嘲笑や性のネタにしている時点でイジメと変わらない。月曜から夜更かしについても埼玉県など特定の地域や街頭の変わった人を度を越えてイジることは同様に名誉を傷つける行為であろう。異常だったのはこうした悪意あるミームにネット外の世間すらそれに便乗していたことだ。 

狭いコミュニティだと内輪ノリが過ぎて、調子に乗る者も出てくる。ヲタクが不謹慎なことをして注目を浴びようとするのはよくあることで、その悪ノリが過激化したのも2014年度だった。アフリカで発生したエボラ出血熱萌え擬人化したエボラちゃん、テロリストに人質にされた日本人でコラ画像(クソコラ)を作ったり、最悪だった。恥ずかしいのは、ミームを楽しんでいる方は自分たちが最強で一番面白いと思っていることだ。

さらにミームは政治思想的なもの、ネトウヨとも親和性が高い。2014年は日本の右傾化がもっとも深刻だった頃で、その震源であるネットなんて見るに堪えないヘイトスピーチであふれかえっていた。ネトウヨたちの間では韓国人を侮辱するための画像(本物かどうか怪しいテレビのインタビューなど)がしょっちゅう貼られ、左派系議員を冷笑するための画像もよく見た。また「トンスル」や「コンス」など、日本人はほとんど知らないような韓国の風習などをネトウヨは必ずヘイトの時に使い、それらも結局はネトウヨの中で誇大化した一種のミームだった。ほかにも、未成年者による不祥事が起きると、ネットの悪意あるユーザーやネトウヨが憶測で物事を結び付けたり、事件を過剰にセンセーショナル化してミーム化するのも見られた。 

 

2014年度の日本のミーム主義を招いたものは、90年代のサブカル至上主義とヲタクの悪ノリで、それに加えて経済悪化による内向的なビジネスと消費にあると言える。これらが日本を低俗化させて国際社会から孤立させ、多くの人を傷付けた。その罪は大きく、日本人は2014年度を日本文化最初の谷として記憶していかないといけない。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ようかい体操第一 ~つづき~ (CD+DVD) [ かえで☆ ]
価格:1503円(税込、送料無料) (2022/1/11時点)


 

2010年代諸悪の原因「自称進学校」

2010年代前半の日本を思い起こせば、誰もが「俺が一番頭良い」と他人を見下して、格付け・差別するのがまかり通っていたものだ。外国人差別学歴差別がトレンドになっていた時代は異常極まりなかった。また、2010年代はオタクが市民権を得た時代だったが、オタクと呼ぶには造詣が浅く冷笑的で悪意のあるサブカルが蔓延したこともあって非常に陰湿だった。腐女子や意識高い系が増長し始めたのとも重なる。

2010年代が極めて陰湿な時代だったことは「自称進学校」を考えれば見えてくるものがある。

 

2010年代に起きたこと

まず、「自称進学校」よりも2010年代という時代に何があったかを見ていく必要がある。2010年代前半はネットが一般層に急激に普及した時代で、スマートフォンの登場がこれに拍車をかけた。だが、2000年代後半からのネット社会はすでに存在していて、そこはオタク・サブカル文化の二次世界となっていた。文化的には優れていても、同時にネットでは誹謗中傷や差別も横行していて、ネット右翼冷笑系の価値観や「スイーツ()」や「〇〇する奴は馬鹿wwww底辺乙^^」といった煽りがコピペブログ(まとめサイト)を通じてネット利用者の間で広がっていた。そんなネットの悪いノリが2010年代ではテレビでも平然と導入されて、その結果、学歴消費コンテンツ・日本スゴイ外国はダメネトウヨコンテンツ・『月曜から夜更かし』といった低劣なものが公共の電波で流されることとなった。J-POP界でも地下アイドルやロキノン系おふざけバンドやサブカル音楽だらけになり、そういったものもやはりネットのヲタク由来のニコニコだとかの地下アイドルや「歌い手」「踊り手」の延長だった。それらは全て日本でしか通用せず、内向性の強いものだったのだ。

2010年代には学歴ブームがあった。2010年代前半あたりが一番ひどかった。予備校講師の林修がテレビに出まくって「今でしょ」が流行語になり、2000年代には「ビビり橋」など面白いバラエティ番組だった『Qさま』は学歴クイズバトルになり、オリラジがインテリ気取り芸を披露して、新しくデビューするアイドルや芸人がみな高学歴アピールをした。その後もビリギャルや東大王といった学歴を扱ったコンテンツだらけになった。ネットでは自分より学歴が低いとみなした人や大学のことを「Fラン」「低学歴」「低偏差値」と呼んで徹底的に見下すことが流行って、国立大学や理系であることが偉いとされた。

 

「自称進学校」について

「自称進学校」は進学校を名乗りながら実態はハリボテな学校を指すスラングだが、私が定義するところの「自称進学校」とは勉強ばかりしていて道徳が一切ない学校である。私が自称進学校の世界を知ってしまったのは、当時教育に関わったのと、実際に自称進学校在籍・出身の知人がいたからであった。実態を知るほどにカルチャーショックであって、不快な気分になった。

 これは自称の方に限らないが、進学校に通ったり勉強が得意な人というのは、世の中よりも勉強に一人黙々と向きあうために地味であったり社交的でなかったり独特な雰囲気を醸していることが多い。勉強を頑張るのは良いことだし、そういった人がいても何も問題ない。ところが自称進学校の場合、これに攻撃性が加わった狂暴で陰湿な「ガリ勉」がとても目立った。自分以外全員馬鹿とみなして、世の中を冷笑して、日本の世間体に合致しない人や社会的弱者をさげすむ、そんなひねくれた若者だらけだ。どこの大学に受かって属するかが人生においての最大の肩書となり、自分のそれより低い者は人にあらずくらいに考えているのだ。

 

自称進学校とのかかわり

私の地元はノリが良くて先進文化が大好き、洋楽やファッションに誰もが詳しい地域で、ギャルも大勢いた。外国人や外国にルーツがある人も普通にいたし、もちろんインテリ系の人たちもたくさんいて、そうした人たちも話が面白くて古き良きオタクといった感じだった。それぞれに違いはあっても壁のようなものは存在しなかった。

2010年代になって、私はあることで自称進学校と関わるとことなったのだが、これがカルチャーショックだった。自称進学校の生徒は高校生なのに明らかにダサく、統制された制服の着こなしや髪型の前時代さ、私服もダサかった。それは学校の校則で決まっているのだと言い、私生活に関しても厳しい決まりがあるのだと聞いてびっくりだった。さらに驚きだったのが、下校時に携帯を使ったことで校則に引っかかったという同級生のことを「親が低偏差値だからルールも守れない」と冷笑する生徒がいたことだった。そうした差別発言もさることながら、理不尽な校則を擁護する姿勢には愕然とした。

彼だけではない、自称進学校の生徒はみな高校生らしからぬ強い選民思想や凝り固まった思想を抱えていて陰湿だった。忘れもしないのが自称進学校の奴らと関わったとき、街中で外国人がいると「うわ…出たよ外人。ここは日本ですよ?」とボソっとつぶやいたり、仲間内でヘイト団体のモノマネをして楽しむ奴がいたことだ。さらに、渋谷を「ヤンキーの街で低学歴しかいない」だの「洋楽を聞く奴は不良」「髪を染める奴は不良」などど若者とは到底思えない発言をしていた。

そんな自称進学校の生徒最大の特徴がみな内向的なネット民だったことだ。一般人は知りえないネットのネタ、ニコニコ動画2chまとめサイト・深夜アニメ・ネットゲームを全員知っていて、その情報を共有していたのだ。音楽はアニソンしか聞かない。それだけだったら一般的なオタクと変わりないのだが、彼らはネットの悪質なノリを好んでいたのが違った。学歴格付けは言うまでもなく、地域対立煽り、若者文化や外国文化を「DQN」と呼んで馬鹿にする、ネトウヨ思想(在日認定やヘイトデモ動画を楽しむ)、あらゆる差別用語の使用、地獄だった。こんなのまともな若者じゃねえよと。 

 

腐女子と意識高い系の存在

自称進学校で特筆すべきは腐女子の存在だ。男子生徒の場合は上記のようなひねくれたナードであるが、女子にしても同様であって、いわゆる腐女子しかいない。流行にはまったくと言っていいほど疎く、容姿は仕方ないにしてもファッションが絶望的で、趣味がニコニコ動画・pixiv・BL同人誌というありさまだ。男子と同じようにここまでなら単なるオタクだとしても、自称進学校腐女子は性格が大変に悪い。2000年代に銀魂とかが好きだったオタク女子と違って、友達としての楽しさや憎めなさというものが一切なくて、憎たらしさしかない奴らだった。自称進学校腐女子で一番ありえなかったのが、スカートを昭和のスケバン並みに下げて、ハイソックスをずり下げてオッサンみたいに履いていたことだった。

腐女子のほかに自称進学校にいたのが、意識高い系だった。覚えたての難しそうな単語を並べて、賢そうに喋る中身のまったくない連中。あと社会問題や福祉に関して理想主義的なことを唱える腐女子もいた。方向性は違えど、いろんなクソみたいな奴がいたのが自称進学校だった。

 

「自称進学校」を作るもの

自称進学校それ自体、そこの教育がおかしいのがまず大問題だ。学歴主義などは非常に日本の保守的な考えと通じ合うものがあり、学歴での格付けや蹴落とし合いの競争は戦後の高度経済期に「受験戦争」として確立されたもの、受験に関係ないものを下らないと一蹴したうえで学校・大企業・官僚役人ひいては国にまじめに忠誠を尽くすことを絶対視があり、自分より格下や社会的弱者を馬鹿にして自己責任とする精神、国立大学や理系を重視する国粋主義実学主義が存在する。全て繋がっている。勉強ばかりする中で道徳や常識は二の次になっていき、信じられるのは自分だけで排他的になって他者とのかかわりも減り、そうして独りよがりなネットの世界にのめりこんでいく。学校の校則が厳しく勉強のストレスもたまるから、学校の外や家で好き勝手やったり。勉強するのは受験のためであってその本来の目的や本質的な内容はどうでもいい。

自称進学校の生徒を作り出しているのはまぎれもなく自称進学校なのだ。教員たちが凝り固まった思想を持って教育すること、生徒を前時代的な校則で縛って、生徒同士疑心暗鬼にさせ、人としての良心は一切教えずシステマティックな受験のことだけを叩きこむ。これが日本の「勉強だけできるバカ」を作り出している。

 

日本を蝕んでいった自称進学校

私は早い段階で自称進学校の惨状を知っていたので、あの世界がいかに特殊であったか、いかに私の地元含めた世の中が正常さが客観的にはっきりとわかった。ところが、悪しき自称進学校が徐々に日本を蝕んでいると311以降に実感せざるを得なかった。

震災以降の2010年代前半ではテレビでは学歴を扱ったコンテンツやネットでしか通じない陰湿なネタを扱った『月曜から夜更かし』などの番組であふれかえり、ネットではまとめサイトを発信源とした悪質な対立煽りに誹謗中傷、街中のヘイトデモや差別が増えた。それらは自称進学校を思い出すものだった。2010年代後半には糞なサブカルチャーであった腐女子文化も次々とメインカルチャー化して、歌い手・地下アイドル・ボカロ・千本桜・声優・成人式・pixivの絵師・刀剣乱舞おそ松さん鬼滅の刃などがどんどん増えていって低俗メディアがそれらを取り上げた結果、2020年代はついに日本の文化の中心は腐女子になってしまった。私の地元ではロングスカートに短い靴下をはいた女子がいようものならギャルと一緒に爆笑したのに、ボカロの椎名林檎みたいな曲を聴いてたらダサ過ぎて笑えたのに、今ではそれらが若者文化・女性文化になってしまっている。

日本は自称進学校に支配されてしまったのだ。そして、2010年代の諸悪の原因はこの自称進学校にあるともいえる。誹謗中傷・学歴厨・サブカルキモヲタ・ネトウヨ腐女子・意識高い系を生んだのは自称進学校なのだ。

 


 

サブカルオッサンと90年代

f:id:wt2010:20210512024120j:plain

この記事では90年代という時代よりも90年代を謳歌した90年代世代に焦点を当てる。 2020年代現在、90年代世代はおおよそ40代から50代前半くらいの中年世代である。彼らはいわゆる「氷河期世代」にあたる時代の被害者だが、良くも悪くも日本に大きな文化的影響を与えた先駆者たちだ。「氷河期世代」であること、かっこいい文化も築いたこと、最近はだいぶ丸くなったこと、バブル世代とは違って90年代世代は文化上よい部分も悪い部分もあるので、一概に批判できない。批判的な内容は少し心が痛むものの、90年代世代が2010年代の日本を低俗にしてしまったことは批判に値するものだ。どこでも深夜番組のノリでアイドルやファミコンの話をするオッサンたち、ヘイトスピーチをするネット右翼ゆとり世代バッシング、タブーを楽しむ悪趣味、これらが日本を先進国から遠いものにしていた。 

 

サブカルチャーと悪趣味

90年代はサブカルチャーの時代だった。それは90年代を謳歌した90年代世代の人たちを見れば瞭然のことである。ネットにいるオタクの人たち、テレビに出ている芸人、アングラ系雑誌のライター、大体が90年代世代だ。困ったことに、そうしたサブカルに携わる人たちに極めてシニカルなニヒリスト、幼稚、悪趣味が目立つのだ。

00年代後半から10年代前半にかけてはオタク文化が最盛期を迎えてIT革命が興った。この頃のネットは楽しかったが、差別的攻撃的な言論が多数見受けられたのも事実だ。韓国・中国・在日を叩き、民主党を冷笑し、女性を「スイーツ()」だとか社会的弱者を甘えだとバッシングしまくり、そして当時中高生だった2000年代世代を「ゆとり」と呼んで馬鹿にしまくる光景が当たり前にあった。「〇〇する奴は負け組wwwww」「年収〇円以下の底辺乙」といった社会的格付けと侮蔑の表現もありふれていて、ネットにいた90年代世代はそんな価値観を持っていた。今でも当時から有名だったITの専門家や成金なんてのはこの価値観を持ち続けていて、炎上ビジネスのようなものが大好きなゲスだ。別にそうでなくても、さんざんゆとり世代や女性・若者・外国文化を幼稚だとかDQN(不良)扱いする傍ら、ネットではエヴァンゲリヲンガンプラやストⅡの思い出話に花を咲かせるオッサンたちなのだ。

ルポ系ムックライターやそれらに影響された人も90年代世代が多い。雑誌の内容が内容なだけに、非常に低俗かサブカルティックなものが多くてそれは別に良いが、それらの中の悪趣味をまんまネットに持ち込んできたのが良くなった。タブーに切り込む的な名目で、誇張表現やこじつけで地域・民族差別的なネタをネットに載せたり、炎上ビジネス上等なネットバイラルメディアを運営してライターしたりする、そんな人たちだ。過激なネット右翼もこの世代が多い。

もちろんすべての人に当てはまるわけではないが、氷河期世代は日本の政府が悪いとはならず、社会的弱者や声を挙げる人たちを悪者にしたがる傾向がある。00年代後半から10年代前半にあった「在日特権」デマ・生活保護(ナマポ)受給者叩き・民主党などリベラル冷笑、そしてゆとり世代蔑視や女性蔑視がそうだ。自分が氷河期世代ワープアなのに、本来は自分に費やされるべき利益などを楽して得ようとする奴らがいて椅子取りゲームでズルをしている、という発想だったのだろう。こうした思想が先鋭化した結果が、ヘイトデモだった。

アジアの新興国に移住した90年代世代も少なくない。彼らは日本でやっていけなくなったのとIT革命からジョブズまでの意識高い風潮に感化され、タイや中国の深圳などに移住してそこで株などをやっている。海外事情を知っているから深刻なネット右翼ではないものの、「リベラルは馬鹿」「俺以外みんな馬鹿」という冷笑系思想は健在であるだけでなく、現地の文化に興味なくて下に見ていることもある。

 

テレビ界を我が物顔にしてきたのも90年代世代だ。ひな壇芸人のオッサンたちが紅一点の女性ゲストをコンパニオン的に呼んだうえ、芸人内輪ノリ、ファミコンドラクエ・90年代のグラビア・ドラゴンボールの思い出話、AVと下ネタ、「イジリ」、これらを汚い言葉でうるさく語り合うような番組が平然と2010年代に許されてきた。「ガチ」「イキる」などの低俗語、ツッコミやイジリを広めたのもこの層だ。そうした芸人はただ下品なだけでなく、例にもよってセクハラ・差別思想も持ち合わせていて、ネットやワイドショーでご意見番になっている人物もいる。芸人だけじゃない、ネットの冷笑系や陰湿ルポライターの感覚をそのまま持ち込んだマツコ・デラックスが2010年代前半には一世を風靡して、埼玉をはじめとした地域蔑視や中国韓国人ヘイトや一般人(非芸能人)イジリが垂れ流された。クドカンゆとり世代を見下したドラマを作った。

エンタメ界に限らず、90年代世代の自分をギョーカイ人だと勘違いしているサブカルオッサンが2010年代の日本をダメにしてきた。地方の役所でゆるキャラ・『恋するフォーチュンクッキー』・ご当地アイドルを導入したり、NHKの番組でネットでしか通用しないネタを取り上げたり、大学の授業でアニメやアイドルの話をしまくる教授がいたり、独りよがりなサブカルオッサンが日本を低俗にしてきたのだ。

 

 

サブカルヲッサンを作り出したもの

低俗で幼稚で冷笑的なサブカル大好き90年代世代のオッサンを作り出してしまった原因とは何か?これの原因はやはり時代にある。バブルが崩壊した90年代世代に芸人やサブカル専門家が多い理由は、他に才能が無くて無知でも出来る好きなことを生きる術としたからだ。氷河期世代で挫折や競争社会に直面したことも、他人を見下すことや蹴落とす思想へと繋がっていて、上記のように弱者や声を挙げる人を悪者にしたがる発想もある。

90年代世代のサブカルヲッサンたちのことを知るには90年代の文化を見る必要がある。彼らが若かりし頃に親しんだ文化は人生に大きな影響を与えており、多感な時期に触れた文化だから心に残り、その時の感覚のまま大人になってしまったパターンだ。90年代はバブルが崩壊して夢が持てなくなって荒んでいた時代だった。その社会の空気は文化にもあらわれた。

 

90年代はお笑いブームがおこって、ダウンタウンとんねるずナインティナインなどの芸人が日本社会においてかなり高い地位を獲得して、若年層の憧れの的になった。青春イコールお笑いの価値観が定着して、芸人文化が発達したのもこの時期だ。だが、そうしたお笑いブームというのはいかにもホモソーシャル的なものと密接で、当時のテレビ番組でもメチャクチャで無礼講で下品なほどなのが面白いと思われていた。当時人気を博した『電波少年』だって、企画が事実かどうかは別として、なすびの企画とか人権上問題がある。他にも電波少年の猿岩石の旅や、『水曜どうでしょう』だって、海外の美しいものを映す番組というより日本の内輪ノリだ。2010年代のバラエティ番組や芸人は90年代の感覚そのままなのだ。だから2010年代になっても低俗な芸人の内輪ノリが許され、笑ってはいけないの黒塗りだとか「保毛尾保毛男」のような幼稚なマネをしてしまう。

90年代世代のネット右翼陰謀論者をよく見る理由も90年代を考えればわかる。90年代は政治・社会がエンタメ消費された時代であって、それはバブル時代からのものだった。「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんかに熱くなっていた時代だ。ワイドショーと朝まで生テレビが政治の面白コンテンツであって、政治無知でも小林よしのりの漫画を読めば政治を分かった気になった者がいたのだ。そして、90年代といえばオカルトブームがあった。UFO・UMA・心霊写真のトンデモネタ番組や冝保愛子がいて、90年代が世紀末であったことも話題になっていた。だが、こうしたオカルトブームの中でカルト教団が生じて、日本史上最悪のテロ事件が起きてしまった。そのカルトは事件の前まで政治やバラエティ番組に参加していたことからも、胡散臭いものへの疑いが当時は希薄だったのだろう。芸人で都市伝説ネタをやっている者がいるがあれだってユダヤヘイトの陰謀論にしか見えないし、ネトウヨやネトサヨの政治観やデマを見る限り、90年代の政治とトンデモを地でやっているのだ。

それから、90年代は若年者の治安が悪かった時代でもある。チーマー・援助交際・いじめなどだ。ネットで冷笑系とかネトウヨやっているオタク系のオッサンや、タブー切り込み系の陰湿なライターやっているオッサンは、間違いなくこの時代の学生生活に良い思い出がない。セーフティーネットととしてのサブカルはあって良いが、間違ってひねくれた方向に転がってしまったのだろう。

 

90年代を謳歌したサブカルオッサンの今後

基本的に90年代世代と80年代世代(バブル世代)はゆとり世代である00年代世代を下に見てきた。00年代後半から2016年頃まで、さんざんネットでもテレビでもゆとり世代を偏見によって馬鹿にしてきたのだ。それは若者批判でもあった。今まで自分たちの時代だったのに、「楽をしていて馬鹿なゆとり」が社会に出てくるのを嫌ったのだ。メディア界は80年代90年代世代のギョーカイ人が中心層だったので、00年代世代の功績はまともに取り上げられずに馬鹿にされ続けた。

こうしたゆとり世代蔑視は2016年にクドカンのドラマを最後に減ったが、それはゆとり世代が働き始めて偏見よりもまともだったことが明らかとなったからだった。ところが、そのあたりから露骨になったのが2010年代世代の過剰な持ち上げ方だった。『マルモのおきて』に出ていた子役を天才と称賛した。今に至るまで2010年代世代に様々な好意的な名称を付けて90年代世代の大人たちが褒めだしたのだ。あまりに露骨だった。それは2000年生まれ、特に2004年以降の生まれが「脱ゆとり世代」だったことと、90年代世代の子世代だったことにある。

2010年代は90年代を謳歌したサブカルオッサンの時代だったと言っても過言ではない。そこには2000年代世代の若者の姿はなかった、というより抑圧されていた。2020年代現在、時代はポリコレ(コンプラ)なのでサブカルオッサン的なものは段々減りつつあって、90年代世代も年齢的におとなしくなりつつある。彼らの子世代である2010年代世代は対照的にポリコレど真ん中なので親の意志がどれほど受け継がれるかはまだ不明な事だ。


 

 

2010年代前半の原因となった2000年代後半

私が大好きな時代を挙げるとするならば2000年代後半だ。個人的に2000年代後半は最高な時代で楽しかったのだが、日本が2010年代に向けておかしくなり始めたのがこの時代でもあった。当記事では2000年代後半の悪かった部分を扱いたい。

 

2000年代後半に起きた社会的な出来事で真っ先に浮かぶのがリーマンショックだ。「派遣切り」が社会問題になって、今のコロナ禍のように路頭に迷う人々が報じられた。それだけではなくバブル崩壊から目立った景気の向上もなく日本は20年目を迎えていた。こうした社会の悪い景気が文化にも影響されていたように感じ、のちの2010年代前半を作っていったのではないだろうか。

2000年代後半のカルチャーを一言で表すなら俗であって、ゲスで安っぽさが目立つものだった。90年代に青春を過ごした90年代世代、郊外のヤンキーが文化を作り、それらは景気悪化と無関係とは思えなかった。

 

郊外のヤンキー系文化

2000年代後半から2010年代前半までを思い出せば、ヤンキー文化の真っただ中だった。ギャル文化の再興や自由な若者文化が生まれたのは良かったが、攻撃的なヤンキーが溢れかえったのはいただけなかった。

地方の片側2車線くらいの幹線道路(バイパス)沿いに次々と安価なチェーン店が増加したのが2000年代後半だった。イオンモールすたみな太郎ラウンドワンドンキホーテなどの安くてゴチャゴチャしていて俗なフランチャイズが次々とできて、そこにヤンキーが集う風景があった。眉毛がなくて真っ金髪だったりスキンヘッドですごい肥満の兄ちゃんたちがニッカポッカを履いて、ケバく盛ったギャルと一緒に上記の店々をはしごするのが定番だった。都市部ではどこも風俗や消費者金融の雑居ビルの間にワタミがあるような街並みが広がり、大通りでは風俗求人のバニラトラックがアホ学生の一気飲みコールみたいな歌をけたたましく流して走り、路地裏ではチンピラがいかり肩で闊歩していた。長々しいポエムを飾ったラーメン屋や居酒屋がヤンキー系若者の青春文化として君臨したのもこの頃だ。 

テレビ番組の低俗化もこの時期だ。芸人らがひな壇に座ってゲスな話をするアメトークやしゃべくりみたいな番組が増えた。下品なオッサン向けの深夜番組のノリが人気になって、それらを作ってそれらを消費するのは専ら90年代が青春だった90年代世代だったわけである。ゴールデンタイムのテレビ番組も、ガラの悪い芸人が"おバカタレント"たちをいじりまくったり、ダサくて恥ずかしいオリジナルソングをリリースしたりして、そういったものが視聴者のB層にウケていたのだ。ワイドショーも北京オリンピックのあたりから毎日のように中国(人)を悪く言う特集を組んでいた。こうした低俗なテレビ番組を好んで見たのはテレビが家族団欒の中心になっている郊外であった。ゲームに関しても2000年代後半はガラケー全盛期の中でモバゲーやグリ―といった俗な携帯ゲームが台頭して、それらにハマっていたのは非オタク系の郊外のヤンキーや後述するキョロ充だった。そういった俗な携帯ゲームはのちに2010年代前半の低俗スマホゲームの元祖となった。

音楽文化も、俗だった。おバカタレントたちが歌わされていた取るに足らない楽曲や、あまりにも稚拙な矢島美容室なんて、90年代世代のオッサン芸人たちの内輪ノリでクラクラした。当時のEXILEは郊外のヤンキーそのものだったし、タオルをブンブン振り回す系の遊助湘南乃風の『睡蓮花』だとかDJ Ozumaは郊外のヤンキーたちにとってレジェンド的な楽曲だった。とても都会的ではない。

 

漫画・映像作品に反映される社会

思い出してほしい。2000年代後半にはやたらにデスゲーム・天変地異・アウトローを扱ったコンテンツが多かった。

まずデスゲームで言えば、山田悠介作品や『カイジ』が大流行した。天変地異を扱ったのだと『二十世紀少年』や『感染列島』があった。そしてアウトローやアングラだと『ウシジマくん』や『サイタマノラッパー』や『任侠ヘルパー』があった。いずれもギャンブルだとか風俗それらをめぐるアウトローの残酷さや社会の汚さを描き、見ていてとても暗い気分になった。ドラマも『ライフ』など大げさすぎなほどにイジメを描いたり、狂人が異常なことをするドラマや映画が増え始めた。社会の景気が悪くなって、社会のバイオレンスが求められているのだと実感したものだ。

この現象はバブル崩壊後の90年代にもあった。伊丹十三作品や『ナニワ金融道』など、アウトローや社会で落ちぶれた人を描いた暗い作品が流行った。90年代にチーマーや援助交際が増えたように、00年代後半からやばいヤンキーだらけになったのも似ている。

 

ネットの悪質化

2000年代も後半になってくると、PCの普及でネット人口も増えた。時はオタク文化絶頂期であり、有名アニメが次々と生まれてニコニコ動画も登場してネットは楽しいオタクカルチャーであふれたが、排他的な側面も生じた。ネットに底流していた古い差別的な思想や特定の層への攻撃的な態度が、当時は2chコピペブログと呼ばれていたまとめサイトなどを通して広がっていくこととなった。

ネット外でも蕨のフィリピン系少女や京都の在日コリアンに対するヘイトスピーチが起こって、それらはネット上の憎悪と関係があった。ネット右翼は「在日特権」なるものを信じていて、ネットには当時の民主党を茶化したネタがたくさんあって、韓国人や女性を見下した画像やコピペが使いまわしで見られた。当時新しかったニコニコ動画は必然的にネット右翼嫌韓系のオタクたちのたまり場となって差別的な動画に差別的なコメントが溢れて、過激な配信者たちは人気を集めた。また、時の首相だった麻生太郎は保守的な態度がネット右翼層にウケただけでなく、『ローゼンメイデン』を愛読した逸話からオタクたちから「ローゼン閣下」として親しまれた。絶望先生ヘタリア嫌韓流、海外の反応といった冷笑的なオタク系ネット右翼を増やすコンテンツが流行ったのもこの頃だ。

あざ笑う様子を表す顔文字「^^」や冷笑を表すスラング「(笑)」「()」も次々と作られた。冷笑スラングのルーツに至っては女性蔑視が元になっており、当時流行っていたスイーツパラダイスや読モ雑誌などで特集された"スイーツ"にはまる女性を「女は単純だからすぐデザートを"スイーツ"と呼ぶ流行に流される」として「スイーツ(笑)」と冷笑したワードだ。ゆとり世代を無教養だと馬鹿にするスラング「ゆとり」も盛んに使われた。

ネットで社会的少数者に対して悪意ある態度を取っていたり保守右派へ固執する者は、景気悪化が少なからず影響していたと言える。当時ネットにいて憎悪的な空間に好んで浸っていた層は社会の日陰者であって、自分こそが社会で最も恵まれない層であって、"ノイジーマイノリティ"より俺を優先しろと考えていたのだろう。「スイーツ(笑)」はモテないことからの女性蔑視、「ゆとり」は自分の世代よりも楽をしているように見えることからの嫉妬、そういうことなのだ。

 

キョロ充文化の台頭

当時はキョロ充なんて言葉はなかったが、今で言えばキョロ充の文化が台頭したのも2000年代後半だった。ヤンキー系でもオタク系でもない層で、趣味が無くて大衆文化をひたすら人気かどうかで消費する層をそう呼ぶのだ。キョロ充が悪質なのは、自分こそが常識人である自負があって、流行に乗らない人や世間体から外れた人を冷ややかな目で見たり、イジメの傍観者になるところだ。

キョロ充もまた郊外文化が生んだ存在で、首都圏郊外といった何の個性もない地域に住んでは「標準語」を話す者たちだ。ヤンキーが野球部で、オタクが文化部で、キョロ充は軟式テニス部といったところだ。キョロ充はラウワン・すたみな太郎イオンモールが大好きで、音楽情報は全てMステから手に入れる。好きなゲームはスマッシュブラザーズモンスターハンターとモバゲー・グリーだ。中流家庭に育ち、全てのステータスが平均的で不自由なく暮らして、ふつうのサラリーマンになる人たちで、それは別に良いとしても本当に「普通」以外を知らないので「普通」以外を見下す傾向がある。

さらにキョロ充は自分を現実を知っている好青年だと勘違いしているフシがあり、カラオケで「ボクが~キミが~」とナヨナヨした声で歌ったり、自分を可愛いと思っているが腹黒いのだ。キョロ充に大きな影響を与えたのがBUMP OF CHICKENとGREEEEENであって、ヒョロヒョロした歌と純粋な好青年的なイメージがキョロ充自身の印象付けにぴったしだった。ネット文化もFlashアニメの『思い出は億千万』とかいったダサいものしか知らずにそれを好んでいたのがキョロであったのだ。

 

ヤンキー・オッサン・ネット右翼・キョロ充はその後2010年代になると、日本を台無しにしていった。

日中関係について

 

f:id:wt2010:20210501202920j:plain

西川口



日本人にとっての中国

"中国"は日本人にとって古代から最も身近な異文化であり、近代まで見習うべき大陸の先進国であった。それは日本にとっての話だけでなく、世界の歴史の中で進んだ文明を持っていた中国の影響力は洋の東西を問わず大きなものだった。中国側から見ると"中華"も世界の中心を意味して、中華文明は内部の興亡を繰り返しながら常に発展し続けてきた。とにもかくにも昔の日本人にとって中国は遣隋使や遣唐使など文化・学問・技術・社会制度の上で学ぶ部分が多く、団塊世代くらいまでは学術の中心たる感覚があった。

近代になるにつれて欧米が先進国としての地位と技術を高めていくうちに、日本にとっての見習うべき国は中国から欧米へと変わっていった。その中で日本(大日本帝国)は軍国主義が進み、かなり端折ることなるが、様々な戦争や混乱、事件を経て日本と中国の間には長い歴史問題が生じることとなった。南京や731などの事件、残留孤児の問題、これらは戦争が招いた悲劇である。やがて中国は共産主義国家化して日本は戦後に今のような民主国家化、日本と中国の関係は複雑で昔とは全く違うものになっていた。70年代には田中角栄周恩来日中国交正常化が行われたが、中国が体制的に開かれていない国で先進的でなかったのと非人道的な事件によってイメージが悪く、日本との歴史問題も完全に解決したわけではなかった。

そんな中国ではあるが、日本人にとって"中国"は歴史的なダイナミックさとロマンを感じるうえで親しみのある国だった。古代中国に書かれたものは教養であることに変わりなく、中国大陸には歴史的価値のあるものがあって、中国料理は豪華で美味しい、そんな印象だっただろう。団塊世代くらいまでは教養としての印象があった。団塊以降の世代でもステレオタイプ的ではあるがらんまなどパンダやチャイナドレスが好意的に見られ、2000年代にはウーロン茶のCMや女子十二楽坊がヒットした。三国志や麻雀ブームも80年代にあった。

www.youtube.com

事態が変化したのが2000年代後半からだった。

それまでも小泉純一郎氏の靖国参拝などで中国国内で日本への反感が高まって過激なデモや日本製品不買を呼びかける"抵制日貨"が起きたが、日本でそこまで大事になった覚えがない。2000年代当時の日本からすれば中国は閉鎖的な発展途上国であって、日本嫌いも「中国だからなあ」といった感じで北朝鮮と同じ扱いだった。

それが、2000年代後半になると、インターネットやワイドショーの活発化によって中国の著作権やマナー問題が叫ばれるようになり、日本人が内に秘めていた中国へのネガティブな意識があらわになった。北京オリンピックの決定と開催は中国と敵対して下に見ていた日本にとって不満材料となり、リーマンショックの時期とも重なって中国脅威論的なものが台頭するようになった。ネット右翼・週刊誌・ワイドショーは批判できそうなネタを探した。

まず行われたのが中国人批判だった。日本にはもとから「日本人は世界一マナーを守って礼儀正しい」という自負があって、それに対して中国人はすこぶるマナーが悪いことを非難すものだ。日本人のマナー意識については同調圧力や国内での価値観に過ぎないもので、中国人に関してもあの人口だから十人十色で素行が悪かったとしたらその人自身か教育の問題であるのに、十把一絡げな中国人叩きが行われたのだ。こうした論調はヘイトスピーチのまかり通るネット上で大いに支持され、フジテレビの『スーパーニュース』なんかが盛んに中国人観光客のマナーの悪さを取り上げた。

またこれもマナー問題と繋がることで、中国では著作権が守られないことが大々的に報じされた。石景山遊園地の偽ミッキーや偽涼宮ハルヒなどのまがい物がネットやワイドショーで取り上げられ、嘲笑・憎悪を招いた。偽物が違法であることに変わりないとして、日本でここまでこれが話題を集めたのには、日本のコンテンツへの誇りと「中国は途上国だから日本のパクリしかできない」という考えがある。ネット右翼とも層がかぶるオタク層は2000年代が絶頂期であって、彼らが誇る日本のコンテンツをかすめ取られることは当然許せたことではなかった。ちなみに中国でパチものがまかり通るのは著作権の概念の乏しさに加えて、様々な制限があることや特許早い者勝ちの考えがあると考えられる。

さらに中国脅威論を強化したのが、中国製冷凍餃子事件とチベットへの圧力だった。食品問題は人々の生活とも密接で身近なことだったので、餃子事件からワイドショーや週刊誌は中国食品の危険性を次々と報じて、"人毛醤油"や"地溝油"や"段ボール肉まん"など都市伝説染みた食品が紹介された。食品だけでなく工業製品などが破裂することを"チャイナボカン"と呼ぶ流れがネット上で起こった。こうしたことがあって、日本人の中で"中国製""中国産"はチャイナフリー、粗悪と危険の象徴となった。中国が「世界の工場」で日常のあらゆるものが生産されているのと、生産者のテキトーな態度と安価な大量生産のイメージが粗悪なイメージを高めていった。また、北京五輪の頃には"フリーチベット"も叫ばれ、中国政府のチベットウイグルへの圧力から、中国脅威論が政治的に強まった。

 

日中関係が最悪になった2010年代前半 

そうして2010年代に突入して起きたのが、あの尖閣ビデオ事件だった。2010年代の幕開け、2010年で思い出すことといえば、尖閣ビデオ事件だ。日本と中国の間で領有権が争われる尖閣諸島周辺海上で中国側の漁船が海上保安庁の船に衝突して、その様子を収めた映像を海上保安官がネット上に公開した事件だった。ただでさえ日本と中国は政治的な認識をめぐって齟齬がある中、この事件はセンセーショナルに報じられてより両国は関係がくすぶることとなった。


連日ワイドショーは映像を流して、サイレンが鳴り響く中激しく衝突する中国漁船の様子がセンセーショナルに伝えられた。日本の領域を侵害して国防にあたる巡視船にぶつかる「中国」は、当然日本人にとって脅威で許せないものとして映った。中国でも日本に対する抗議が起こった。

日本人が怒るべきは漁船の行動や中国政府の姿勢なのだが、どういうわけだか「中国人」に対する憎悪感情が悪化していった。思い出せば本当にひどくて、私の周りの人もみな日常会話で中国人の悪口を言っていて、ちょっとマナー違反なことをすれば「お前中国人かよ」とか本人は冗談のつもりでもヘイトスピーチめいたことを言い合う光景があった。2012年の尖閣国有化で日中関係が最悪になった時には、ここには書けないようなことを言っていた人もいた。

なぜ国家間の政治的な問題が日本で民族差別的な方向へ向かっていったかといえば、そこにはネットとワイドショーの存在があった。「〇〇人はこうだ」と一括りにした言い方はもともと単純で好まれやすいのと、日本で抱かれてきた中国へのネガティブな潜在意識があったのに加えて、2000年代後半から中国嫌悪を煽ってきたネットとワイドショーの努力が実ったのだった。事実として、尖閣事件以降に毎日のように中国(人)に対する憎悪を煽る特集がテレビで流れた。壁に挟まる人、ビルの屋上に家を建てる人、危ない食品、日本でマナー違反行為をする人、などだ。ワイドショーは国民にとって身近でわかりやすくて、難しい政治の話よりも如何に中国人が異常かを強調した方がエンタメ的に楽しかったのだろう。映像を流し続けた結果、日本で中国人のステレオタイプが固定されていきヘイト思想が蔓延することになった。

恐ろしいのがワイドショーなんかが壁に挟まる中国人を面白おかしく取り上げて、最初はこれだから中国人は~と笑っておいて、だんだん中国人の生態だとかおかしなことを言いだして、最終的に政治的な話題に繋げて自称評論家たちが中国人にキレていることだった。私の個人的体験では、田舎の親戚の家に行くと唯一の娯楽としてワイドショーがあって、中国特集が流れると一同で中国人の悪口を言い合う風景があった。私はそんなので家族団欒なんておかしいと思ったし、私の知人で中国人へのヘイト発言を繰り返す人についても間違っていると思っていた。だが、それを指摘することはできなかった。他にも、少しヘタッピな絵があると「中国製」「中国産」だと茶化したり、仲間内のマナーの悪さを「中国人かよ」とツッコむという、そんな光景に幾度となく遭遇してなんと程度の低い笑いだろうと暗澹たる気分になった。「中華」や「チャイニーズ」など本来は普通の単語を悪意的に使う人も増えた。それは石原慎太郎ネット右翼が中国をわざと昔の名前で呼ぶのと同じ感覚だったのだろう。

 

変わる中国 変わる日本

中国が急成長したのは北京オリンピック後の2010年代からだった。経済特区から地方都市まで摩天楼が雨後の筍のように建って、毎月のように高速道路・高速鉄道・地下鉄などインフラが開通して、金持ちの中国人が増えた。それが2010年代前半のことで、日本をGDPで抜いた頃でもあった。2010年代前半はまさに過渡期で、日本にツアー旅行して「爆買い」した人たちはバブル時代の日本人と重なる。マナーが悪いと言われるのも中国の主に中高年であって、それを批判するのが日本の中高年バブル世代というのは何とも皮肉な事だ。中国はその後も現在に至るまで成長を続けて、特にIT分野で飛躍的な進化を遂げた。

日本の2000年代世代にあたる中国の「80後・90後世代」は日本に対して比較的好意的であって政治歴史問題と文化民族をすぐ結び付けない若者たちだ。これが2000年以降に生まれた2010年代世代になるとさらに違って、日中ともに互いの文化を認め合っている。両者を結ぶのがネット社会で、BilibiliやTikTokや荒野行動などのゲームと挙げたらきりがない。オタク文化の理解もある。日本のあらゆる職場や大学で中国人が増えたことも大きい。かつての中国のイメージであった、みんな天安門広場で人民服を着て自転車に乗っていて、反日的で粗悪の象徴というのも変化していて、近未来的な都市だとかIT先進国の認識が10代の感覚だろう。華為のスマホも10年前なら考えられないことだった。

ただし、中華人民共和国があくまであの体制なのは変わりないことだ。経済発展の中で大気汚染(PM2.5)、情報社会での不穏さ、「一帯一路」をはじめとした対外政策やアメリカとの関係、香港に対する態度、人権軽視、など問題があることも事実である。新型コロナウィルスの感染拡大で発生源とされる中国は国際的に責任を問われるだろうし、日本のネットではコロナ禍に際して中国人ヘイト発言も散見された。まだまだの部分も多い。

こうして日中の10年を振り返るとなかなかの激動ぶりで、考えさせられるものがある。今後がどうなるかなんてわからなくて、それでも両国には良い関係を保っていてほしい。文化レベルでのつながりと若い世代の感覚が大切なのだ。

  

 

 

バブル世代について

f:id:wt2010:20210501202600j:plain



 

バブルの娯楽と日本の栄華

娯楽の存在は悪くない。日本が娯楽面でも栄華を極めたバブル時代が良い時代だったのは間違いない。戦後に最も好景気で平和で楽しみの多かった時代なんだから、非の打ちどころがないものだろう。ただ、そうした時代に有頂天になりすぎた結果、「自分が楽しければそれでいいんだよ」「社会問題なんてどうでもいいんだよ」なる平和ボケも甚だしい考えが、時代を謳歌した人々の間でまかり通ってきたように見える。それがバブル世代の悪い癖だ。

ではバブルの娯楽って何だろうか。成金趣味の遊びやディスコも勿論そうではあるが、スキー・映画・ゴシップが大衆的な娯楽だったのではないかと思う。

80年代の前の70年代、時代は「戦後ではない」の高度経済成長が落ち着いて、人々は戦後からファッショナブルで渋くて欧米的な時代を過ごしてきたと言える。時代はまだ経済成長の陰で戦後の名残とか、世界の情勢の不安定さ、国内の学生運動、貧しい上京者たち、それらの文化が良くも悪くもごちゃごちゃになってシニカルで人情味のある雰囲気があったはずだ。70年代に流行ったフォークソングなんてまさにその象徴で政治性や音楽性が欧米への憧れであって、その一方で原宿や銀座では女性がスタイリッシュでクールなファッションをして、下町の居酒屋ではべらんめえ口調のオヤジさんたちがメチャクチャな生き方をしていた。

だが、バブル世代からしてみれば70年代の文化というのは、辛気臭くてジジ臭いものだった。80年代になると70年代よりも電子音音楽(テクノ)が主流になって、しみったれた四畳半フォークよりも大袈裟なドラム音とシンセサイザーの音楽が好まれるようになってしまった。生の楽器で演奏していたブルース・スプリングスティーンボブ・ディランチャック・ベリーよりも、マイケル・ジャクソンシンディー・ローパー的なポップが増えたように、日本でもバブル世代はメッセージ性よりも楽しいポップ音楽を好むようになった。ファッションに関しても、シックやパンクなファッションよりか、エアロビファッションがブームになってカラフルでヘンテコなのが「アメリカ的」として好まれるようになる。

www.youtube.com

日本でもエアロビ的で蛍光色極まりない「アメリカ」が広まったのには、映画の存在がある。これがまた重要だ。80年代のアメリカはそれこそ都市部の治安が最悪だったが、それは要するにドーナツ化現象によるもので、都市住民は郊外に家族で住むのがステータスだった。80年代のハリウッド映画やシットコムはこうした都市郊外の中流家庭をテーマにした作品を量産して、平凡な日常の中で起こるSFを次々と映像化したスティーヴン・スピルバーグ監督の功績が大きい。今でも80年代映画である『E.T』『ホーム・アローン』『グレムリン』は普及の名作だが、どれもみな郊外の中流家庭がテーマだった。

80年代世代のバブル世代にとって日本の好景気とアメリカのポップ音楽とハリウッド映画の時期が重なったのはインパクトが強く、彼らの中に「アメリカ」が定着することになる。芝の前庭を構えたガレージ付きの広い家、幹線道路沿いにあるマクドナルドやトイザらスや平屋建てのショッピングセンターは憧れだった。クレヨンしんちゃんのようにバブル時代に埼玉などの郊外が人気だったのはこれの影響があるだろう。

80年代の文化は楽しくて私も好きなものがたくさんあるが、残念ながら、メッセージ性が少なかった。そして、何より商業的だった。ポップな「洋楽」はもっぱら「洋画」のために作られ、その中に政治性だとか社会的メッセージ性はない。「洋画」に関しても、面白くて感動的なものはあっても単なる消費的な娯楽に終始していて、男女の恋愛や家族愛といったものにとどまった。アメリカ郊外の文化なんて商業主義の権威といえ、マイカーでドライブスルーめぐりをすれば満足な世界であった。それらは幸せなことだし平和でいいかもしれないが、バブル世代はそれに甘んじることとなった。 

話がアメリカに逸れてしまった。日本の話題に戻れば、バブルの真っただ中だった。この時代は「トーキョー文化」が隆盛を極めていた。東京は日本経済・文化の中心であって、それは同時に当時世界の東の中心でもあった。金持ちが銀座や新宿や六本木の高級クラブでブイブイ言わせ、一般的な若者も各地のディスコに映画館にボウリング場をはしごして遊んだ。東京23区の南半分、港区あたりは時代の成功者たちの目指す場となって、「勝ち組」「負け組」の差を付けては「三高(高身長・高学歴・高収入)」はモテる男の評価対象となった。ネオンが踊る東京の街並みや新幹線や首都高速などの交通、任天堂ファミコントヨタの車・日立・東芝・ナショナル(パナソニック)の家電、日本の技術的で文化的なレベルの高さは世界一といっていいほどで、欧米人は映画『ブレードランナー』から東京をサイバーパンクの近未来として憧れたりジャパンバッシングの形で日本が脅威になるほどだった。

東京だけではない。地方にはリゾート施設や娯楽施設が次々と作られて、休日にもなればそこに東京と郊外から人々がマイカーで駆け付けた。中でもバブルを象徴するのがスキー場であり、新潟や長野の田舎が都会向けに開発された。ゲレンデで流れる広瀬香美の『ロマンスの神様』、映画『私をゲレンデに連れてって』の影響は大きい。千葉にはディズニーランドができて、船橋にも例にもよって人工雪スキー場ができた。また、こうしたレジャー・旅行ブームによって海外旅行も盛んになった。特に人気だったのがハワイで、日本から絶妙に近くてリッチな南国気分を味わえ、ハワイで金持ちアピールできた。社員旅行・新婚旅行・家族旅行の定番がハワイだった。

 

 

そしてバブルは崩壊

日本のピークは過ぎて、楽しい時代は終わってしまった。それまで価値のあったものに意味が無くなり、金持ちは失い、人々には余裕がなくなった。この「バブルの崩壊」が起きて、平成初期90年代という時代が始まることとなった。90年代前半は平成といってもバブルと大差なかったものの、気持ち悪さと陰湿さは2010年代並みにひどい時代だった。これについてはまた別の記事で述べる。

バブル世代の人々はものを失った一方で、心はいつまでもバブル気分であった。平成になって、21世紀になって、2010年、2020年になっても彼らの中でバブルは終わっていないので、当時の感覚で物事を見て語ってしまう癖がある。これが現在に至るまで弊害となっているのだ。娯楽中心主義であったので政治無関心で、いろんな偏見があって、態度の良くなさがそうだ。

そもそもの話として、年配者が現代人と異なった古い価値観を持っていて、それが現代では通用しない者である場合がある。バブル世代の場合、彼らは昭和生まれ昭和育ちであるため、バブル以前に昭和や土着日本の考えが前提にあるのだ。それだから、家族・子ども・女性・外国人・同性愛者といった対象に対して古い固定観念がある。昭和の時代では今日差別的とされる表現も日常的に普通だったのでそうした表現を好んで使いたがるし、偏見の対象には激しい嫌悪の態度をあらわにすることだってあるのだ。

バブル時代では政治・社会問題すら娯楽となっていて、『朝まで生テレビ』『ゴー宣』『美味しんぼ』そしてワイドショーが世の中を知る手段になっていた。ゴシップ風で楽しい雰囲気にしないと学べないのだ。基本的にバブル世代にリテラシーはなく、ワイドショーは正しいとかネットには真実があるという考えに至りやすく、それが原因で陰謀論に傾倒したり排外主義者になってしまう。彼らは80年代のアメリカ娯楽が好きな一方で、アメリカ文化を毛嫌いする矛盾した傾向があって、その理由は陰謀論である。幼少期を過ごした70年代に見たノストラダムスから始まり、リテラシーのなさと相まってアメリ陰謀論にハマってしまう。バブル世代にビートルズ好きが多いのも、陰謀論に基づいたアメリカ悪玉論からの反戦というパターンが多い。給食に鯨肉が出た世代であるため、捕鯨の話題になると激しく欧米(人)ヘイトを繰り広げるのも特徴だ。

 

そして、大きいのが、バブル世代は自分たちのバブルの日本こそが世界一で世代一だという感覚がある。日本の最盛期を謳歌したらから、日本(人)はすごくて、バブル世代はすごいんだ!の精神である。

バブル世代の中高年には平成世代・ゆとり世代の若者たちを敵視する者が少なくない。彼らの子世代がその対象にあたり、大人の理解できない異質なものと決めつけてきたのと、若者に対する土着的な偏見と大人・子ども観があった。若者をチャラチャラしていると咎め、「親・大人への感謝が無い」と説教して、若者がすぐキレて危ないと決めつけた。若者文化の否定も激しく、それは欧米・先進文化の否定でもあった。「炭酸飲料は骨を溶かす」「ファストフードはもれなく危険」 などのフードファディズム、「ピコピコ(ゲームのこと)がゲーム脳を作る」「ゆとり世代は円周率が3だから礼儀がない」といったトンデモで感情論的な文句を本気で言っていた。また、2000年代以前には凶悪少年犯罪が相次いだり昭和には暴走族や不良がたくさんいたので、その当時のイメージで「少年犯罪が増加している!」「大人がしつけないと悪さする!」という意識があるのだ。

careerconnection.jp

いわゆるネット右翼(ネトウヨ)も一番多いのがバブル世代だろう。上記のような陰謀論ネット左翼も多いが、同じ原因でネトウヨ・排外主義者が目立つ。ワイドショーの中国韓国特集を見ながら「これだから中国人は!韓国は!」とキレたり、"ネットで真実"に傾倒してレイシストらしさを発揮してしまう。知恵袋で説教している人や、twitterで長文にわたって差別的な文言を書いている人、彼らがそうだ。中高年ネトウヨを見ていると彼らの世代しかわからないネタを出すことが多々あって、それが痛々しさを倍増させている。猫・柴犬・バイク好きが多いのはそれらに相棒感が、ドナルド・トランプ好きはオヤビン感があるからで、バブル世代のオヤジはそうした昭和の漫画的な主従関係を好む傾向もある。

それだけではない。バブル世代は"格下"の中国や韓国を敵視するだけでなく、途上国や肌の黒い人も下に見がちだ。それは昭和時代に南洋や肌の黒い人種が未開として描かれてきたのが普通だった影響が大きい。バブル世代だと東南アジアに対して邪な見方をする者もいるだろう。国内のことに関しては、「三高」や東京至上主義の優劣付けたがりも強く、良いクルマや腕時計がイケてる男のたしなみという時代にそぐわない感覚もある。業界人感覚も甚だしく、この世代がなおエンタメの権威にあるので、平成世代をバカにする番組やハラスメント染みたコンテンツやオッサンの内輪ノリが作られてしまう。

 

バブル世代の人が何か不適切な発言をしていた時に、それを注意するのは難しいことだ。中高年の考えはその人の中で固定されていったものであるので、そう簡単に変わらない。バブル世代は特に頑固であって、年下の言うことには「そんな難しい話はどうでもいい」と聞く耳を持たないか「大人に向かって指示するな!」と逆ギレするのがオチだ。若者や外国人や知識人がバブルの過ちをうるさいほどに指摘していくしかないのである。

 


 

2000年代が最先端の時代だ

f:id:wt2010:20210501201703j:plain

原宿



2010年代がすでに10年選手の域に入っているのが信じられないと同時に、2000年代が20年前なことを受け入れることができない。2000年代に思い入れのある2000年代世代ならば、00年代はつい最近で90年代はちょっと前、2010年代に至っては数年前という感覚があるはずだ。

 

2000年代という時代は急激な変化を体験した時代だった。2020年代から見て10年前20年前を違和感なく見ることができても、30年前(90年代前半)となると別世界のように見える。その別世界感が身近だったのが2000年代だ。日本社会全体で「古臭いもの」を覆そう「新しいものを求めよう」という気概があったのだ。

2000年代世代の若者の中心は80年代・90年代生まれの平成生まれ平成育ちだ。平成世代にとって「昭和」の呪縛はトラウマティックなものとなっていた。当時はまだ保守的な昭和世代の価値観が全ての中心で、若者・子どもであった平成世代にとってそれらは窮屈極まりなかった。保守派だけではない。それに加えて、幼少期を過ごした80年代・90年代はダサくて気持ち悪いの象徴だった。80年代・90年代はバブルとメルヘンブームで不気味な時代だったし、子どもたちは壊れたファミコンみたいな不気味な格好をさせられたり、大人が子どもに子どもらしさを求めすぎていて気持ち悪かった。そんなことだから今の20代・30代は平成初期のことなんて思い出したくないだろうし、その反発としての2000年代があった。

 

「平成」の確立

私は90年代といえば前半の方を思い浮かべるものだが、巷で「90年代」といえば何故か90年代後半を連想する人が多い。私から言わせれば90年代後半は2000年代と同じで、2000年代の基礎を作った過渡期だった。渋谷・原宿のコギャル、ルーズソックスやたまごっちやプリクラやパラパラなどの文化といった「平成っぽさ」の確立したのも90年代後半で、パソコンや秋葉原オタク文化も90年代後半、大衆の音楽シーンやファッションもだいぶ洗練されて80年代・90年代の野暮と「昭和っぽさ」から脱していった。ただ、まだ治安は良くなかった。

 

www.youtube.com

2000年代の文化は明らかに90年代や昭和とは違った。90年代後半も00年代に入ると健全化していき、それぞれの文化は「平成っぽい」若者文化として洗練されて定着していくことになった。若者にはみな夢や居場所があって「昭和は古い」という認識があったので、尖ったファッションや考え方を好んで女の子はカワイイものを好んだ。髪型は茶髪金髪に男女ともに爽やかなショートカットが好まれ、眉毛は細めに、女の子はすっぴんに近いナチュラルなメイクに露出の多いファッションをしていた。バブル時代のようなふざけたファッションではなく、どんどん都会的になっていったのだ。携帯電話文化、プリクラ文化、後述する若者言葉は完全に文化として定着していくこととなる。ドラマの様式や漫画の絵柄も2000年代になると今見ても自然に見ることができ、音楽も昭和っぽい歌謡曲やアイドルや胡散臭い曲がぐっと減って洗練されていった。

 

欧米に憧れた音楽シーンと大衆音楽

日本の音楽は昭和の頃から演歌含め歌謡曲や聖子ちゃん的なアイドルの独壇場であって、一部を除けば内向的な「邦楽」だった。90年代後半になると小室哲哉の音楽が主流になったものの、アイドルのディスコソングといった感じでバブルっぽかった。だが、その小室サウンドの中でも違ったのが安室奈美恵である。野暮なバブルや昭和のファッションを覆す彼女のスタイルやスター性というのは一線を画すものであり、欧米的だった。女の子たちは彼女に憧れないわけなく、「アムラー」としてファッションを真似するようになった。

そのちょっと後、さらに日本に衝撃が走ることになる。宇多田ヒカルの登場だ。帰国子女である彼女はニューヨークでリアルな最先端の欧米文化に親しんで育ち、日本に本場のR&Bを持ち込んだ。彼女は自分で曲を作っていたわけだが、日本にはなかった洗練された音楽性や高校生ほどの年齢にして大人よりも大人びた歌詞は日本人には刺激的過ぎた。90年代後半にはPUFFYのヒットもあり、こちらも本場アメリカのロックシーンに影響を受けたガールズバンドで、世の女の子たちは彼女たちに憧れた。

2000年代には若者音楽としてやはり欧米に憧れた音楽が人気を集めた。欧米的な音楽で若者の反骨心の代表であるロックは日本でも一部の若者にポピュラーであって、昭和の頃から形を変えて90年代後半にはHi-STANDARDのパンクが人気になって、2000年代には「青春パンク」として大衆的にも若者音楽として定着することになった。青春を歌った歌詞を爽快感のあるパンク音楽に載せた青春パンクは、若者たちにとって大きな刺激となってライブ・学園祭・スポーツのイメージで定番となった。2000年代世代ならみんなMONGOL800の『小さな恋のうた』を歌うことができる。青春パンクに似たものだとORANGE RANGEが大流行して、彼らは流行最先端の若者たちというイメージがあった・さらに日本では90年代後半にZeebraなどが欧米黒人文化であるラップを始めて、2000年代では邦楽でもHIP HOPが進んだ尖った音楽として定着するすることになった。「ジャパレゲ」も流行して海外の音楽を取り入れようとする動きが高まった。

大衆音楽であるいわゆるJ-POPにも変化が訪れる。2000年代には甘酸っぱい恋愛や切ない感情やまっすぐな青春を描いた歌詞が増え、Kiroro大塚愛、ZONEの曲が2000年代前半に流行った。2000年代後半には木村カエラ、superfly、いきものがかりといった明るく全世代に受ける感じの音楽が増えていった。YUIも2000年代後半だった。バラードの曲や落ち着いた曲も増え、ゴスペラーズ福山雅治の曲がよく流れた。アイドルに関しても、SMAPと嵐がジャニーズファンのみならず老若男女に日本・アジアで人気を集めた。モーニング娘。は社会現象になって、昭和的な清楚なアイドルとは違ってギャル風な路線が平成らしさでありカワイイの象徴となった。

 

盛り上がったオタクの文化

2000年代はオタクの文化が最も洗練されていた時期でもあった。それまでオタクというと「マニア」たちがひっそりと楽しむものであり、2000年代ではそうしたひっそりとした文化が独自の発展を遂げていった。大きいのはパソコンの存在であって、Macintoshやwindow95を持っているのは企業・組織・マニアに限られた。当時時代の最先端を行く技術で、ユビキタス社会が近未来のものとして羨望の的となった。インターネット(パソコン通信)は非常に今から見れば閉鎖的でしょぼい存在であったが、そんなマニアックな空間の中でオタクたちが活躍することになる。

www.nicovideo.jp

ネット掲示板は諸悪の根源とされた一方、独自の文化であるスラング・AA・コピペ・Flashアニメを生み出した。当時は今ほどひどい状況ではなく、アングラなオタクたちがユーモアを持って何か面白いことをするのが好まれていた。「マターリ(まったり)」「キボンヌ(頼みます)」といったスラング、文字で絵を描写するアスキーアート、笑える使いまわせる文章は文化的にも完成度が高くオタクの文化として親しまれるようになった。エロゲ、アニメ、アニソン、同人誌、ゲーム、PC部品などはオタクにとってのアイデンティティとなって、もともとモテないとか世間の日陰者である彼らにとってネットや秋葉原は居心地の良いい場所であった。

良くも悪くもオタク文化が大衆に知れ渡ることになったのが『電車男』で、ネット人口の増加とともに2000年代半ばからは一気に発展していくことになる。京都アニメーション作品である『涼宮ハルヒの憂鬱』などが一世を風靡して、ニコニコ動画も誕生、より「オタクらしさ」が強まっていった。

 

若者の時代・都会の時代だった2000年代

2000年代は都会の時代だった。東京を中心としてそれぞれの街に独自の文化があって、大阪や地方都市でもその地域ならではの文化があった。バブルは弾けていたが若者はみな夢や憧れや昭和っぽさへの嫌気があって、それが欧米文化の取入れや若者文化の発展へとつながった。

渋谷・原宿・池袋が若者の街だったのも、そこにしかないものがあったからだ。渋谷はギャル、原宿はファッションリーダーというように、そこにしかない文化は若者にとって文化的なものだった。音楽文化もその地域と密接に結びついていて、商店街やライブハウスというハコがアーティストにとって重要な場所であった。当時は渋谷のレコード店に行かないとCDが買えない、原宿にしか珍しい服が売っていないということもあった。オタク文化についても秋葉原しかないものがあったからアキバ系ができたのであって、それぞれの街にそれぞれの文化ができた。都市の文化はよそから来る人にとっても影響力の強いものであって、2000年代には地方から東京に絶対上京するんだという若者が数多くいた。渋谷や秋葉原は日本独自のものであって、海外の人々が想像する日本のかねてからのサイバーパンクのイメージそのものなので外国人も集めた。

当然若者文化は昭和世代の中高年にとって面白くなかった。若者文化はみな不良という印象で、渋谷が事実90年代にチーマーの温床だったとしても依然として都市と若者への偏見があった。普通の茶髪から「ヤバくね?チョーうけるんですけど」「こちらでよろしかったっすか」といった言葉遣いまでふしだらで文化的嫌悪の対象であって、渋谷の「ヤマンバ」や秋葉原の「オタク」なんかはメディアに面白おかしく取り上げられた。中高年を中心に欧米文化の嫌悪も根強く、まだまだ2000年代では保守的な考え方が普通だったのだ。だが若者から社会全体が築いた平成っぽさは昭和・バブルを過去のものにして、日本は文化的に絶頂期を迎えることとなった。2010年代という時代が終止符を打つまでの話だ。